10月に続いて11月の三連休も関西に出かける計画を立てていたのだが、実際にどこへ行くかは直前まで悩んでしまった。結局、初日は和歌山まで足を伸ばすことに決めて新幹線に乗った。ところが土曜日は大雨の影響で朝からダイヤが大混乱。乗って来たのぞみが京都駅で止まってしまい「復旧の見込みは不明」とのアナウンス。これは計画を変更して京都で観光するか、と思って降車。しかし在来線は動いているというので、大阪へ向かい、当初予定の30分遅れくらいで南海・和歌山市駅に着いた(早めの新幹線に乗っていたのがラッキー)。
■和歌山県立博物館 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」登録20周年記念特別展『聖地巡礼-熊野と高野-. 第III期:人・道・祈り-紀伊路・伊勢路・大辺路をゆく-』(2024年10月12日〜11月24日)
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」登録20周年を記念する特別展の第3期。熊野三山や高野山といった霊場をつなぐ道を取り上げ、沿道に所在する寺社・霊場とその名宝の数々を紹介する。街道の村や宿場で守られてきた、素朴で小さな神像や仏像が印象的だった。記録文書も大量に残っていて、解説によると、寺社や為政者が巡礼者の保護に気をつかっていたことが覗える(原文資料を全く読めないのが悔しい)。草堂寺の『群猿図屏風』『虎図襖』、成就寺の『唐獅子図襖』など、大好きな蘆雪の作品を見ることができたのは予想外の余得。
「伊勢路」のセクションには『伊勢参宮図屏風』(神宮徴古館)や、四日市市・善教寺の阿弥陀如来立像(快慶ふうの端正な像)と像内納入文書などが出ており、9月のお伊勢参り旅行を思い出した。中世の伊勢路は利用が多くなかったが、江戸時代になると、お伊勢参りのあと、熊野にまわる巡礼者が増えたという。熊野市・木本神社の獅子・狛犬(室町~江戸時代)がかわいかった(特に大口を開けてるほう)ことを記録しておこう。
博物館に入ったのはお昼過ぎで、まだ雨の降り始めだったが、次第に館内にまで雨風の音が響くほどの悪天候に。意を決して、隣りの近代美術館に移動する(4~5メートル先だが屋根がつながっていない)。
■和歌山県立近代美術館 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」登録20周年記念特別展『仙境 南画の聖地、ここにあり』(2024年10月5日~11月24日)
南画(なんが)とは、中国絵画に影響を受けて江戸時代に成立した、主に山水や花鳥を描く絵画をいう。多くの南画家が和歌山をめぐって作品を描いており、和歌山はいわば南画の「聖地」だった。本展は、江戸期の和歌山、そして明治から戦前期までの関西を中心とする南画の展開をたどる。
昨年、静嘉堂文庫の河野元昭館長が、江戸絵画ブームというが南画は全く人気がない、という話をされていたことを思い出す。まあ正直、私も熱狂的に南画がいいと思ったことはないが、近代初期の否定のされかたを聞くと、そこまでクソみそに言わなくてもいいんじゃないかと思う。私は伝統的な画風の墨画淡彩が好きなので、谷口藹山『雪中独騎図』や内海吉堂『桟道高秋図』などがよかった。水田竹圃『山水図』は金屏風の墨画に、一部だけ強い著色を用いた変わった作品。矢野橋村の墨画『湖山幽嵒』は、むくむくした生きものみたいな山塊を描く。大阪中之島美術館の『大阪の日本画』で見た画家であることをすぐに思い出した。
そうこうしているうちに雨が小降りになったのを幸い、南海市駅そばの市立博物館へ向かう。
■和歌山市立博物館 令和6年度特別展、和歌の聖地・和歌の浦誕生千三百年記念『聖武天皇と紀伊国 旅するひと・もの』(2024年10月5日~11月24日)
神亀元年(724年)に即位した23歳の聖武天皇は、同年10月に和歌の浦に行幸し、その景観に感動、この地の風致を守るために守戸を置き、玉津島と明光浦の霊を祀るよう詔を発した。そこで今年、和歌山市では「和歌の聖地・和歌の浦 誕生千三百年記念大祭」が開催されているのである。聖武天皇の行幸と言われてもピンと来なかったが、山部赤人が「若の浦に潮満ち来れば潟をなみ 葦辺をさして鶴鳴き渡る」を詠んだ機会を聞くと、なるほど、と納得がいく。
展示は、聖武天皇に関係する文物を各地から集めてあって面白かった。奈良博からササン朝ペルシャのガラス切子碗2点とか、正倉院宝物の模造とか、伎楽装束(迦楼羅、呉女)など、正倉院展への期待が盛り上がって、ちょうどよかったように思う。紀三井寺の帝釈天立像や毘沙門天立像もおいでになっていた。
そして南海線とJR在来線で京都に戻って宿泊。私のスケジュールに大きな狂いはなかったが、新幹線ダイヤは西から東まで終日大混乱だった模様である。