畑の隅に、多分「南高梅」ではないかな・・・と思っている梅の木がある。
一時は、かなりの量、梅の実が収穫出来ていたので、収穫するのも、その後の漬け込みなどの作業が大変だったが、数年前、余りにも大きくなった木をかなり大幅に剪定したことで、現在、殆ど実の収穫はない状態。
でも、新しい枝が成長してきているから、今年は、少し、収穫出来るかも・・・と、密かに期待をしている。
甥の事業の「決算と確定申告」のお手伝い(させられている)状況は、2月前半には中途まで完了してはいたものの、その後の資料が届かないために一向に捗らず、せっかく盛り上がっていたテンションが、すっかり、下がってしまっている。
でも、漸く、昨晩(20日)になって、残りの資料を持ってきた甥に(実際は、兄の為に実務を手伝っている姪が持ち込んだのだが)、とりあえず今月中に、一応の数字を確定する積りだと伝えたので、本来ならば、すぐ作業に入らなければならないのに、まるでテンションダダ下がりの為、今は、持ち込まれた資料を眺めながら、かなり弱含みのやる気UPを図っている状況であり、果たして今月内に出来るだろうか、ちょい不安もある。
それでも、やらねばならぬと言う思いだけで、多分、今日の夜(夜中の方が集中出来る)頃には始められそう・・・な気がしている。
この「中ダルミ」中に、ぼんやりと(つまり集中しないで)「YouTube」を聞き流して(映像はあまり見ない)いた時に、どうしても聞き流せない箇所が、度々あることに気が付いて、思わず映像を見直した。
それは、多分、文章を見ながら(入力するのかな?)「AI」が語っているのだろう日本語がオカシクない?・・・たとえば、「2つ(フタツ)」と言って欲しい場合に「ニツ」と読んで、「ニツ」って何だよ!と思い、「金(カネ)」の場合には「キン」と言うし、まぁ、こんな具合に、ちょいちょい「AIの不完全」さが表れて来て、聞き流しているつもりが、ついつい、集中してしまい、半ば怒りに似た感情さえ沸いてしまうのである。
同じ文字でも、状況により読み方が違う日本語は難しい・・・と言われる所以なのだろうが、聞いているだけの私としては、常にイラつくのだよね。
まだまだ「AI」は未熟なのだと思うべきか、いやいや、実際の「AI」はこんなダサくはないよと認識すべきかは、「AI知識」に疎い私としては判断出来ないものの、発信者が日本人であり(外国人は許す・・・は差別かな?)、「YouTube」など「SNS」で世間に拡散しようとする意図であるならば、ネットにUPする前に、も一度、文章(読み方)を検証してからにして欲しいと思うが・・・これって無理筋なのかなぁ
しかし、「AI」で翻訳をしている場所(部署?)って、実際はどこなのだろうか、それさえも分からないのが私なのだもの、文句は言えないのかも・・・
何せ、暇な人間の代表みたいな私だから、こんなクダランところに拘っているのであって、現在の進んでいるであろう「デジタルテクノロジー」というか「デジタルテクニック」に対して、オカシナ見解をしているのかも知れないよね。
だからと言って、日本語を通常的言語としている身には、イラツキを我慢するのはちょい苦しい。