大震災と原発の事故があってから、早、三ヶ月近くになる。原発では、一本の細い糸を手繰り寄せるような、一縷の望みで、作業をしているのかも。必ず、復旧すると、現場を信じているだけだ。通常ならば、冷温に向けての、簡単な作業なのかも。今回は、異常な状態での、苦悩の連続の、作業なのだろう。「果報は寝て待て」と、誰でもが思っているのだろう。弁慶、豪傑の僧の名と、辞書にある。事故という、巨大なものにたちむかっている様は、弁慶にも思える。かならずや、捻じ伏せて、収束すると信じている。画像は、3月13日に開始した、久ノ浜、大久地区の、予防的措置で、避難の知らせだ。朝の8時30分から、避難が始まった。原発の事故が発生した翌日の12日は、20キロ圏内の地区が、既に、いわき市に避難をしていたので、大久、久ノ浜の人達は、内郷、常磐へと、避難をした。この地区は、30キロ圏内なので、屋内退避だったのだが、「転ばぬ先の杖」と、判断をしたのだろう。事故から、まず、大丈夫だっぺぇって、思っていたが、これを見た時は、不安になった、お知らせだった。