神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

今日は検査の第二段、大腸の内視鏡検査

2024年06月25日 19時22分54秒 | 病気と健康
 大腸の腸閉塞だったため、その先までカメラは入らず検査できなかった
開通したので今日は大腸と小腸の境目までカメラを入れて検査した(1.5mくらいあるらしい)

9時に病院で受付、血圧を測り、自販機でペットボトルの水3本買ってくるようにと言われた。
それをもって案内されたのが普段いかない廊下、そこに4畳半の畳の部屋があって、向かいはトイレになっている。
「ここで下剤を飲んでもらいます、15分ごとにコップ一杯で1時間かけて4杯飲んでください、終わったらペットの水、1本飲んでください」とのこと
テレビもあるし、クーラーも効いているし悪くはない、ちょうどドジャース戦が始まったばかりで時間もあるし、ゆったりしようと思ったら「部屋の中を歩いてください、廊下に出て歩いてもいいです」
歩いてばかりいれば飲む時間が無くなるし、なかなか面倒
コップ一杯(250ml)簡単そうだが、後に行くほどきつくなる、幸い味はポカリスェットみたいで美味しい
妹に「美味しい」とラインしたら「笑える!」と返事が来た。
ともあれ、無事1L飲み干し、野球もゲームセットまで見ることが出来た
飲めばよいというものではない、目的は腸内洗浄だから、しかしそれもうまくできて、午後2時近くなって、いよいよ本番の内視鏡検査となった

まずは着替え、シャツ以外全部脱いで、後が空いている大きなパンツに履き替え、上から入院着を着る
ベッドに横たわり、左を下にお尻を突き出して、いよいよカメラ挿入した
最初はとうぜん違和感あるが、そこを通りすぎればあとは数センチずつテンポをとりながら奥へ奥へと進んでいく、空気を入れながら進む
私の感じでは空気と言うより水を噴射しながら進んでいる感じ

私も緊張しないように吸う吐くの呼吸法で気持ちを落ち着かせていた
痛さもないし、ただカメラの先端が下から上に左から右へと進んでいくのを感じる、奥の上部へ来て、ようやく少し不快感を感じたが、「私の彼は左利き」を頭の中で歌って気を紛らわしていた。
「ここが大腸と小腸の境目ですよ、これから抜いていきます」
ここまでで20~30分くらいかかった
抜くのもゆっくりだが、入る時よりはずっと楽だ、途中で横向きからうつ伏せになって、左足を立てて右足をその上に組むヨガみたいなポーズを取らされた
そのまま15分くらいか「足痛くないですか」と看護師さんが聞く
痺れたと言えば痺れているのか、鈍感だから痛いとか辛いとかあんまり感じない「大丈夫」と返事をした。
いよいよカメラが下がって来てS字結腸の手術現場あたりからが辛くなった
今回一番のピンチ、直腸から肛門も同じ、結局、体のセンサーが異物(カメラ)を感知して出そうという働きになる
ところが技師は、1cm、2cmとゆっくりしか進まないから、この時間が一番長かった、流石にここだけは手をぎゅっと握りしめていた、
「終わりましたよ、今日帰れますよ」この言葉を聞いてホッとした。

その後、40代くらいの技師先生から画像を見ながら説明を受けた
なかなか私の大腸はきれいなピンク色をしている、画像を見せていき「がんの転移はありません、この写真のように小さなポリープがとびとびに三個ありましたが、数ミリですし特に問題ありません、抗がん剤治療が終わった後で、ゆっくり考えましょう」
ポリープ写真に一枚だけ灰色の写真があった(これはちょっと問題個所では?)と心配になって「この部分だけ色が悪いのは何か問題・・」と聞いた
「ああ。これですか、見やすいように色を変えて画像処理しただけです、他と同じようにピンクですよ」だって、心配してしまったよ。
「今日はこれで、お帰りになって良いです、お疲れさまでした」
マイカーが私の失敗でトラブって迎えに来てもらえず、タクシーを呼んで帰って来た
こうして無事に家に帰ってきました、神様と仏様に感謝をしました。

まずは第一弾安心した、来月2日にはMRIの検査発表がある、それまでまだ気が抜けない,
昨日の昼、今日の朝と昼もご飯抜き、昨日の夕食も軽く五分がゆ、すっかり腹が減ったが、今日の検査で腹の中には米粒一つも無いから、急激に食べるわけにもいかず、夕飯もソーメンを軽く食べて、ヨーグルトとお団子一本でお終い
明日の朝は少し食べようかな。

野生の鴨が2羽飛んできて川に下りた、去年もいたなあ





「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (122) 長尾家 35

2024年06月25日 15時39分38秒 | 甲越軍記
 ここ信濃、甲斐の国境白峰の麓に二郎吉という若者がいる
五歳の時に父母と離れ、叔父に養われていたが幼い時より腕力強く、大胆不敵な童子にして、尋常の子供の遊びには親しまず、常に山野を駆け巡って猪、猿を相手に修練すれば、叔父はこんな風に勝手我儘な二郎吉を説教すれども、聞く耳持たず、あきらめて放っておいたが、次第に二郎吉は家に寄り付かぬようになった。

この辺りは山深く、峰々が幾重にも重なり、谷が幾筋も流れ、人が入るなど稀な場所である。

悪鳥、猛獣の棲み処となってはびこる、里を襲って幼子を連れ去って喰らうことも度々で、この度は叔父の愛子までも連れ去られ、夫婦は嘆き悲しみ「せめて亡骸だけでも」と言うのを二郎吉が聞き、悪鳥を殺して叔父夫婦の嘆きを慰めようと、悪鳥が巣くう奥山の断崖絶壁を目指した。
夜は岩を枕に、昼は谷を下り、峰を上って進むこと十数日、あてなき冒険であるが人跡途絶えた大山に至ると、森は深く猿も容易に動けぬところである
渓は深く、峯高く、爆風の大滝は斜めに飛び散る様であった
その時、頭上にさ~っと一陣の風が起り、二郎吉の体も傾くほどであった
怪鳥のけたたましい鳴き声が響き渡り、上を見るとまさしく二郎吉が求める人食い鳥である。
鳥は二郎吉を歯牙にもかけず目の前の大木に止まり、いずこかで捉えて来た幼子を引き裂いて食べようとするのを、二郎吉はさっと槍をしごいて思い切り鳥に差し込めば、鳥は驚いて幼子を離すと、子は谷底に落ちていった。
怪鳥は二郎吉に向かって爪を立て、掴もうと襲い掛かって来たが、怪力の二郎吉は逆に鳥の足をむんずとつかんで離さない。
片手で足をつかみ、片手で槍を繰り出し首を貫いた
流石の怪鳥も首を上げて飛び跳ねることもできず、羽を羽ばたかせて吠え猛る声は山野に響き渡った
二郎吉はここぞと、腰刀を抜いて飛び掛かり、所かまわず突きまわれば、ついにも猛鳥も息絶えた。
一息つくと谷底から幼子の泣き声が聞こえて来た、二郎吉は驚き、生きているならばこれを救おうと、深い谷を蔦につかまり、岩に足をかけて下って行った
谷底に下りると三歳ばかりの子であった、このまま捨てておくのも哀れと、子を懐に入れて、また崖を上っていった
途中で息絶え大鳥をひき担ぎ峰々を下れば、ようやく山道に出た
この時、ちょうど景虎らの一行がこの道を通りかかって、二郎吉と出会った。