見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2025年1月関西旅行:中国陶磁・至宝の競艶(大阪市立東洋陶磁美術館)

2025-01-22 21:17:54 | 行ったもの(美術館・見仏)

大阪市立東洋陶磁美術館 大阪市・上海市友好都市提携50周年記念特別展『中国陶磁・至宝の競艶-上海博物館×大阪市立東洋陶磁美術館』(2024年10月19日~2025年3月30日)

 2024年が大阪市と上海市の友好都市提携50周年にあたることを記念する特別展。同館のホームぺージには「本展の主な見どころ」3点が掲載されている。

 第一に、出品作品50件のうち、海外初公開作品19件を含む日本初公開作品22件が含まれており、さらに最高級ランクの「国家一級文物」10件が含まれていること。展示構成としては、第1室「至宝精華」に上海博物館所蔵の12件が展示されており、このうち一級文物が6件だった。元時代の『青花牡丹唐草文梅瓶』とか、展覧会のメインビジュアルにもなっている『緑地粉彩八吉祥文瓶』(清時代・乾隆)とか、黒の濃淡のみで絵付けした『琺瑯彩墨竹茶碗』(清時代・雍正)とか、目を奪われる名品揃いの中で、私が惹かれたのは『釉裏紅四季花卉文瓜形壺』(明時代・洪武)。私はこれまで「釉裏紅」という技法をいいと思ったことが一度もなかったのだが、初めてその魅力が分かったように思った。

 見どころの第二は、清朝宮廷御用磁器の希少なアップルグリーン色の作品が日本で初出品されていること。全く事前情報を仕入れていなかったので、展示室で『蘋果緑釉印盒』(清時代・康煕)を見たときは呆然とした。手のひらに収まるくらいの小さなやきものだが、人間が造ったものとは思えない、絶妙の味わいがある。

 上海博物館の所蔵品は第1室以外にも展示されている。上海博物館には、これまで“空白期”と呼ばれていた明時代・15世紀の正統・景泰・天順の三代(1436-1464)の景徳鎮磁器の優品が多数所蔵されており、第7室「至宝再興」には、近年の研究と再評価によって注目されているこの“空白期”の作品14件を展示する。これが見どころの第三。『青花玉取獅子文盤』(明時代・正統~天順)は、飛び跳ねまわるような獅子のトボけた表情がかわいい。

 さらに「至宝競艶」と題した3つの部屋では、上海博物館と大阪市立東洋陶磁美術館コレクションの比較・共演を楽しんだ。しかし、超一級の上海博物館の優品に対して、ひけをとらない東洋陶磁美術館コレクション、やっぱりすごい。大阪の、いや日本の宝だとしみじみ思った。

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2025年1月関西旅行:大シルクロード展(京都文化博物館)

2025-01-21 22:50:32 | 行ったもの(美術館・見仏)

京都文化博物館 特別展・日中平和友好条約45周年記念『世界遺産 大シルクロード展』(2024年11月23日〜2025年2月2日)

 一年ほど前、東京富士美術館でやっているなあと思ったが、我が家から八王子は遠くて行き逃してしまった。そうしたら、ちょうど京都に巡回しているというので見て来た。洛陽、西安、蘭州、敦煌、新疆地域などで発見されたシルクロードの遺宝約200点が来日しており、「世界遺産認定後、中国国外で初めて行われる大規模展覧会」という触れ込みである。世界遺産登録っていつ?と思って調べたら、2014年に「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」の名称で登録されていた。

 私は1980年代のシルクロードブームを記憶しているけれど、当時はあまり関心がなかった。90年代には、年1回の中国ツア-旅行を繰り返して、新疆地域にも河西回廊にも行った。本展は文物のほかに、遺跡や景勝地の大きな写真パネルが掲示されていて、ベゼクリク石窟!高昌故城!天水の麦積山!!など、懐かしさで息が荒くなってしまった。

 展示品は基本的に撮影自由。本展のメインビジュアルになっていたのが、この『瑪瑙象嵌杯』(5-7世紀)。1997年に新疆ウイグル自治区イリ州の古墓から出土したものだという。

 マニ教の僧侶に送られた年賀の手紙(11世紀初め)。縦書きで左から右へ読むソグド文字で書かれている。受取人への敬意を示すために極彩色の絵を添える。マニ教とかソグド文字と聞いてわくわくするようになったのは、比較的最近のこと。

 『草花文綴織靴』(1-5世紀)。1995年に新疆ウイグル自治区ニヤ遺跡の墓地から出土。女性被葬者が履いていたというくるぶし丈の愛らしいブーツ。一目見て、これは見たことがある!と確信したのだが、どこで見たのか思い出せない。2005年の江戸博『新シルクロード展』があやしいのだが、残念ながら自分の参観記録には記述がなかった。

 『献馬図』。唐太宗の葦貴妃墓出土。これも見たことある!と興奮したもの。2005年の江戸博『新シルクロード展』のサイトが残っていて「世界初公開」の文字とともに画像が掲載されていた。まあ私は、所蔵元の昭陵博物館にも行っているので、現地で見ているかもしれない。

 武威市雷台墓出土の『車馬儀仗隊』の一部や、敦煌壁画『反弾琵琶図』の模写も懐かしかった。一方、もちろん初めて見る出土品も多数あった。2000年以降にも貴重な文物が出土し続けていることには、単純に感歎する。

 『連珠対鹿文錦帽子』(7-9世紀)は、このところ中国ドラマで宋代の「帽妖案」に接していたので目に留まった。

 あと、洛陽の白居易故居遺跡から出土した石硯(円形)というのがあって、しみじみ眺めてしまった。

 展示会場の出口に巨大なラクダの剥製が展示されていた(東京富士美術館所蔵)。1985年に開催された『中国敦煌展』を記念し、敦煌研究院の段文傑院長から池田大作氏に贈られたもので、常書鴻氏が「金峰」「銀岳」と名づけたのだそうだ。40年を経ても大事に保存されていてよかったね。

 また、本展の文物は、中国国内27か所の博物館から集められたもので、その写真付き紹介パネルもあった。いやあ、知らない博物館がたくさん誕生しているんだなあ…行ってみたい。

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2025年1月関西旅行:抱一に捧ぐ(細見美術館)他+後日談

2025-01-20 22:16:25 | 行ったもの(美術館・見仏)

細見美術館 琳派展24『抱一に捧ぐ-花ひらく〈雨華庵(うげあん)〉の絵師たち-』(2024年12月7日~2025年2月2日)

 1泊2日の新春関西旅行、日本美術関係の見たものをまとめておく。2日目は大阪で少し遊んだあと、京都で細見美術館に寄った。

 江戸琳派を確立した酒井抱一(1761-1828)は、文化 6年(1809)、身請けした吉原の遊女とともに下谷根岸の百姓家に移り住む。同所はのちに「雨華庵」と呼ばれ、晩年の作画の場、弟子たちを指導する画塾となり、抱一没後は門下の絵師たちに継承された。本展は「雨華庵」ゆかりの絵師たちを多角的に蒐集した「うげやんコレクション」の協力を得て、江 戸琳派の作品を展覧する。

 酒井抱一、作品はよく知っているけれど、閲歴にはあまり興味がなかったので、姫路藩主の孫として生まれ、37歳で出家、50歳を目前に吉原の遊女を身請けするなど、なかなかドラマチックな人生だなとあらためて思った。抱一の没後、「雨華庵」を継いだのは、養子の鶯蒲、鶯一、道一、抱祝。彼らの作品は、いかにも江戸琳派らしい、さわやかな美学を受け継いでいる。この中では、私は比較的、抱祝の作品をよく見ているけど、抱祝の没年が1956年と聞くと、環境や趣味の激変の中で、抱一の後継者が途絶えてしまったのもやむを得ないかと思う。

楽美術館 新春展『様相の美 文様の美』(2025年1月7日〜4月20日)

 続いて楽美術館に寄った。今回は、樂焼では珍しく、文様に焦点をあてた展覧会。確かに楽焼というと無地または自然な釉薬の流れを愛でるものが多いように思うが、意図的な文様を施したものもいくつかある。二代・常慶の『赤樂菊文茶碗』が、初めて楽茶碗に文様が入った例として紹介されており、その後も文様入りは赤楽茶碗が多い印象だった。十六代(当代)吉左衞門の『富士之絵赤樂茶碗』は、赤楽茶碗に黒い影が入っていて、釉裏紅を思わせた。

 この日は、久しぶりに晴明神社にも立ち寄って、羽生結弦くんのアイスショーの成功祈願をして帰京した。

 さて、その翌日(成人の日)、東博と書道博物館を訪ねるついでに、根岸の「雨華庵」跡に立ち寄ってみたくなった。ネットで検索すると「根岸5-11-36」という番地が出てくる。書道博物館から徒歩15分程度の距離があるが、ぶらぶら歩いていくことにした。ネットには、書道用品販売の精華堂の建物の写真が載っている記事もあるが、行ってみると、ふつうのマンションになっていた。精華堂さんは2012年に破産し、社屋も取り壊されたらしい。

 今はもう、何も痕跡はないのだろうか、と思ったら、隣りの歯医者さん(根岸5-11-35)のブロック塀の前に「酒井抱一住居跡」(2015年2月、台東区教育委員会)の説明板が立っていた。

 地図を見ると、南東にちょっと下れば吉原である。このあたり、抱一の時代にはどんな環境だったのか、調べながら歩いてみたい。

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2025年1月関西旅行:巳づくしなど(京都国立博物館)

2025-01-19 21:49:02 | 行ったもの(美術館・見仏)

京都国立博物館 名品ギャラリー(1階)

 先週末に書いていた名品ギャラリー(3~2階)レポートの続きである。

・『京都の仏像・神像』(2025年1月2日~3月23日)

 1階の大展示室(彫刻)、階段下には愛宕念仏寺の金剛力士立像がお出まし。中央の展示台には安祥寺の五智如来坐像が戻った。展示ケースに唐風装束の凛とした小さな女神様がいらっしゃると思ったら、高山寺の善妙神立像だった。同じく高山寺の白光神立像も白一色のお姿に赤い唇が印象的な美貌。また、膝の上に横たわる幼児(童神)を抱いた女神坐像は市比賣神社のもので、2階の特集『日本の女性画家』とあわせて、女性的なものへの注目を感じた。

・新春特集展示『巳づくし-干支を愛でる-』(2025年1月2日~2月2日)

 新春恒例の干支特集。縄文時代の土器、根付、鱗文の能装束、十二神将の巳神像など。東福寺の明兆筆『五百羅漢図』から、大蛇の口の中で座禅を組む羅漢の図が出ていたのが面白かった。

・『墨蹟-禅僧の書』(2025年1月2日~2月9日)

 正月から地味な特集を組むなあと思ったけど、嫌いじゃない。寺院で所蔵しているものが多いので、やっぱり京都ならではの特集だと思う、

・特別公開『名刀再臨-時代を超える優品たち-』+特集展示『新時代の山城鍛冶-三品派と堀川派-』(2025年1月2日~ 3月23日)

 重要文化財の刀剣3口の寄贈と寄託を受けたことを記念する特別公開。刀剣は1口ずつ公開されることになっており、1月2日~26日は『太刀(銘・国安)』の展示だった。国安(くにやす)は鎌倉時代に栄えた京の刀工集団・粟田口派の一人。1942年、旧国宝(重文)に指定された後、所在不明だったが、現在の所有者から申し出があり、80年ぶりに発見されたものだという。

 同時開催の特集展示では、新刀期(慶長年間以降)の山城(京)鍛冶の双璧をなす三品派と堀川派の名品を紹介する。私は刀剣の魅力はよく分からないのだが、坂本龍馬所用の刀(銘・吉行、子孫の坂本家に伝わったが釧路火災で鞘などを焼失)など、歴史的な由来のあるものは面白かった。

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日本近代文学館のカフェ

2025-01-18 23:38:47 | 食べたもの(銘菓・名産)

 今日は駒場の日本近代文学館で『三島由紀夫生誕100年祭』を見てきた。展示の話は別稿とするが、館内施設の「Bundanカフェ」(週末はいつも混んでいる)に、初めて入ることができた。「シェイクスピアのスコーン」は付け合わせを選べるので、マーマーレードとサワークリームを選択。スコーンはアツアツで、予想の倍くらいの大きさだったので、食べ応えがあった。

 「本日、セットになるコ-ヒ-は芥川だけです」と言われたのでそれに従う。実はほかに寺山、鴎外、敦というブランドもあるので、次の機会に試してみたい。「寺田寅彦の牛乳コ-ヒ-」もかなり魅力的。

 今週後半は軽井沢出張に出かけていた。今日はのんびりして体力回復につとめたので、あらためて中断中の関西旅行の記事を書き続けたい。

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2025年1月関西旅行:名品ギャラリー3~2階(京都国立博物館)

2025-01-14 23:11:31 | 行ったもの(美術館・見仏)

京都国立博物館 名品ギャラリー(3~2階)

 初春三連休の関西旅行はまず京博から。私は常設展モードの京博が大好きなので、今月は各室をじっくり紹介する。

・『京焼における仁清-御室仁清窯跡出土陶片の胎土分析からみる製陶技術-』(2025年1月2日~3月16日)

 凝ったかたち、華やかな色彩のやきものが並ぶ、お正月らしい展示室。蓮の花に蓮の葉を被せたような『色絵蓮華香炉』は、「蓮の寺」法金剛院の所蔵だと知って納得してしまった。仁清といえば色絵だと思っていたが、実はシンプルな轆轤成形の美しさも見どころ。また、仁清窯址からは、さまざまな「写し」のた陶片が出土している。ホンモノの志野と仁清の志野写し、ホンモノの信楽と仁清の信楽写しを見比べて、その技術の確かさに感銘を受けた。

・『日本の須恵器と韓国の陶質土器』(2025年1月2日~3月16日)

 日本の古墳時代を代表するやきもの「須恵器」と、朝鮮半島古代の新羅で製作された陶質土器を展示し、その親縁関係を示す。「提瓶」と呼ばれる形の須恵器は初めて見た。扁平な丸型の水筒なのだ。また、革袋をつぶしたような「革袋形提瓶」もあった。日本の古代については、まだまだ知らないことが多い。

・『神々の伝説-八幡・厳島-』(2025年1月2日~ 2月9日)

 豪華な『八幡宮縁起』2巻のうち1巻と、野趣あふれる『厳島縁起絵巻』2巻を展示。面白かったのは後者。天竺の足引宮は善哉王の寵愛を受け、身籠っていたが、嫉妬深い后妃たちの企みで、山中で斬首される。しかし王子は動物たちに助けられて成長し、母の頭蓋骨を探し当てて、母を蘇生させる。善哉王と足引宮と王子は、足引宮の故郷に身を寄せるが、善哉王は足引宮の妹に気を移してしまう(ええ~)。足引宮と王子は、流浪の果てに安芸国に至り、祀られる。この摩訶不思議な物語が、迷いのない素朴な線と、赤と緑とわずかな黄色で表現されている。こういう絶対に教科書に載らない物語のおもしろさが、もっと知れ渡ったらいいのに、と思う。

・『十二天屏風の世界』(2025年1月2日~2月9日)

 滋賀・聖衆来迎寺の『十二天屏風』(12幀のうち6幀)、京都・雲龍院の『十二天屏風』、京都・高山寺の『十二天屏風』(6曲1隻)を展示。特に聖衆来迎寺の十二天は、衣の文様の描き込みが精緻で華やか。くるりと輪になった蛇を持つ水天像と、人頭幢(人頭のついた短い杖)を持つ焔摩天像が特に美麗。

・『松竹梅の美術』(2025年1月2日~2月9日)

・『日本の女性画家』(2025年1月2日~2月9日)

 近世~幕末明治の女性画家の作品を展示。徳山玉瀾は池大雅の妻。「池玉瀾」と呼ばれることも多いが、本人は徳山姓を名乗ったという。作品は、素人目には大雅かな?と思うくらいよく似ている。玉蘭、清原雪信あたりは知っていたが、江馬細香、張紅蘭、橋本青江など、よく知らなかった名前もあり、人となりや生涯の簡潔な紹介も興味深かった。

・『塩都・揚州の繁栄と芸術-袁江・王雲筆「楼閣山水図屛風」』(2025年1月2日~2月9日)

 『楼閣山水図屛風』8曲1双は、袁江と王雲の二作品を一対にしたもの。もともと巨大な作品(大判の涅槃図くらい)に高さ50センチくらいの展示台が付いているので、さらに背が高くなっている。

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初春は不思議のキツネ/文楽・本朝二十四孝

2025-01-13 22:07:08 | 行ったもの2(講演・公演)

国立文楽劇場 令和7年初春文楽公演 第3部(2025年1月11日、17:30~)

 今年も大阪の国立文楽劇場で初春文楽公演を見て来た。恒例のお供えとにらみ鯛、と思ったら、「黒門市場様からのにらみ鯛の贈呈は、5年ぶり」と書いてあった。2020(令和2)年以来ということか。この年の正月明けから新型コロナが猛威を振るったのである。コロナ禍の間も、初春文楽公演にはにらみ鯛が飾られていたようだが、黒門市場のサイトによれば、2021年のにらみ鯛は2020年末に奉納したものだったり、2022年は奉納がなかったり(劇場は別ルートで入手?)したらしい。

 「大凧」に干支の「巳」文字を揮毫したのは、赤穂大石神社の飯尾義明宮司。国立文楽劇場は、開場40周年を記念して、昨年11月の公演とこの初春公演第2部で、大作『仮名手本忠臣蔵』の大序から九段目までを通し上演している。

 しかし私は、武士の忠義より伝奇スペクタクルが好物なので、やっぱり第三部の『本朝廿四孝(本朝二十四孝)』を選んでしまった。2階ロビーでは毛色の異なる三匹のキツネちゃんがお出迎え。彼らは昭和の新作文楽『雪狐々姿湖(ゆきはこんこんすがたのみずうみ)』に登場する白蘭尼、コン蔵、右コンとのこと。揃ってもふもふである。

・第3部『本朝二十四孝(ほんちょうにじゅうしこう)・道行似合の女夫丸/景勝上使の段/鉄砲渡しの段/十種香の段/奥庭狐火の段』

 「道行似合の女夫丸」はあまり記憶になかったのだが、自分の記録を調べたら、2020年に見ていた。「景勝上使の段」以下は何度も見ており、直近では2022年に国立劇場で見ている。八重垣姫は、今回と同じ吉田蓑二郎。むかし「十種香」を蓑助さんで見たり、「奥庭狐火」を勘十郎さんで見た記憶がどうしてもよみがえって、それに比べると蓑二郎の八重垣姫は、悪くないけどふつうの娘さんだなあと、ぼんやり思っていた。しかし「奥庭」のクライマックス、白地に狐火文の衣に早変わりしてからの激しい動きには目を見張った。この演目、歌舞伎(日本舞踊)にもあるが、そこで演じられる所作のスピードと、飛び上がり跳ねまわり、身体を左右にスイングして舞い狂う文楽人形のスピードは全く別次元である。もちろん乱暴に人形を振り回せばいいわけではなく、高貴な姫君の品格を忘れてはいけない。生身の人間らしさと、人間を超えたものになろうとする不可思議さのブレンドが絶妙だった。眼福。

 狐火(火の玉)はゆらゆらと流れ、諏訪法性の兜は、白いヤクの毛をひるがえし、意志あるもののように宙に浮かぶ。「奥庭」はキツネちゃんの印象が強いのだけど、四匹勢ぞろいするのは、本当に最後の最後なのだな。今回、私は最前列の席(上手寄り)だったので、キツネちゃんたちの表情も、それを操る人形遣い(出遣いだがプログラムに名前の記載はない)の皆さんの顔もよく見えて楽しかった。

 八重垣姫は深窓育ちのお姫様のはずだが、勝頼=箕作に恋したあとの、恥じらいつつも強引な迫り方には、この子、ギャルだな、と思ってしまった。しかし、この向こう見ずさがなければ、諏訪明神も憑依しないのだろう。一方で、ある意味、八重垣姫の一途な恋心を利用して諏訪法性の兜を武田方に取り返そうとした腰元・濡衣は、冷静沈着な仕事のデキる女性で好き。

 「十種香」で久しぶりに錣太夫と宗助を聴けたのもうれしかった。「奥庭」は芳穂太夫と錦糸で安定感あり。残念なのは、こんなに面白い舞台なのに空席が目立っていたこと。そして東京の国立劇場が閉場して1年以上になるが、やっぱり常設の劇場があるのはいいなあと思った。

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2025大阪初春散歩

2025-01-12 20:11:38 | なごみ写真帖

 初春三連休、1泊2日だけ関西で遊んできた。文楽初春公演を見るのが主な目的で、ついでに京都と大阪で、気になっていた展覧会をいくつか見てきた。今朝は朝イチで東洋陶磁美術館を見に行ったら、ずっと工事続きで落ち着かなかった中之島一帯が、だいぶ落ち着いた雰囲気になっていた。

 久しぶりに中之島図書館の正面に立ってみたが、日曜祭日は休館のため、中には入れなかった。

 周囲をぐるっと回ってみたら、何やら新しい建物が連結されているのを発見。あとで図書館のホームページをみたら、別館(新書庫棟)らしい。工期は2025年1月まで(予定)というからまもなく完成だろう。へええ、よかったね!

 東洋陶磁美術館も、改修増築と聞いたときは、どうなるかとハラハラしたが、従来の建物を生かして開放的なエントランスを付け加えた、品のいいリニューアルだった。

 中央公会堂の正面が広場として整備され、日曜祝日の日中は公会堂周辺が歩行者天国となったのもよかったと思う。ただ、相変わらず、ケバケバしいプロジェクションマッピングで人を呼ぼうとしているらしいのは私の趣味に合わない。青空を背景にしたレンガの赤と大理石の白をアーチの緑が引き締めていて、このままが一番美しいと思う。

 アーチの頂上に人影(?)を発見。調べたら、学問の神ミネルヴァと商業の神メルキュール(メルクリウス)で、2002年の改修工事で60年ぶりに復元されたものだという。

 私は公会堂の中に入ったことは、まだ一度もない。ガイドツアーや特別見学会が開かれているらしいので、いつか行ってきたい。

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実朝との縁/運慶 女人の作善と鎌倉幕府(神奈川県立金沢文庫)

2025-01-10 23:07:21 | 行ったもの(美術館・見仏)

神奈川県立金沢文庫 特別展『運慶-女人の作善と鎌倉幕府-』(2024年11月29日~2025年2月2日)

 年末に行った横須賀美術館、鎌倉国宝館との3館連携展示。本展は、サブタイトルのとおり、運慶と女性の関係にあらためて焦点を当てて紹介し、運慶の造仏、それに伴う造寺や仏事などと、女性たちの信仰の関係の一端を明らかにする。

 1階の展示室に入ってすぐのケースに出ていたのは光触寺の『頬焼阿弥陀縁起絵巻』の模本(原本は2階展示室に展示)。鎌倉時代の女性の信仰、作善を語る上で欠かせない資料である。仏師・雲慶(運慶)も登場するし。奥の吹抜展示室は、称名寺所蔵の伝・運慶仏の特集展示になっていた。地蔵菩薩坐像、それに聖徳太子立像(二歳像)もあるのだな。

 2階へ。年末に「ニコニコ美術館」を視聴したので、展示室の様子は把握していたのだが、仏像多めでうれしい。大善寺の天王立像は、2022年の『運慶』展で、金沢文庫でも横須賀美術館でも展示されたもの。繰り返しになるけど「沈鬱」という形容が似合うと思う。見たことのあるような、ないような、観音勢至菩薩立像のぺアがおいでになる(撫で肩、顔が小さい)と思ったら、京都の清水寺の所蔵だという。調べてみると、もとは阿弥陀堂に安置されていたが、現在は京博に寄託されているらしい。あわせて、静岡・瑞林寺の地蔵菩薩坐像、静岡・願生寺の阿弥陀如来坐像など、神奈川県下以外の仏像も多数出陳されていたのは、予想外で嬉しかった。個人蔵の仏像では、勢至菩薩坐像(平安~鎌倉時代)が跪座(いわゆる大和座り)で目を引いた。これは2022年の『運慶』展にも出ていたが、「特別出品」のため、図録に写真がなかったもののようだ。今回の図録は買っていないのだが、前回未収録の作品が載っているなら欲しい。

 神奈川・曹源寺の十二神将立像は、巳神だけが、ひときわ大きく、巳時生まれの実朝との関係が指摘されている。巳歳の初詣にはちょうどよいと思って、心の中で手を合わせてきた。残りの11神は、4・4・3躯ずつ、前後から覗ける展示ケースに納められており、ちょっと窮屈そうだったが、ぐっと接近して見ることができてよかった。

 運慶は、東大寺大仏の鎌倉再興に際して、康慶・快慶・定覚とともに四天王像を制作し、この形式は「大仏殿様四天王像」として後世に継承された。2022年の『運慶』展にも出ていた大仏様の四天王立像(南北朝時代、個人蔵)に加え、今回は海住山寺の四天王立像(奈良博でよく見るもの)も来ていた。

 称名寺塔頭光明院の大威徳明王像は、像内文書の奥書に「運慶」の名前があることで知られ、「健保二二年(4年=1216年)」「源氏大貳殿」の発願で造られたことも分かっている。大貳殿=大弐局は、甲斐源氏の一族である加賀美遠光の娘で、頼家・実朝の養育係をつとめた。健保4年には頼家は死没しているから、実朝(1192-1219)の厄難消徐のために発願されたと思われる。年表を見ると、この年の実朝は陳和卿に唐船の建造を命じるなど、周囲(大江広元、北条義時)との軋轢が目立ってきている。また同年、運慶は実朝持仏堂本尊の釈迦如来像を制作し、京都から送ったという記録もあるそうだ。これだけ(女性たちの願いを込めた)仏像を奉られても、実朝は若くして悲運の死を遂げてしまったのだから、運慶のつくる仏像には、現世のご利益は期待できないのかもしれない。

 称名寺聖教の文書に見える運慶は、東寺講堂の諸像を修理した際、多くの仏舎利が出現して人々を驚かせたことなどが記録されていて、面白かった。誰かの演出だろうか、などと勘ぐってしまう。また、京都・真正極楽寺の『法華経』(運慶願経)は巻七奥書に、寿永2年(1183)、願主として運慶と女大施主(運慶妻)、阿古丸(運慶子=湛慶)の名前が記載されていた。

※参考:運慶の晩年と死をめぐって/山本勉(半蔵門ミュージアム)

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2025初詣・亀戸七福神巡り

2025-01-07 21:33:34 | 行ったもの(美術館・見仏)

〇亀戸駅~寿老人(常光寺)~弁財天(東覚寺)~恵比寿神・大黒天(香取神社)~毘沙門天(普門院)~福禄寿(天祖神社)~布袋尊(龍眼寺)~亀戸天満宮

 松の内も今日で終わりだが、今年のお正月は、亀戸七福神を巡ってきた。七福神の寺社の門前には、紫に白抜きの「亀戸七福神」の旗が立っていたが、深川七福神のようにコースの道案内に点々と旗が並ぶ雰囲気はなかった。

 寿老人の常光寺。本尊は阿弥陀如来で「江戸六阿弥陀詣」の6番目の霊場でもある。

 弁財天の東覚寺。本尊は大日如来と阿弥陀如来だが、不動尊が有名らしい。亀戸七福神は、どれも大きなお寺や神社の一画に、添え物的な祀られ方をしていた。

 恵比寿神・大黒天の香取神社。かなり大きな神社で、スポーツ振興や勝負事の神様として人気を集めている。

 毘沙門天の普門院。伸び放題の草木、積もった落ち葉の野趣あふれる風情で、立ち入っていいものか、ちょっとためらってしまった。社務所を覗くと、若いお坊さんがニコニコして「ちょうど住職が戻ったところです」と声をかけてくださった。亀戸七福神のご朱印は、印判だけだと200円、手書きだと300円で、私は印判だけを集めていたのだが、「同じ金額で結構ですよ」(若いお坊さん)と言って、ご住職が手慣れた墨書を添えてくださった。

 なお、門を入ったところには「伊藤佐千夫の墓」という石碑が立っていた。あとで調べたところでは同寺の墓地に佐千夫の墓があるそうだ。伊藤佐千夫と言えば、私が思い出すのは「牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる」(高校の現国で習った)の歌で、茅場町で牛を飼っていたと本で読んだときは、東西線の茅場町駅のあたりかと思ったのだが、実は本所茅場町と言って、いまのJR錦糸町駅の南口辺に牧場があったらしい。錦糸町駅のロータリーに佐千夫の歌碑があるという情報も初めて知ったので、今度見てこようと思う。

 福禄寿の天祖神社。お正月らしく境内に雅楽のBGMが流れていた。

 ここから最後の龍眼寺に向かう道筋が分かりにくく、私のほかにも数人が迷っていたら、通りがかりのお姉さんが「ここから行くと近いですよ」と言って、マンションの私有地を通り抜ける近道を教えてくれた。

 布袋尊の龍眼寺。萩寺とも呼ばれる。本尊の聖観音菩薩立像は江東区内最古の仏像(平安時代末期から鎌倉時代初期の作)だという。看板に写真が掲示されていたが、秘仏で拝観はできなかった。布袋尊のご朱印は尼僧の方からいただく。

 最後に亀戸天満宮にも参拝して〆めとした。亀戸エリアの商店街は、老舗の和食や和菓子もあれば、ガチ中華もあって、なかなか楽しい。また散歩に来よう。

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