映画「Fast X」(邦題「ワイルド・スピード/ファイヤーブースト」)を観た。
その他大勢がいっぱい死ぬ。これまでのシリーズでもたくさん死んだ。敵方の下っ端だけではない。公道を通行する一般車両や自転車の人々、歩行者、警察官など、死ななくてもいい人がたくさん死んでいるのだ。そうした多くの人々の死にまったく無頓着に、自分たち家族だけの幸せを喜んでいる。アメリカ人らしい精神性で、所謂アメリカンドリームで自分たちだけ金持ちになればそれでいいという拝金主義、利己主義と同じである。日本人も同じような精神性になりつつあるのは間違いない。竹中平蔵がアメリカから持ち込んだ市場原理主義、自己責任。その他大勢には家族の幸せはない。
ダンテ・レイエスは敵方のボスにしては人物がショボすぎる。せいぜいが頭の悪い中学校の番長程度だ。登場人物同士の争いも、中学や高校の不良同士みたいなレベルである。戦いの大義名分は遅刻の言い訳とあまり変わらない。世界観が小さすぎるのだ。ジェイソン・ステイサムが小さな声で「Mom...」と呟いたのには笑ってしまった。中身は小学生か。どの登場人物にも人間としての深みがないから、作品としてのスケールもちっぽけになってしまった。
2014年頃だったと思うが、都内の狭い道を歩いていると、ふと気配を感じて右を見ると、白いプリウスが音もなく真横をゆっくり走行していて、かなり驚いたことがある。ハイブリッドカーは電気走行時には音を出さないのだと実感した。いまでは静かすぎると危険ということで低速走行時には人工音を出すことになっている。
自動車が静音になると、世の中がかなり静かになることは確かだ。その分電気の需要がさらに増加することになる。原発は核のゴミが厄介だから、再生可能エネルギーを使った発電を工夫することで、静かな地球が実現するかもしれない。
自動車がすべて電気自動車になったら、AIを搭載して全自動運転になる日も遠くないだろう。ハッキングを遮断してAI自動車同士が通信をしてすれば、衝突事故は減るだろう。何よりも、渋滞が減るのがいい。歩行者と自転車は相変わらず予測不能な動きをするだろうが、速度が遅い分、死亡事故には繋がりにくい。
しかし全米ライフル協会みたいな連中が、自動車を運転する連中の中にもいるかもしれない。ガソリンエンジンの音がたまらないとか、臭いがいいとか、フェチみたいな連中だ。そういう連中は、人間には武器を使う自由があるのと同じように、自動車を運転する自由があるなどと言い出しかねないのである。
自動車が単なる移動手段ではないことはわかる。しかし例えば自転車競技であれば競輪やBMXには専用のコースがあるし、マウンテンバイクはオフロードを走る。公道で自転車競技をやられたら交通の妨げになるだけでなく、一般車両や通行人、それに沿道の住民にとって大迷惑だ。
自動車は自転車よりも速くてパワーもあるから、危険性はずっと高い。事故になったら生命や身体の危険がある。だから公道を走る際は、あくまでも平和的な移動手段でなければならない。運転を楽しみたければ、公道ではないところで同好の士だけが集まってやればいい。野球だって球場でやるし、ライフル協会も射撃の会は専用の場所でやっている。公道で運転していいのは良識を弁えた紳士淑女だけである。本作品に紳士淑女はひとりも登場しなかった。