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昨日の夕方 少し体調崩して 夕方6時 病院 へ 行ってきた
それで 知ったのは 病み上がり というのは こういうことなんだ 無理をするなというの をこういうことなんだ ということがわかった
いつも 自分で 判断して いるのだが 、今回はこんな症状が起きたので すぐに妹に電話して 相談したら 「病院へ電話して 相談するとか一番いい」と言われた そして「 もしかしたら『すぐ来なさい』と言うから 急ぎなさい 」その通りにやって 新しい薬を もらって 症状は収まった
「手術後の患者さんには普通にあることだから心配ない、慣れてください」と言われた
今日になって 少しは 行動を 控えている、 そもそも 昼寝と寝る時以外は ベッドにはいないので、 これから1ヶ月くらいは ベッドで休む時間も 増やそうと思っている
今日は 畑で 収穫 第1号が採れた 私が 入院してる間に 女房殿と 妹の2人で 苺を収穫したのを別としては、 この きゅうり 収穫が 今年の第1号だ。
ドジャースは 開幕直後の20試合 ほどの間の、MVP トリオの ミラクル 打線 も 今は影をひそめた
特に 最近は別ベッツと 大谷は 貧打に陥って 打率も 最近の試合は1割台
ベッツは 外野に 良い 当たりを 飛ばしているが 距離が足りず アウトになっている 、大谷の場合は フォームが崩れて 外角 に対応できない 大谷の方が 重症だ
何とか フリーマンが いい場面で 打つことは あるし、四番を打つスミスと髭ヘルナンデスはチャンスにも強く、打撃も好調なので一二番の不振を補って余りある
今日は 大谷が 第2打席のチャンスで ようやく レフトへ タイムリーヒットを 打った 、今シーズンは チャンスに弱い 大谷だが 大谷の ヒットで ドジャースが 1点 リードしたか
その裏、ヤンキースは ジャッジの 22号ホームランが出た、 リーグは違うが 大谷に 7本 差だ それでも ソロホームランだったから 2対2の同点
ジャッジはしっかり 最後まで ボールを 睨んでいるが 、大谷の スイングの後の ヘッドアップとフォームの崩れが 前から気になっている
5回髭ヘルナンデスが ソロホームランで 3対2 とまたドジャースが 1点リード 、今日は 髭ヘルナンデスの ホームラン、 ジャッジのホームラン 皆 ソロ ホームランだ
どうやら 2ラン3ラン 満塁 のホームランをが勝負を 決めそうだ、 誰が打つのか ベッツか 大谷か フリーマンか ヘルナンデスか、ジャッジか スタントンか
大谷は 打率も 3割1分まで下がり、 このままでは 3割切りも 視野に入ってきた、 ホームランバッターのイメージを ここは忘れて アベレージ 狙いの 確実な 打撃に 切り替えた方が 良いかもしれない
まずは 打率を 3割3分まで戻せば ホームラン もついてくるだろう
8回 満塁で ドジャースは 髭ヘルナンデスが 今日2本目のホームラン 、しかも お待ちかね15号満塁ホームラン 、最初に書いた通り やはりこの満塁ホームランで おそらく 肩がついただろう 8対2
昨日、今日と 髭ヘルナンデスは 大活躍 、ホームランはチームでは大谷15本で並びトップ、リーグでも2位タイ、打点は47としてチーム1位で二冠王だ、リーグでも三位、 あっぱれ!
9回 フリーマンが、 内野安打のベッツ 、四球の大谷を置いて ダメ押しの 2点 タイムリー 2 ベースで 10対2となる
ヤンキース ファンは 球場を後にして 空席が目立つ さらに ランナー2人置いて投手交代 リリーフ投手は 野手が出てきた 、90キロ前後の キャッチボールのような投球 、ふてくされているようにさえ見える
ヘルナンデスを歩かせて 満塁 なかなかストライクが入らず 押し出しでまた1点追加 ヤンキース ファンは声もなし 9球目か10球目に初めて ストライクが入る とスタンドから拍手が起きた
11対2で9回の裏、 最後のヤンキースの攻撃 たちまち 2アウトになったが ジャッジが 意地を見せて 今日2本目のソロ ホームラン 23号を 放った しかし 焼け石に水 ドジャースが 11対3で 2連勝した
昨日予想した通り打撃戦になった、ドジャースは先発全員安打の11安打、ヤンキースも10安打を放って両チーム21安打の打撃戦
しかし、ソロ2本、満塁1本のドジャースが、ソロ2本のヤンキースとのホームラン合戦を制して、これが大差の原因となった。
いやあ~ 今日は見ごたえがあった 素晴らしい名勝負に感動した
ドジャースは山本由伸が先発、ホームラン15本のスタントン。21本、55打点のジャッジ、控えであるが17本、53打点のソトなど屈指の打者と対戦する。
ドジャースはナ・リーグ西地区首位。ヤンキースはア・リーグ東地区首位、どちらもプレーオフ進出は堅いチーム同士、今シーズンはヤンキースタジアムの3連戦が全ての対戦だ。
山本は「気合が入っていた」というよりいつも以上に落ち着いていた、
その投球には日本を背負っていた投手の風格、日本一のままメジャーに来たプライドが感じられた。
日本での最終戦、そのままの投球が目に浮かんできて感動した。
結局、山本は強力なヤンキース打線を7回2安打無失点、7奪三振という好成績で終えた
しかし対するヤンキースの先発ポテートも4回3分の2を投げて2安打無失点の好投、後続の投手リレーも10回までドジャース、ヤンキース共に0に抑えた
流石、両リーグで1位の投手力を誇る両チームだ。互いに強力打線も持つが、すっかり抑え込まれた
勝負が決したのは11回、ついに表にドジャースが髭ヘルナンデスのツーベース2点タイムリーで勝ち越す
最初の2ストライクは全くあっていなくて私は思わずテレビに向かって「何やってんだ!やる気あるんか!」と怒鳴ったほどだったが、見事にはじき返した。
その裏、ジャッジがタイムリーを放ち1点差、長打で同点、ホームランなら逆転サヨナラの場面をラミレスが抑えて2対1でドジャースが初戦を取った。
今日はドジャースは4番までがベッツの1安打だけという貧打、髭ヘルナンデスが2安打2打点と一人気を吐いた。
大谷は外野に言い当たりを飛ばしたものの5打数無安打と、相変わらずさえない、どうした大谷
結婚してダメになった例は、確かゴルフの石川遼だった気がする、大相撲の豊山も(笑)
大谷も、そんなことを言われないように頑張らなくちゃ、ヤンキースファンのブーイングも無くなるかもしれないよ、ブーイングなら今日は山本へのブーイングが上回った。
6月は、大谷の活躍する月だと聞いた、去年は6月15ホーマーだったとか、今年はまだ1本?2本?
ヤンキース打線も抑え込まれたけれど、流石はジャッジだ2安打1打点2四球だから、球界一の大物の座の姿を見せてくれた
今日はジャッジに軍配が上がった、明日は一転、乱打戦かも、ホームラン乱れ飛ぶ試合も見て見たい。
ありがたかったのは、入院、手術前、手術後、退院後とほぼ休むことなく入院記録を書き続けることが出来たことだ、これが無ければ、どれほど退屈で不安だっただろうか。
またブロ友さんからの励ましのコメントをいただいて、これほど心強く、日本各地と繋がっている感をもてたのは勇気になった。 ありがとうございました。
今日を持って「入院記録」は終わります、また通常のブログに戻ります。
骨折などと違って、完治という言葉をいただくには5年以上様子を見ないとだめらしい
かといって5年間、病人として生活するのもよろしくない
日々快方に向けて努力していくことだろう
友達や家族も「無理しないで」という、初めての手術で「無理」のレベルがわからない
でも畑作業、散歩などについて言っていると思う、やはり私がやりだすと止まらない性格を知っているからだ
私もそれを自覚しているが、やはり「ここまでやったら」とついつい納得いくまでやって、それを見直しているうちに、またやることが見えてきて、やってしまう悪癖がある。
それで、これからは畑作業はタイマーを持って、一回15分にしようと思った。
散歩も軽く短めにしよう、しかし散歩をすると腸の動きが活発になるのがわかる、私にとって腸の動きが回復するのが一つの目標だから良い傾向だ。
誰かが「yottinと同じ病気で、もっと重い人が積極的に活動したり、酒も飲む、タバコも吸って実に前向きにやっている、yottinも元気を出して『酒は飲まない』『あれはダメ』などと言わないで前向きに生きた方がいいよ」という。
だから「それは前向きじゃないよ、不安を隠すためにカラ元気をだしたり、酒で紛らわしているんだ
長い目で食い物や飲み物に気を付けて、医者の言うとおりにやって長期的な回復に向かう方が積極的なんだよ」と言ったら、納得してくれた。
それから、友達の中にもケガが絶えなかったり、次々と入院する人がいる、見ていると彼は私の何倍も無茶な性格で「おれはいつ死んでもいいんだ」が口癖だ。
「ああ、死んだ方がいいだろう、楽になるよ」と言ってやる
でも無責任に死ねる奴は結構だ、何のしがらみがなければ尚更結構
でも私は、自分勝手に死ぬわけにはいかない、守る者があるから。
でも命は自分の力や思いだけではどうにもならない、結局は天の神様にお任せするしかないのだ
必要なら、あと25年生かしてくれるだろう
天の思うままに、風の吹くままに、あとはできる努力をして一日一日を大事に生きて行こうと思っています。
病室からの風景
「入院記録」終わり
19日間の間、15人くらいの友達からかわるがわる励ましや、いたわりのメール、LINE、電話が来た
スマホを持っているだけで動けなくても連絡できるのだから、良い時代になった。
おまけに同日に、同じ病院に入院したともだちまでいたのだから、大阪の姪の言葉でないが「どこまで友だちなん?」である。
入院時でこれだから、退院後も電話は止まず「いつ会える?」「退院祝いだ飲もう!」とかびっくりするようなメールや電話も来る。
中姐さんの訪問は何とか食い止めたが、昨日は大きな声が玄関に響いた
後輩で50年来の友達、日本そば屋の親父だった
しゃがれた声で大声と来てる、「上がれ」と言っても「すぐ帰るから良い」と言いながら20分近く話していった
彼も大腸がん手術では1年半の先輩だから、その経験談だ
昨日と言えば・・・退院してから軽い散歩をしている、歩く速度も病気前の三分の一になって超すろーだ、それでも自然の風を吸って、野草を見ながらの平坦な道の散歩は気も晴れる
家を出て道を少し歩いて大通りにでて曲がれば、すぐに「友達のつーくん」の家がある
夕方5時、通りかかったらちょうど娘さんが駅前のオフィスから徒歩で帰って来たのに会ったので、声を掛けたら、びっくりした顔で「あ~~よっちゃんだ わあ元気そう 良かった、うれしい」と両手を開いて近づき手を握ってくれたのでびっくり
若いお嬢さんに手を握られるのは、もう4年以上ない、声を聞いて、今度は奥さんも出てきて握手してくれた
「今、おとうさんも呼んできますから」というから、凱旋将軍や大谷翔平じゃあないから「いつでも会うから、いいよ」と断って、散歩を継続した。
つーくんは私の入院中、何度も無事を祈って神社でお参りしてくれたそうだ、ありがたい。
散歩初日は、用水のある農道を往復したが、この日は終点近くから右折して長方形のルートに変えた
距離的には300mくらい多くなるか
歩いていたら、同級生の畑があって同級生が隣の畑の人と話していた
声をかけようかとも思ったが長話になれば体にも良くないから、知らん顔して通り過ぎた
そうしたら同級生旅行会メンバーの一人の、奥さんが犬の散歩でこっちに来た
お互い顔を知らないし話したことがないが、犬は私を知っていてすぐに尻尾を振ってやって来た
私も手を出してぺろぺろ舐めさせた
奥さんは知らないから「うちの犬は誰にでも愛想が良くて、すぐ近づくんですよ、吠えることもないし」と言ったが、私と犬は顔を見合わせて暗黙で笑った。
そこからまた右折して、フーテンの寅ネコが住み着いたカフェを横切ったが、薄情者は姿を見せなかった。
この日は、妹が富山の朝日町の眼科で白内障手術、結果を聞いて、そのうち私もやるかもしれない
だが眼科不足で予約を取るのも大変らしい、一か月、二か月待ちだという
私が入院した病院でも眼科の先生が一人で、こちらも長期の予約待ちらしい
歯科は4席あって、次々と患者をこなしていたが、町には歯科医と内科医は不自由しないが産婦人科や眼科が足りないで困っている
田舎の医療体制はまことにお粗末で、「長生きしたければ都会に引っ越せ」という言葉をみんな知っている。
散歩途中で摘んだ花を花瓶に突っ込んでみました
甲越軍記、そろそろ再開しようかと思っています
病院では原本も無く、ましてスマホではとても無理
マイクモードにしても大部屋ではダメ、面談室でも人がいますからねえ
パソコンなら、ばしばし打てるのでやはり家でないとだめですね。
今日は、これまでのまとめ
日本の16世紀はまさに全国で戦の無い場所は無く、特に前半は今でいうところの市や郡ごとに地方豪族が居て、隣の郡や市に攻め寄せて、敵を皆殺しにするか支配下におさめて拡大していった
16世紀、中期にはかなり大きな単位にまでまとまり、現代の県ひとつを支配する者が現れた
甲斐(山梨県)では、源氏の一族である守護(県知事)武田信虎が一国を支配した
さらに信州(長野県)で反抗する同じ源氏の一族を攻めて滅ぼして、長野県の佐久地方まで占領した
だが信虎は異常なほど残虐を好み、領民を恐れさせた。
これを止めようとして諫言する代々の重臣たちさえも、一刀のもとに斬り捨てる暴挙、もはや誰も諫言する者はいなくなった。
そんなとき、信虎の長男が誕生した、勝千代、後の武田信玄である
子供の時から利発で大将の器であったが、信虎はこの利発さを嫌い、次男に家督を譲る算段を始めた
一方、信虎の悪行に辟易していた正義の家臣たちは勝千代を立てて、信虎を追い出すクーデターを計画していた
そしてまんまと信虎を親戚の駿河(静岡県)の今川義元に頼んで信虎を幽閉することに成功した
謀られた信虎はあきらめて人が変わったように趣味一筋に生きるようになった、生涯甲斐には戻らなかった。
武田家の惣領となった武田晴信(勝千代)だったが、若さを侮って信州の村上、小笠原、諏訪などが攻め寄せて来た
しかし晴信は優秀な家臣団によって勝利を続けた
そのうちに三河から山本勘助を迎え入れて軍師として遇した、勘助はさらに上州にいたこれも参謀の真田幸隆を武田家に引き入れた
これによって武田家は武力だけでなく、作戦面でも敵を勝って、ついに諏訪を滅ぼした
上田の村上義清は難敵で、上州(群馬県)の上杉(当時は謙信とは関係ない)と手を組んで、軽井沢の武田勢を挟み撃ちにしたが、武田の老臣、板垣信形の獅子奮迅の働きでこれを破った
こうして晴信は、いよいよ最大の敵、村上義清との決着をつけようとするのであった。
同じころ越後(新潟県)では守護代(守護の代官)の長尾為景が反乱を起こして、守護の上杉を殺した
越後は為景派と上杉派にわかれて内乱となった
上杉派は上州からも兵が集まり大軍となった、為景は劣勢となって越中(富山県)へ逃げたが、味方と思った越中勢も為景に向かってきて、家臣たちの多くが討死した
為景は、ようやく船で脱出して娘婿のいる佐渡に逃げ込んだ
ここで一年ほど忍んでいたが、越後の味方、高梨播磨と連絡を取って反撃に出た、そして勝利を重ね、味方も増えてきて各地で上杉勢を破り越後の過半を手に収めた。
そんな戦乱の中で為景の四男が生まれた、虎千代と名付ける、後の上杉謙信である
為景は相変わらず管領、越後守護の上杉勢と戦っていたが、柏崎には為景でも破ることができない名将、宇佐美定行がいた
そして膠着状態になり、為景は越後守護と和睦して、さらに宇佐美とも和睦して越後は平和になった
為景はなぜか利発な虎千代を嫌い、とうとう林泉寺に僧として入れた
しかし虎千代は、まったく出家の気は無く、近所の百姓の子を集めて戦ごっこに明け暮れた
ついに林泉寺住職も虎千代に武家の血が濃すぎると為景に帰した
怒った為景は、度胸試しなどさせて諦めさせようとしたが、虎千代は子供らしからぬ勇気と度胸と策略をもった少年だだった
為景は平凡な長男の脅威になると恐れて、虎千代を中越後の三条に追い出した。
それから為景は自分を裏切った越中勢を攻め滅ぼそうと、宇佐美と共に攻め込んで連戦連勝の勢いで、滑川まで攻め寄せた。
以上ここまで書いた、ここより再開することになる。
ありがたいことに私は誰かに守られている気がいつもするのだ。
今度の突然の発病だって、一日前なら長野の山の中か、高速を走行中だったし、一日後なら新潟市を目指して各駅停車の電車の中の可能性が高かった。
それが中間の日、家にいたのだからラッキーとしかいいようがない。
入院中は同室の温厚なMさんと歩いて、部屋に来てからも話した。
私の母の生まれた町の人だった、時代は違うが母と同じ工場で働いていた、今は詩吟を教えているそうだ、町の文化団体の会長もやっている趣味多彩の方だった。
年齢は82歳、また80代の仲良しが出来た。
畑も最近始めたと言うから、畑レベルはおなじくらい畑談義で盛り上がった
脳梗塞で入院したが幸いに、私が見ても聞いても普通で、軽症で済んだらしい、リハビリも、ほとんどする必要がないらしい
幸いである、退院も近いだろう、他人ながら嬉しい。
私が退院の時、病室からナースセンターまで一緒に来てくれて、手を振って見送ってくれた
病気になっても、こんな出会いがある 同じ町に住んでいるから、また会うこともあるかもしれない
私には全知全能の神と、私を創っている体内宇宙の住人達、二つが生まれた時から私を守ってくれている
中学生の頃から、そう信じてきた
大宇宙のあらゆるエネルギーと私の体内宇宙を結ぶ、そして潜在能力を引き出し、自然治癒力を高める
信者は私一人、私だけの自分教
陽光に向かって感謝を伝える。
北陸道金沢付近に現れたダブル虹のトンネル
去年の秋
もうしばらく入院ネタが続くと思います
夕べは22時に寝て、目が覚めたのは4時、もう遮光カーテンの外は明るい
病院では手術後は夜、何度も起きて実際には3時間くらいしか寝てなかった、それでも昼間寝れるから焦ることも無かった
退院がほぼ決まってからの2日間は、グッスリ眠れたからやっぱり心境の変化は起るのですね。
4時に起きてカーテンを開けて脳を目覚めさせ、それからブログを書き始めた
5時に台所へ行って自分の朝食の準備をして、6時から庭に下りてスズメのちゅんたたちにエサやり
相変わらず数十羽のスズメたちが入れ代わり立ち代わりやってくる、愛くるしくてベランダから見ていると何もかも忘れてしまう。
7時から30分、畑をかまって、それから朝食をとった
バターを使わずオリーブオイルで焼いたオムレツ風卵焼き、野菜料理2品、具の無い味噌汁、全粥
その後はドジャースのしょうも無いゲームを見て「時間の浪費」と愚痴って
もう昼飯の時間なので近所のスーパーへ自分の一週間分の材料を買い出しに行った、多すぎてしかも歩きが遅くなったので30分もかかった
物価上昇は半端なく、さすがに年金暮らしに響く
本当はスーパーAが良いのだが、今日はスーパーBが5%引きなので、そっちへ行った
5000円買って250円の割引なのに、すっかり主婦感覚が身について悲しい!
スナックのお姉ちゃんの手を握ってチップを握らせていた俺はどこへ行ってしまったんだろう。
そしてレジで待つ、普段はセルフレジを使うが今日はバーコード無しの野菜が多いので誰も待っていないレジに
そして割引カードを出して待っていたが店員の反応がない 「割引は?」と言ったら「明日ですよ」
おかしいな女房殿は今日だと言っていたのに、そして帰って来てそれを言ったら
「やだ、今日はスーパーCの割引の日だよ」
女房殿が昨日独り言みたいに言ってたのを聞いて、かってにスーパーBだと思い込んでしまった。
食事が終わって昼寝を一時間、それから30分、農道を散歩した
歩いているうちにこわばったからだがほぐれた、可愛い花が咲いていたからかな
外の空気はやっぱり良い
大姐さんは昨日か一昨日、登場した86歳の寅子さん、今日は76歳の中姐さんから電話が来た
「あんた元気なの、いつ退院するの」と来たから(おかしいな昨日、寅子さんに言ってくださいと言ったのに)、「昨日、退院したよ」と言うと
「あーらあら、そうなの」「寅子さんに言ったんだけどね」
「そっか、私だけ知らなかったんだ」とすねるので、「まだほとんど知らないよ」
そしたら元気が出て「じゃあ会えるね、寅子さんと行くわ」
「ちょっと待ってよ、まだ退院したばかりの重病人なんだから今日明日はダメだよ」
「じゃあ、いつならいいの」、ああ、いよいよ彼女の独りよがりペースが始まった
「最初の外来日が18日だから、21日ころならいいよ」
「わかった、その頃行きます、一度あんたの家に行って見たかったし」
「それは結構だけど、寅子さんと二人だけだよ、それ以上はダメだからね」
「わかったわよ、じゃあ切るね」
相変わらずマイペース、一人っ子で何でもマイペース、芸事の師匠をやっている割には・・・人の気持ちがわかっていない
まあ、彼女とは昔からよく遊び、よく口げんかする仲だ、かれこれ20年近い付き合いだった
だけど、彼女も若い時はナースだったのに、患者の気持ちわかって無かったのかなあ
今度は、私と同じ手術をした後輩から電話が来た、さんざん私を脅して満足して電話を切った
そのあと妹がやって来て、あれこれ今後の話などして見舞いを置いていった
既に話題のスニーカー、無線のスマホイヤホンを入院中に買ってくれたのに、どこまでいい奴なんだ、妹夫婦は。
そして、もう夕食作りの時間になった、今夜はパン食で食パンの薄いのを1枚、牛乳に浸して食べる、おかずは湯豆腐、野菜と春雨、焼き魚だ。
それから畑に下りて畑を一回りしてマイルームに入った。
ああ、もう21時になった 短かったか、長かったか
それは中身の詰まり具合で決まる。