「侘助」と思っていたい花なのですが、タダの「椿」の類いかもとも・・・白黒つけようとは思っていないという事ですね。
今年は、案外、暖かな冬のように思えるけれど、わが家の他の「椿」も、例年より開花が遅いような気がするのは、やはり寒いのかな?
とは言うものの、ここ数年、椿の木に大胆な(無謀な?)剪定をしているので、樹力が衰えているのかも知れません。
「同級生遊びの会」の新年会開催も、このコロナ感染者の急激な拡大を思えば中止せざるを得ないと判断・・・新年を迎えて最初の「遊びの会Zoomで飲み会」に於いて、メンバーに通知した。
皆、その意見に同意はしたものの、一方では、やはり寂しい思いがするようで、コロナ禍で延期になっている正式な同窓会の開催を待ちわびているという意見も出た。
昨年暮れに、同じ遊び仲間の同級生を亡くしたことが、結構、心を騒がせる要因にもなっているのだろう。
人間て、便利な(Zoom等のツールをして)だけでは心が満たされないものなんだなぁ・・・と思うこの頃である。
先日の事、亡くなった彼の親友でもあり、遊び仲間でもあった仲間の一人が、失った悲しみに追悼を込めて・・・と、自らが記した短い文章(投稿するそうだ)を見せてくれた。
その心境に感動し、共に涙するという柔らかな心は、既に、私自身には欠けていると自覚はあるものの、ある種、「我が身上の準備」みたいな心境になり、背中をパッシンと打たれた気がするのも事実である。
こうして人間は、知らず知らずのうちに準備をしているのだろうな・・・とね。
それでも、その追悼文は、冷血人間のような私にも心境の変化を与えたらしく、その日、たまたまTVで見ていた映画のストリーに訳もなく涙が出て、おやおや、どうしたの?、私も年だから、涙もろくなったか?と思った。
参考までに・・・
ブラッド・レンフロ(25歳で薬物過剰摂取で死去)が演じた「マイ・フレンド・フォーエヴァ―」という映画で、十代の少年が、隣に引っ越ししてきた病を持つ子供との交流を描いたもので、私自身も、特別、胸が熱くなるという内容でも無かったが、観ていられるという条件に合致して、もう数回も鑑賞していた作品だったのに、かけがえのない友達を失うことの喪失感に同感できるものを感じ取ったのだろう、否、追悼文に刺激されたのかも知れない・・・溢れ落ちるまではいかないものの、絶え間なくうるうるする涙を拭いながら、久し振りに泣けた感であった(もう一つだけ、思い出してもうるうるする作品がある)。
因みに、ブラッド・レンフロはスーザン・サランドン(この女優も好きです)共演の「依頼人」からのファンで、まだ、十代なのに斜に構えた風貌が好きだったけれどね、そうそう、リヴァー・フェニックス(同じく薬物接種過剰で23歳で死去)も同じ感覚でファンだったな。
ま、私の生き方が知れる・・・という事かもね、でも薬物とは無関係、念のため!
3回目のワクチン接種案内が配達されてきた。
2月初めくらいに接種になりそうだが、何となく、当初接種時(昨年5月)程の使命感も義務感も湧いて来ない・・・慣れかな?それとも諦め?
どちらにせよ、何事も始めなければ始まらない・・・の我がモットーに則って進むしかない。