三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「私、オルガ・ヘプナロヴァー」

2023年05月02日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「私、オルガ・ヘプナロヴァー」を観た。

 ワクワクもハラハラもドキドキもなく、重苦しいシーンがモノクロで映される。楽しいシーンが皆無で、意味不明なシーンや辛いシーンの連続なのに、何故か見入ってしまう不思議な作品だ。それはかつて誰もが味わってきた青春の苦痛がさらけ出されているからかもしれない。

 自意識の目覚めを経過して、自分が世界の中心でないことに気づくと、自己肯定感が薄れ、自己憐憫と自己否定の日々が続く。青春は苦しい。食欲や性欲の充足の時間が束の間の幸福の時間である。人生は幸福な時間と不幸な時間と、何でもない時間の不連続な組合せである。不幸な時間も、慣れてしまえば何でもない時間になる。逆も同じだ。酒池肉林の日々も慣れてしまえば何でもない時間になるし、圧政下の日々もやがて何でもない日々になるかもしれない。幸福のハードルは時と場合と人によって、高くも低くもなる。

 人間は存在するだけで一定の価値を認めなければならないが、人生には必ずしも価値があるかどうか分からない。価値観の相対化である。自分自身についても相対化できるかどうかで、青春の苦痛から脱却できるかどうかが決まってくる。
 自分の人生を相対化できないと、世の中が自分を貶めているのではないかと一方的な被害妄想を描くことになる。そうして他人の存在を否定することになる。暴力や殺人に至る精神性だ。オルガの言動は、そんな自分の精神性までも社会のせいにしているところがある。やたらにタバコを吸うのも、そういう時代だったというだけでなく、自分の殻に閉じこもろうとする彼女の未熟な精神性の表れだ。

 自分の人生だけでなく、社会全体、人類全体を相対化して心を自由にすることが、人生を楽にするのだが、オルガはそこに気づかないままだった。しかしオルガの言う通り、予備軍はいまでも世の中にたくさん存在していると思う。銃乱射事件や無差別殺人事件が、自由で民主的な国であるはずのアメリカで最も多く起きていることは、オルガの示唆が意味するところのある種の正しさの証左なのかもしれない。

映画「不思議の国の数学者」

2023年05月02日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「不思議の国の数学者」を観た。
映画『不思議の国の数学者』公式サイト|4月28日公開

映画『不思議の国の数学者』公式サイト|4月28日公開

映画『不思議の国の数学者』公式サイト|4月28日公開|脱北した天才数学者と男子学生の交流がもたらす、心温まる感動作

https://klockworx-asia.com/fushigi/

 とても感動的な作品だった。韓国らしくヒエラルキーの上位者による暴力や威圧的な言動のシーンはあるが、総体的には自由な精神が息づいている。

 高校生の時にとても数学が得意なクラスメートがいて、E=mc2(2乗)の公式を説明してくれたり、無限に真っ直ぐ飛ぶロケットは、無限の未来には発射地点に戻ってくる理由などを説明してくれたが、あまりよく理解できなかった。というのも彼の説明の殆どが数式で、数学が得意ではない当方には、数式でそうなることは分かっても、ロケットが元の場所に戻るイメージが出来なかったのである。とはいえ、放課後の教室の黒板にびっしりと埋め尽くされた数式は、全体としてとても美しかった思い出がある。

 音楽と数学には共通点があると思う。音はエレメントに分解され、曲は微分されて楽譜となる。逆に作曲家の頭の中で響いている音は積分されて、その体積が音楽となる。完成されたクラシック曲は球体のイメージで、かつてピタゴラスが「地球は数学的に完璧な形、すなわち球体である」と看破したのに似ている。
 ちなみに地球が球体で、太陽の光が平行であることを前提として、地球の大きさを計算したのは2300年以上前のヘレニズムの数学者エラトステネスだ。夏至の日の正午に太陽が底に映るアスワンの井戸からアレキサンドリアまでの距離と、アレキサンドリアの正午の太陽の角度を測って、地球の半径と円周を計算したそうだ。

 人民軍こと、天才数学者の警備員ハクソンは「自分で考えることが数学だ」と言う。将棋の米長邦雄は、どれだけ自分ひとりで考えたかが、将棋指しにとって最も重要なことだと言っていた。そういえば将棋も数学だ。だから将棋の勝敗でコンピュータが人間を凌駕したのは当然のことである。

 バッハの無伴奏組曲は、チェロの独奏曲として大変に有名で、多くの人が聞いたことがあるお馴染みの曲だ。有名なクラシック曲を使うのは映画ではよくある手法だが、本作品には、有名な数字とピアノ演奏をマッチングさせた素晴らしいシーンがある。

 ハクソンが解いているナンバープレイスは、数学者らしい時間潰しである。当方もスマホにナンプレのアプリを入れていて、暇があると頭の体操をしている。最初はとても時間がかかるが、慣れてくると法則のようなものに気づいて、格段に解くのが速くなる。もっと上達すると、意識ではなく無意識の領域を使って、考えなくても数字が浮かび上がってくるようになるのではないかと思うのだが、当方はまだその域に達していない。
 脳科学者によると、無意識は意識の数万倍の容量を持っているらしい。数学が得意な人は、無意識の領域を上手に使っているに違いない。人間の日常生活の選択の殆どを無意識が司っていることを考えれば、数学こそが生活を向上させるという言い方もできる。数学が上達したハン・ジウが、世界が数学に見えるようになったこととも関係がある。数学は音楽と同じように、人生を豊かにしてくれるのだろう。