神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

入院記録 退院しました

2024年06月04日 21時05分21秒 | 病気と健康

朝飯が待ち遠しい深夜三時

寝そけてしまった入院患者

暇つぶし考えるうちに寝ている

朝が遠い 今日は雨降り

(雨の夜の思いを書きました)

今日の午後3時頃に19日ぶりで帰宅しました

家に帰ると途端に体をかばうようになって、行動がスローになっています

やることがたくさんあって、まとまりません

それでも畑から始めました、三週間近くなるのでずいぶん大きくなっています

女房殿と妹で管理していてくれたので思ったほどひどくはなっていません

明日はスイカを整理します、ソンキョの姿勢を取るのは怖いので椅子を用意して座ってやります

一本できたキューリが今朝は丸々無くなったとのこと、たぶんカラスかと思い、今日は防鳥の仕掛けを作りました

野菜はもう少し芽かきと追肥が必要なので。これも明日

私の部屋の様々な書類や道具は乱雑にしまってあるので、これを断捨離と分類して誰もがすぐに「ここに在る」とわかるようにしたい、これも明日以降の仕事

自分の食事は一週間は自分で作ろうと思っています、病院食を参考に作って一食30分かけてよく噛みます、週に一回は麺の日、二回はパンの日を作ってこれが主食、これ以外は全粥です

 たんぱく質の主菜は魚か肉料理、副菜は野菜料理二品、デザート、ドリンク(牛乳/ヨーグルト)こんな献立です。

消化が良いように、細かく切って柔らかく煮る、とにかく内臓に負担をかけないように

 

あとは買いものとか人込みには一か月は行きません、但し2000歩くらい平坦な農道を散歩します

たまったビデオも見たいし、掃除もしたいし、まだまだ大変です

入院中ブログのコメントをいただいた皆様【アナザンスターさま、からくさま、ごんべいさま、経験者さま、りんごさま、6x6さま、wadaさま、ビオラさま、ゆり3さま、09634さま、ゆーたさま、イケリンさま、トナトラ(コマツ音楽教室さえ先生)】

とても力強い励ましになりました、回復の力をいただき励みになりました、ありがとうございます

これだけの大病だったので安心はしていません、常に体調に注意をして無理せず、やわやわと強い体に戻したいと思っています

体重も入院前の68㎏が実質65㎏になった程度で、顔は多少つかれていますが、やつれはありません

歩くのも平気ですし、回復の足掛かりになりそうです

ブログもおいおい元の形の戻したいと思っています。 ありがとうございました。

   

 


入院記録 決断、生死の分かれ目

2024年06月04日 07時07分58秒 | 病気と健康

腹が渋るが通じが無く、冷や汗が出て貧血で起きていられなくなる

以前も二回、同じ症状があり二度とも三十分後には収まった。

しかし今回はなぜか、治らない感じがして救急をそく決断した

三度目の正直、その決断で助かった。

また、その夜は内科医が二名待機していて、ほかの救急患者もいなくて早い手当が受けられた

深夜3時まで、手術並みの六時間の緊急バイパス処置をうけられたのは幸運としか言えない

その後も適切な処置を受け、内臓が手術を受ける状態になるまで10日間気長に一日二回の腸内洗浄作業を続けてくれた

そして、その間に3人の担当外科医から手術の心得を聞き、信頼が高まっていき、安心して手術台に上がった

麻酔科部長も信頼に足る女医先生で安心して任せられた

あとは目が開けば、そこが数時間後の現世か、はたまた時も無いほど経った今の記憶が失われた転生界か

しかし幸いに現世に帰ってきた

すべてに置いて運が良かった

 

退屈な時間は、ブログ、野球、小説を書いて過ごした

大谷はさえないが、西武は久しぶりに見たら3年目の滝澤(新潟県上越市=育成2位)が二番サードで出場昇格6試合のうち5試合で安打、一昨日まで打率、333だった

早い打球もファインプレー二つ、低迷西武の目玉になるか?

 


入院18日目の2 入院生活の楽しみ方

2024年06月03日 19時38分24秒 | 病気と健康

四人部屋の大部屋も当たり二つに外れ二つ

窓際が当たり、廊下側が外れ

決めるのは病院だから、三度の部屋替え全て窓際の私は、やはり運が良い。

今朝も三時半に目覚めた、窓の外が早くも朝の気配だ。

これが朝飯の8時前になれば、窓の外の景色はまさに

はるはあけぼの やうやうしろくなるやまぎは すこしあかりて

むらさきだちたるくもの

ほそくたなびきたる

 

そのものである

東西数百メートル、南北十数キロの渓谷を眺めていただく病院食は、他では味わえない、おいしさがある

ああ 人生の休日

こんなことも、幸せのひとつなのだ。

 

楽しみといえば人との出会いも

入院中には4つの部屋替えがあったが、最後に入った部屋でしりあった80台のmさんと意気投合

一緒に廊下を散歩して、窓際で長話をしたり、部屋でも親しく話すようになった

なぜか私には80台の友達も多い、年上の人は許容量があって話しやすい

mさんも私にはスマホ操作を相談に来たり、寅に翼を一緒に見たり

二人とも退院話が出てきた、今度は街角でまた再会出来るかも知れない。

 


入院18日目 看護師の仕事

2024年06月03日 07時05分16秒 | 病気と健康

今朝六時半、久しぶりに地震があった、震度3

梅ソースで遊んでみた

看護師、介護士の別がよくわからない

言葉では何となくわかる、看護師は医療行為、検査を医師のサブ的に、行う

介護士は、患者の身の回りの世話をする、と思うがどうか?

ただ、この病院を見ていると、その区別がないほど看護師さんは忙しい。

飛行機のスッチー同様、仕事は多岐にわたる七変化

朝は朝飯前に病室をまわり担当患者に、今日の昼担当の誰々ですと挨拶しながら血圧、体温、血中酸素、問診を調べていく

そのあと、前掛け手袋で朝飯を配る、終われば食器回収、そして担当患者からナースコールが鳴る度に忙しく飛び回り介護や補助医療をおこなう、常に笑顔と励ましを絶やさない

トイレ、入浴、排出、歩行訓練の補助的散歩、薬配り、点滴交換、採血、時には泣き叫んだり、怒鳴ったりする軽度の認知患者の対応、部屋替え、頭洗い、救急患者対応、と仕事満載だ

正直、入院経験がなかった私は目から鱗だった

世間の噂では、この病院の看護師は年齢高く性格悪い看護婦ばかりだと聞かされていた

だから印象は最悪だった、しかし体験してみて20代から50代くらいまでバランスよく配置され、先輩は後輩を現場で指導しながら経験させている

私の手術の日も中堅と新人が手術室まで励ましながら、付き添ってくれて心強い

、少ない人数でほぼ二交代で昼番、夜番を交互にやっている

できれば人数を増やしてあげてもらいたいが人口減少著しい田舎では若者不足だ、他市町村からも来ている看護師は多い

元気いっぱい笑顔で対応してくれる看護師さんに感謝感謝の毎日だ、看護師さんありがとう。

 


入院記録 運の強さ

2024年06月02日 19時07分11秒 | 病気と健康

まさか74歳で、こんな大病にかかり手術とは思ってもいなかった、しかも突然。

宿直内科医による深夜の6時間の緊急バイパス施術、10日間毎日二回の大腸洗浄作業、9時間に及ぶがん患部摘出手術と大腸や細かな血管群の縫合外科手術。

だが逆に早くてよかったとも思う。

歳行ってからなら果たして耐えられたのか、完治したのか?

今だから25年先まで語れる、80歳なら先をかたれたか?疑問だ。

はっきり言って病気を舐めていた、健康診断は受けていたが、基本だけ、内臓の病気なぞならないと思っていたから、がん検診も受けなかった

そして挙げ句、このざまだ

でも良い体験をした、運良く順調にきているが少しずれれば命の危険もあった、また人工肛門で余生をおくることになったかもしれない

神様に守られ、我が体の仲間に助けられ、自然治癒力と潜在意識に救われた。

また優れた外科医トリオに最善の手術をしてもらい、麻酔医の最高技術で少しの痛みもなくすごさせてもらった。

 

思い起こせば、始めての手術で何もわからず、医師説明で質問あるかと言われた時、ありません、全てお任せしますから最善の手術をお願いします、と任せた。

麻酔医にも、痛くないよう、お願いしますと頼んで手術台に上がった。

 

不思議だが手術前の10日ほど手術を考えたことがなかった、全てを神様と医師に託すことが出来たからだ

むしろ急な入院でやりのこしたことが多く、家族への迷惑が気になり、手術までに思い付くことを毎日書きしるすのが仕事になった

退院したら、私なしでもだれでもわかるシステムを作ろうと思った、ソレだけでも入院した価値がある

さまざまな生活改善が浮かんでいる、本当に貴重な体験をした、これからは自分の体を労り、大切にしたい

一日一日を大切に生きたい、欲も出さず、自然が示すままに生きる

天命を受け入れ、心と体を自由に遊ばせる、力を抜いて生きれば今度のように良い結果が待っているかもしれない

眠れなければ眠る努力はやめて、起きれば良い

体が求めていれば起きているうちに寝てしまう

そんな事ができる歳になった

歳とることも悪くない

そんな生き方をしよう。


入院記録 同病傷をなめ合いましょう

2024年06月02日 09時01分02秒 | 病気と健康

何度もブログに登場した一まわり歳上の寅年の大姐さんAさん86歳が、あなた聞いたわよ、たいへんだったんだねぇ、と電話をくれた

K子さんから、あなたの入院を、お聞きして腸閉塞と聞いたから、私と同じ手術じゃないかと 電話をしたんだよ、奥さんにかけようと思ったけど、泣かれる可能性もあるからやめたんだわ。

彼女は若い時は、保母さんで女房殿の受け持ちだった

現役時代は高級着物チェーンの店長、今も背筋が伸びて着物が似合う

 

彼女は私と同じ寅年、回りくどい話し、駆け引き嫌いのストレートな性格だからありのままに、腸閉塞で 緊急処置の トンネル作りまで同じ しかも S 字結腸 にできた 大腸のガン

外壁に迫る深くまで浸透、これで少しガク!ときたが、しかしその性質、範囲などからステージ2と聞き少し安心

部位が直腸に近いため人工肛門手術になる可能性も言われ、ママよ、神様に全てゆだねるだけだと会得した、と伝えたら

何ということでしょう、何から何まで私と同じ、つらかったでしょ、痛かったでしょ、と涙声になった

下手な男くらい吹き飛ばす怖い大姐さんだが、情に厚く涙もろい

彼女も去年、大腸がんの手術をしている、高齢なので治りは遅いが、持ち前の根性で弱音をはかぬ

きけばいちいち驚くほど同じ病状で、ますます共感が湧いた。

治ったら同病者同士で食事会でもしましょう、と言ったら

そうね、同病あい憐れむ---じゃないわ 同病傷をなめ合いましょう

と、来た。

こりゃあ、何とか会の結成かな。

 


入院記録 閑話休題

2024年06月01日 07時05分57秒 | 病気と健康

手術終了時に見ていた夢は内容は忘れたが楽しい夢だったことはすでに書いたが、それからも奇想天外なアクションドラマの連続だ。

追われたり、命の危機に出会ったり、それに逆転勝ちしたり、しかも私を裏切るのは友達だったりと、支離滅裂なのだ。

私も、すっかり危機に慣れてジェームズ,ボンド並に、愛した女や、友を非情にも半殺しにしてしまう強さをみにつけた。

だが今朝の夢は、そんな殺伐としたものではなくバラ色ムービー

なんと結婚したのだ

海辺の家に暮らしていて、私はなにかをつくっている、干物なのか手仕事だ、そして女房は誰とお思いか?

なんと限定はできないが、佐久間良子か、三田佳子のどちらかだ、どっちにしても、よしこさんだ。

友だちが私の奇跡的幸運をくやしがって、歳を取ってるとか挑発するが、おまえの畑のジャガイモを持ってきて比べて見やがれ、と私は勝ち誇る、女優って奴は年取るほどに円熟する、それが女房だからたまらない。

昨日、すべての縛りを外してもらっつったが背骨の麻酔もはずしたので腹の中が張って苦しくてしょうがなかった、10日ほど点滴のみ、また2日間ジュース、重湯だったので、いきなりの、ごちそうに油断していた内臓があわてたらしい

昨夜は、足の血流が悪いのか怠くて何度も目が覚めた。

夜中にトイレの入り口付近でストレッチを10分くらいやったら温かくなって寝た。

自由になったら、ますます時間が余る、それでライフワークの一つ、父の伝記を大学ノートに手書きで始めた、一気に8ページ書いたら20時だ、周りで寝息が聞こえ始めて辞めた。

これは良いことを思いついた、入院中に完成できそうだ。

夜、年下の、印刷会社の営業所長の友達から、どこで聞きつけたか、退院したら祝宴しましょうメールがきた。

やだね!、退院したら出家のような清らかな生き方をする。と返事したら、出家ですか寂しいですね、男版瀬戸内寂聴ですか?

い、それいいね、きみの会社から出版だ、ベストセラーになったら山分けだな。と返信

良いかんがえです、是非、と覚めた返信が来た。