神保並びに越中諸将の起請文を見て、常陸介は心を決した
元より野心満々だった照田親子である、早々に味方を募ると。八条左衛門大夫、風間河内守、五十嵐小文四、野本大膳等と時節を計っていると、府内の諸将諸兵は相次いで三条征伐に府内を発向していった。
これにより、城内は空虚となり「これぞ天が与えた好機なり」と常陸介は喜び、兵を揃えて整え、天文十一年三月十三日の夜、にわかに府内の城を取り囲み、冑の兵らは一斉に城内になだれ込んだ。
城中では「すわ、なにごとぞ!」、晴天の霹靂、もってのほかに驚き、甲冑をつける間もなく、素肌の上に太刀を履き、城門に切って出て一人も城内に入れぬ構え、切っ先揃えて黒田勢を切って落とす
三度まで押しては引き、引いては押す展開に、黒田和泉守は大いにいらだち「不甲斐なき者めらめ、敵は素肌武者と言うに、ここまで支えられるとは、打ち入ることの遅かりし、悪清水はどこぞ、五十嵐やあるか、あれを蹴散らして攻め入れや」と馬を乗り回して下知すると、黒田勢の中より、悪清水主計、五十嵐左近、伊益藤九郎、藤波八郎、遠藤新一、片島鬼三、北川六助等の勇士十八人、太刀をかざし、槍をひねり、どっと声を上げて攻め入れば、勢いに押されて長尾勢は十六名まで討ち死にした。
この勢いに長尾勢は少し引けたと見るや、黒田和泉守は士卒を率いて、どっと攻め入れば、長尾勢も金津新五、松本半二、安田熊七ら勇士が口々に「これは君の御大事ぞ、いつまで命永らえん」と叫んで、黒田勢の中に切り込んだ
その激しい戦ぶりはすさまじき有様である
照田常陸介の勢も、黒田勢に続いて城中に攻め入り、本丸めがけて駆けのぼる
城方も必死にこれを防ぐが、敵は甲冑武者、こちらは素肌、心は猛っても人数に於いても劣勢なれば討死、手負いは数知れず、東西に別れ、南北に引き裂かれて囲まれ戦う
金津伊豆守、八条左衛門、野本大膳は搦め手より本丸を目指す
長尾勢の大半は大手口に戦っており、搦め手には僅かな兵が守るだけであった
敵の勢いに、搦め手はたちまち打ち破られた
長山半三、佐藤伝助、井口久作ら三十余人は敵を防がんと一文字に割って入り、群がる敵をものともせず、前後左右に追いまくり、敵五十余人を切って落とし、ついに全員討死する。
大将、長尾弾正左衛門晴景は物音を聞き、ただちに小具足に弓矢を手ばさみ、座敷に馳出て「敵は越中勢か、はたまた裏切りか」と問えば
近習の士、藤島晴丸馳帰り、「照田親子が反逆を企て候」と申すを聞き
「さては喜平治景虎が申せし言、真となったか」と悔やみ、近習の士に本丸を守らせて自身も防ぎ矢を放ったところに、二男平蔵景康もやって来た。