見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2024年11月関西旅行:和歌山県博、近美、市博

2024-11-05 22:35:32 | 行ったもの(美術館・見仏)

 10月に続いて11月の三連休も関西に出かける計画を立てていたのだが、実際にどこへ行くかは直前まで悩んでしまった。結局、初日は和歌山まで足を伸ばすことに決めて新幹線に乗った。ところが土曜日は大雨の影響で朝からダイヤが大混乱。乗って来たのぞみが京都駅で止まってしまい「復旧の見込みは不明」とのアナウンス。これは計画を変更して京都で観光するか、と思って降車。しかし在来線は動いているというので、大阪へ向かい、当初予定の30分遅れくらいで南海・和歌山市駅に着いた(早めの新幹線に乗っていたのがラッキー)。

和歌山県立博物館 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」登録20周年記念特別展『聖地巡礼-熊野と高野-. 第III期:人・道・祈り-紀伊路・伊勢路・大辺路をゆく-』(2024年10月12日〜11月24日)

 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」登録20周年を記念する特別展の第3期。熊野三山や高野山といった霊場をつなぐ道を取り上げ、沿道に所在する寺社・霊場とその名宝の数々を紹介する。街道の村や宿場で守られてきた、素朴で小さな神像や仏像が印象的だった。記録文書も大量に残っていて、解説によると、寺社や為政者が巡礼者の保護に気をつかっていたことが覗える(原文資料を全く読めないのが悔しい)。草堂寺の『群猿図屏風』『虎図襖』、成就寺の『唐獅子図襖』など、大好きな蘆雪の作品を見ることができたのは予想外の余得。

 「伊勢路」のセクションには『伊勢参宮図屏風』(神宮徴古館)や、四日市市・善教寺の阿弥陀如来立像(快慶ふうの端正な像)と像内納入文書などが出ており、9月のお伊勢参り旅行を思い出した。中世の伊勢路は利用が多くなかったが、江戸時代になると、お伊勢参りのあと、熊野にまわる巡礼者が増えたという。熊野市・木本神社の獅子・狛犬(室町~江戸時代)がかわいかった(特に大口を開けてるほう)ことを記録しておこう。

 博物館に入ったのはお昼過ぎで、まだ雨の降り始めだったが、次第に館内にまで雨風の音が響くほどの悪天候に。意を決して、隣りの近代美術館に移動する(4~5メートル先だが屋根がつながっていない)。

和歌山県立近代美術館 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」登録20周年記念特別展『仙境 南画の聖地、ここにあり』(2024年10月5日~11月24日)

 南画(なんが)とは、中国絵画に影響を受けて江戸時代に成立した、主に山水や花鳥を描く絵画をいう。多くの南画家が和歌山をめぐって作品を描いており、和歌山はいわば南画の「聖地」だった。本展は、江戸期の和歌山、そして明治から戦前期までの関西を中心とする南画の展開をたどる。

 昨年、静嘉堂文庫の河野元昭館長が、江戸絵画ブームというが南画は全く人気がない、という話をされていたことを思い出す。まあ正直、私も熱狂的に南画がいいと思ったことはないが、近代初期の否定のされかたを聞くと、そこまでクソみそに言わなくてもいいんじゃないかと思う。私は伝統的な画風の墨画淡彩が好きなので、谷口藹山『雪中独騎図』や内海吉堂『桟道高秋図』などがよかった。水田竹圃『山水図』は金屏風の墨画に、一部だけ強い著色を用いた変わった作品。矢野橋村の墨画『湖山幽嵒』は、むくむくした生きものみたいな山塊を描く。大阪中之島美術館の『大阪の日本画』で見た画家であることをすぐに思い出した。

 そうこうしているうちに雨が小降りになったのを幸い、南海市駅そばの市立博物館へ向かう。

和歌山市立博物館 令和6年度特別展、和歌の聖地・和歌の浦誕生千三百年記念『聖武天皇と紀伊国 旅するひと・もの』(2024年10月5日~11月24日)

 神亀元年(724年)に即位した23歳の聖武天皇は、同年10月に和歌の浦に行幸し、その景観に感動、この地の風致を守るために守戸を置き、玉津島と明光浦の霊を祀るよう詔を発した。そこで今年、和歌山市では「和歌の聖地・和歌の浦 誕生千三百年記念大祭」が開催されているのである。聖武天皇の行幸と言われてもピンと来なかったが、山部赤人が「若の浦に潮満ち来れば潟をなみ 葦辺をさして鶴鳴き渡る」を詠んだ機会を聞くと、なるほど、と納得がいく。

 展示は、聖武天皇に関係する文物を各地から集めてあって面白かった。奈良博からササン朝ペルシャのガラス切子碗2点とか、正倉院宝物の模造とか、伎楽装束(迦楼羅、呉女)など、正倉院展への期待が盛り上がって、ちょうどよかったように思う。紀三井寺の帝釈天立像や毘沙門天立像もおいでになっていた。

 そして南海線とJR在来線で京都に戻って宿泊。私のスケジュールに大きな狂いはなかったが、新幹線ダイヤは西から東まで終日大混乱だった模様である。

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2024年9-10月展覧会拾遺

2024-11-01 22:53:37 | 行ったもの(美術館・見仏)

書いていない展覧会がだいぶ溜まってしまったので、思い出せるだけ。

山種美術館 特別展・没後25年記念『東山魁夷と日本の夏』(2024年7月20日~9月23日)

 名作『満ち来る潮』『京洛四季』をはじめ、同館が所蔵する魁夷作品を全点公開するとともに、夏をテーマにした名品を紹介する。海を描いた日本画の名作は数々あるけど、土牛『海』(1981年)はいい。セザンヌの山みたいに確固とした写生の海である。92歳にして「これ程思い出楽しく描いた絵はない」と言える境地がすばらしくいい。

松濤美術館 『111年目の中原淳一』(2024年6月29日~9月1日)

 イラストレーション、雑誌編集、ファッションデザイン、インテリアデザインなどマルチクリエイターと呼ぶべき多彩な活動で知られる中原淳一(1913-1983)の全貌に迫る。私は、明治や大正の少女画に比べると、中原は時代が近い分だけ逆に「古さ」を感じて好きになれないところがある。もっと若い世代は違う感じ方をするかもしれない。

文化服飾博物館 『世界のビーズ』(2024年7月19日~11月4日)

 ヨーロッパのきらびやかなビーズ刺繍のドレス、象徴的な意味を持つアジアやアフリカの各民族の衣服や装身具など、約40か国のビーズを紹介する。江戸時代の珊瑚のかんざしが出ていたが、日本で珊瑚が採取できるようになるのは明治以降で、それまではほとんどが地中海産のベニサンゴを輸入したものだというのに驚く。いろいろ調べて、日本珊瑚商工協同組合のサイトを探し当ててしまった。

サントリー美術館 没後300年記念『英一蝶-風流才子、浮き世を写す-』(2024年9月18日~11月10日)

 英一蝶(1652-1724)の没後300年を記念する過去最大規模の回顧展。私は一蝶の絵、たとえば名品として名高い『布晒舞図』もそんなに好きではなかったのだが、落ち着いて眺めると、細かく描き分けられた人物の表情に、じわじわと愛着が湧いてくる。一蝶は罪人として三宅島で12年過ごした末に赦免されるのだが、本展には、三宅島および新島、御蔵島などに伝わる一蝶の作品が多数出陳されていた。流罪になる一蝶を見送ったのは宝井其角で、この二人の友情は面白い、と思ったら小説にもなっているのだな。一蝶が江戸に帰還後、一時寄寓した宜雲寺は清澄白河にあるらしい。今度、行ってみよう。

大倉集古館 企画展『寄贈品展』(2024年9月14日~10月20日)

 近年の寄贈品を紹介。王一亭(王震)の書画、保坂なみの刺繍、森陶岳の備前焼など。大倉喜八郎の嗣子・喜七郎が収集した近代日本画がよかった。酒井三良『豊穣』が好き。

三井記念美術館 特別展『文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰-ガンダーラから日本へ-』(2024年9月14日~11月12日)

 バーミヤン遺跡の石窟に造営された、東西2体の大仏を原点とする「未来仏」である弥勒信仰の流れを、インド・ガンダーラの彫刻と日本の古寺に伝わる仏像、仏画等の名品でたどる。5月に京都の龍谷ミュージアムで見た展示の巡回展。京都では、日本の調査隊による調査資料が印象的だったが、今回は、日本の弥勒信仰を示す仏像・仏画が見どころで、よくこれだけ集めたと感心した。野中寺の弥勒菩薩半跏像(白鳳時代)や四天王寺の如意輪観音半跏像(平安時代)、個人的に「末法」の弥勒菩薩立像と認識している像(鎌倉時代)も出ていた。

日本民藝館 生誕130年『芹沢銈介の世界』(2024年9月5日~11月20日)

 来年生誕130年を迎える染色家・芹沢銈介(1895-1984)の作品と蒐集品を展示し、芹沢の手と眼の世界を紹介する。芹沢の作品は、民藝のようで、やっぱり土着の民藝品にはないシャープなセンスを持っているところが好き。のれん『御滝図』(一目で那智の滝だと分かる)に見とれた。あと型染め(?)の物語絵シリーズが好き。屏風に仕立てられていた『極楽から来た』は法然上人の一代記で佐藤春夫の新聞小説なのだな。今回、静岡市芹沢銈介美術館の所蔵品がたくさん来ていて、珍しかった。

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日中友好会館のビャンビャン麺

2024-10-31 22:17:49 | 食べたもの(銘菓・名産)

『長安・夜の宴~唐王朝の衣食住展~』を見に行ったので、1階の『中国茶芸苑 馥(ふく)』でランチをいただいた。6~7種類あるランチメニューの中から「本場シェフ店内手作り!ビャンビャン麺」を注文。

辛さが選べないので大丈夫かな?と心配したが、日本人の口に合う優しい辛さだった。麺はあつつのモチモチ。ただし、のんびり食べていると冷めてしまうので、急ぎめに食べたほうが美味い。スープ、サラダ、ミニデザート(杏仁豆腐)つきで1400円。

ここは、本当はお茶とお茶菓子のお店らしいので、次はティータイムに来てみたい。

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長安人の衣食住/長安・夜の宴展(日中友好会館)

2024-10-31 22:03:55 | 行ったもの(美術館・見仏)

日中友好会館美術館 2024年特別企画『長安・夜の宴~唐王朝の衣食住展~』(2024年10月11日~12月1日)

 前稿で記念講演と映画の話を書いたので、あらためて展示内容について。中国・唐王朝の衣食住、および娯楽文化を中心に、当時の服装やアクセサリー、食器や茶道具、書画や楽器など、古代遺物と複製品約130点を展示・紹介する(無料)。複製品が主であることは、事前に聞いていたので特に問題はなかった。衣類とかアクセサリーは、なかなかよくできたものもあった。

 繭山龍泉堂さん所蔵の古美術品もいくつか出ていた。これは、唐(7世紀)の黄釉加彩婦女騎馬像。加彩から三彩に移行する過渡期につくられたとのこと。

 唐代のファッションを再現した舞踊・古楽演奏のビデオも楽しかった。唐代と一口に言っても(300年もあるので)時代によって変化がある。初唐の女性の髪形はお団子ヘアが基本だったが、中晩唐には高く結い上げたり、付け毛で膨らませたり、どんどん奇抜になっていく。でも武則天時代は女性の社会進出が進んだので、時間のかからない髪形が好まれたという。唐の末期は社会不安と混乱の中で、やはりシンプルに戻っていく。中晩唐のメイク(眉の描き方など)は、ほんとに呆れるほど奇抜。

 食べものについて、役人の給与は現物支給(毎月、羊〇頭)だったというのが面白かった。日本は米だが、唐ではヒツジなんだな。また、当時は豚の飼育技術が未発達だったため、豚肉は生臭く、食べにくい肉だった。ほとんどの豚肉は油の精製に用いられていた。鉄鍋はまだ普及しておらず、料理といえば、煮る、蒸す、炙るで、炒める調理法が登場するのは宋代からだという。

 飲みものは、初唐の頃は乳製品飲料が主だったが、中唐からお茶が普及していく、初期のお茶は、ネギ(?)やショウガ、ナツメなどを加えたどろどろした飲みものだったらしい。また、唐代は温暖な気候で、夏の長安は非常に暑かったので(そうだろうなあ)、氷室の氷を活用したアイスドリンクが好まれた。お酒は緑色の酒粕の浮かんだ濁り酒が一般的だったが、四川省では、灰汁を加えて煮詰めた清酒「剣南春」がつくられ、朝廷へ献上されていたことは「新唐書」に記載があるという(へえ!)。

 …などなど、勉強になったが、一番気になったのは、長安都城の図。A0版のパネル(ポスター)に、模式化された条坊と邸宅がびっしり描かれており、ところどころ、人物やラクダの姿もあってかわいい絵図なのだが、近寄ってみたら、小さな活字で「白居易宅」「賀知章宅」という注記があるのだ(これは東市の南側の宣平坊)。ほかにも高力士宅(これは大明宮の門の前)とか太平公主宅とか李賀宅とか…。この絵図は、残念ながら図録には掲載されていない。案内のお姉さん(学生さんかな?)に「どこかで入手できないでしょうか?」と聞いたら、すまなそうに「写真を撮っていってください」と言われてしまった。

 妹尾達彦先生が講演の中で、文書をつきあわせると、誰がどこに住んでいたかがかなり分かる、8世紀や9世紀でこんな都市はほかにない、とおっしゃっていたと記憶するので、どこかにデータがあるんだろうな。欲しい~!

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長安・夜の宴展(日中友好会館)で講演と映画『長安三万里』

2024-10-29 23:22:20 | 行ったもの(美術館・見仏)

日中友好会館美術館 2024年特別企画『長安・夜の宴~唐王朝の衣食住展~』(2024年10月11日~12月1日)

 日曜日は、日中友好会館で1日遊んできた。午前中は、妹尾達彦先生による講演「あなたの知らない都の日常」を聴講。講演タイトルから、具体的な生活のディティールの話になるのかと思ったら、その前段として、唐王朝(8世紀)長安の空間的・時間的な位置づけの詳しい解説があって、とても面白かった。前近代における重要な思想家は北緯30~40度の帯に輩出している。この北側は遊牧地帯、南側は農耕地帯で、北緯30~40度は両者の境界領域に当たる。4~7世紀の混乱を経て、ユーラシアには東西南北の幹線の交差点となる都市がいくつか形成され、このかたちが16世紀くらいまで維持される。

 長安は、左右対称の都市の頂点に男性の皇帝が座ることで完成する構造を持っているが、武則天は都城の北東に大明宮を設けて、この基本構造を崩した。遣唐使の粟田真人は、たまたま武則天が滞在している時期の長安を訪ねている(武則天は洛陽滞在を好んだので)。平城京が右(東)に出っ張った構造なのは、武則天の長安の影響を受けているのではないか。

 妹尾先生、演劇についても古典的な「三角関係」から「四象限構造」(男女2組)みたいな構造分析をされていて面白かった。50分の公園なのに内容が盛りだくさん過ぎ。私はこれまで全く著作を読んでいないみたいなので、ぜひ読んでみたい。

 午後は「アニメ映画de楽しむ-唐王朝・詩人たちの友情物語」というイベントで、中国のアニメ映画『長安三万里』を見せてもらった。2023年夏に中国本国で公開され、大ヒットとなった作品である。見たいとは思っていたが、唐代の有名な詩人が多数登場する華やかな物語らしい、という程度のことしか知らなかった。

 主人公は高適。いちおう名前は知っているが、ずいぶん地味な詩人を主人公にするのだなと思った。高適は、不遇な田舎者の堅物青年で、まだ詩を書き始める前に、奔放不羈な詩の天才・李白と出会う。そして、全く対照的な性格の青年二人は、それぞれの道で苦難を経験し、時に歩み寄り、すれ違いながら、中年となり、老年に至る。その頃、安禄山の乱により、民衆は戦乱に苦しんでいた。節度使となった高適は、軍を率いて吐蕃の大軍と対峙していた。そこに現れたのは皇帝(粛宗)の命を受けた程公公。高適が李白をどう思っているのかと問いつめる。

 粛宗は即位に際して異母弟の永王と対立し、永王は高適に追討された。永王の幕僚となっていた李白も捕えられたが、重臣・郭子儀から助命嘆願が出ていた。しかし高適はこれに賛同していないという噂が立っていたのである。その真実は、かつて高適が李白から教わった相撲の極意にあった。すなわち「敵を欺く」方法である。

 そして戦乱に疲弊した祖国で、ただ文芸の中に盛唐の栄華が留められていることを老境の高適は静かに語る。黄鶴楼は破壊されても詩の中の黄鶴楼は残る、長安は荒廃しても詩の中の長安は永遠に残る、と。そう、文芸の価値の一つはそういうことだ。いいなあ、こういうアニメ作品を生み出せる文化。あと、李白作品を読んだ時のブチ上がるテンションは、アニメの表現が合っているなあ、とも思った。

 3時間を超える長編アニメで、さすがに幼い子供は少し飽きていたが、私はとても満足した。李白、あまりにもチャランポランで、かなり腹立たしい(よく約束を忘れる)ヤツなのがまたよかった。杜甫は少年として登場。李白とは、けっこう年の差があるのだなと感じた。王維はあまり現代中国人には好かれていないのかしら。

 展示とレストラン(ランチ)の感想は別稿で。

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さよーならまたいつか!/連続テレビ小説「虎に翼」展(明治大学博物館)

2024-10-27 21:03:57 | 行ったもの(美術館・見仏)

〇明治大学博物館 『連続テレビ小説「虎に翼」展』(NHK財団主催)+『女性法曹養成機関のパイオニア-明治大学法学部と女子部-』(大学史資料センター主催)(2024年3月25日~10月28日)

 2024年度前期の朝ドラ『虎に翼』は法曹の世界を舞台にしたドラマで、とても面白かった。主人公のモデルになった三淵嘉子さんの母校・明治大学では、この週末まで関連展示が行われていたので最後に見てきた。

 展示室入口では、主題歌『さよーならまたいつか!』のロングバージョンと主演の伊藤沙莉さんのインタビュー映像が流れていて、みんなディスプレィの前で自然と足が止まってしまう。この主題歌とタイトルバック、私も大好きである。展示室内には、ドラマで使われた衣装や小道具など。これは、よねさんと寅子の衣裳。寅子のワンピースは、娘の優未にも受け継がれる。

 甘味処「竹もと」のメニューは、戦前・戦中・戦後、さらに季節ごとの設定もある。戦前の夏季メニューには、クリームソーダ水やアイスクリーム、冷シコーヒー・紅茶もあってハイカラだった。これは徐々に物資が減っていく戦中のメニュー。

 大学史資料センターの展示には、女子部の制帽があったり、

 実際に使われたらしい女子部の生徒証もあって、興味深かった。「乗車乗船中には必ず携帯すること」「鉄道係員の請求ありたる時は何時にても呈示すべし」とあるので、学割の証明だったのかなと思う。

 ドラマ関連の展示に戻って、これは主人公・寅子が日本国憲法の制定を知る新聞紙。焼き鳥が包まれていた設定なので茶色い沁みが着いている。

 紙面の左側が日本国憲法の全文なのだが、今回、写真を引き伸ばしてみて、右側がその解説であることを確認できた。大見出しは「国体は強靭な生き物/国民の見識と操守を期待」とあって、その下に「安倍能成」の署名がある。え~! ということは、どこか実際の紙面をもとにしているんだろうな。安倍能成、哲学者あるいは教育者で、漱石山脈のひとりとしか認識していなかったので、帝国憲法改正案特別委員会の委員長だったことを今知って、驚いている。なるほど。

 この記事は、憲法の章段ごとに解説を付けているのだが、重要な前半は別のページに掲載されているようで、ここには「第6章 司法」以下の解説しか見えない。安倍能成の文集などに採録されているなら全文読んでみたい。

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多民族世界のラブコメ/中華ドラマ『四方館』

2024-10-25 23:46:56 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『四方館』全39集(愛奇藝、2024年)

 東方の大国大雍(架空の王朝)の都・長楽城には、諸国の民が、交易や旅行・移住など、さまざまな理由で訪れていた。彼らの入国を掌るのが四方館。于館主のもと、東院・西院の二つの部署が置かれていた。

 元莫(檀健次)は定職もなく、父母の遺産で暮らす、酒好きの青年。16年前、父親の元漢景は四方使(外交大使)として焉楽国に赴いた際、政変に巻き込まれ、赤子の公主を助けるために、妻とともに命を落としてしまった。以来、ぼんやりと過ごしてきた元莫だが、ある日、焉楽国から流れ着いた少女・阿術と出会い、一緒に暮らすことになる。大雍の文字を学び、お金を稼いで、長楽城の戸籍を獲得することを目標とする阿術に影響されて、元莫も四方館の西院に出仕。西方の大国・焉楽国の康副使との交渉、宗教集団・紅蓮社の追及、焉楽国に対抗する西方五国との同盟など、次第に外交の才を発揮していく。

 【ややネタバレ】やがて阿術は、元莫の両親が命に代えて守った焉楽国の公主であることが判明。康副使は王権の簒奪者である龍突麒に仕えながら、貧しい村に隠した阿術の成長を密かに見守ってきた恩人だった。しかし阿術の幼なじみの少女・阿史蘭は、龍突麒の差し向けた軍勢に村が焼き払われた恨みを忘れず、自分は旧国王の血を引く公主であると虚偽を申し立てる。それをそそのかしたのは、焉楽国の刺客集団・無面人を率いる白衣客。阿史蘭は、危ない罠であることを知りつつ、復讐のため、白衣客に協力する。阿術は、幼なじみを救うため、自分こそ真の公主であることを明らかにし、阿史蘭は絶望して命を絶ってしまう。

 公主の責任を自覚した阿術は、龍霜公主として焉楽国に帰還する。付き従うのは四方使となった元莫。そして白衣客は、旧国王が身分の低い女性に産ませた男子、つまり阿術の弟だったことが判明する。白衣客は、龍突麒を殺害し、自ら王座に就こうとするが、元莫らと同盟諸国の協力によって阻まれ、西方に平和が訪れる。

 こうしてまとめてみると、よく考えられたストーリーなのだが、ラブコメ要素多めで、なかなか話が進まないので、私は最後までドラマに乗り切れなかった。主人公カップルはタイムスリップした現代っ子を見ているようだった。まあ中国ドラマらしく、過酷な経験を通じて、最後はずいぶん大人になるのだけど。

 むしろ脇役には魅力的なキャラが多かった。前半は王昆吾と尉遅華の武闘派カップルが楽しかったし、後半は安修義と林素素に涙した。安修義を演じた張舒淪さんは、『君子盟』の皇帝もよかったけど、この役で完全にファンになった。序盤は自尊心が高く、怒りっぽいのにヘタレという、典型的な嫌われ者のお坊ちゃんなのだが、最後は四方館の新しい館主に推されるに至る。人間的に成長した後のたたずまいが別人のようで感心した。今後も注目していきたい。

 北漠国の多弥王子も好きだった。演者の徐海喬さんは『夢華録』の欧陽旭の人か。今回も主人公カップルの気持ちを軽く騒がせる役だが、最後は阿術と元莫の危機を救う。あと、中間管理職の苦労の絶えない于館主(魏子昕)、一人娘の尉遅華に甘い父親の鄂国公(黒子)も好きだった。黒子さんみたいに、悪役の多かった俳優さんが人の好い父親役を演じていると微笑ましくて嬉しい。

 架空世界の物語ではあるけれど、「外交」や「移民」を中心に据えて描くのは、多様な民族と境を接してきた中国らしくて面白かった。逆に大雍国の皇帝が全く登場しないのは、中国ドラマとしては珍しいと思った。

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門前仲町グルメ散歩:2024チョコパフェ+江東区民まつり

2024-10-22 20:48:58 | 食べたもの(銘菓・名産)

先週末、ご近所・門前仲町の深川伊勢屋でおやつタイム。東京の気温は30度を超えていたけれど、さすがにメニューにかき氷がなくなっていたので、久しぶりのチョコパフェにした。またお値段が上がって、800円を超える価格になってしまったけれどやむなし。

それから、木場公園で行われている「江東区民まつり中央まつり」を覗きに行った。私は、この手の地域イベントは初めての経験だったが、ものすごく賑わっていてびっくりした。まあ江東区民、地域特性として、お祭り慣れしているのかもしれない。

イベント広場では「木場の木遣」を聴くことができた。客席の後方から、歌いながら壇上に向かう集団。

いろいろなサビを聴かせてもらったが、国歌「君が代」を木遣ふうに歌うというのが面白かった。なるほど、日本の伝統音楽って、五七五の詞章であれば、たいていのものは置換可能なのだ。

それから「労働歌」というものがあった時代と、今の時代との差異についても、いろいろいろ考えさせられた。現代の労働環境に労働歌が生まれるとしたら、どんなものになるのか、など。

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2024年10月関西旅行:白鶴美術館、中之島香雪美術館

2024-10-20 23:03:31 | 行ったもの(美術館・見仏)

 これは先週日曜日の記録。土曜日に、どうしても見たかった展覧会をクリアできたので、次の候補を訪ねることにした。

白鶴美術館 秋季展・開館90周年記念展 秋季の部『観古-いにしえをみる』(2024年9月25日~12月8日)

 1934(昭和9)年5月、白鶴酒造七代嘉納治兵衛(雅号鶴堂・鶴翁、1862‐1951)の寄贈品500点をもとに開館した同館が開催する、開館90周年記念展。白鶴美術館、私の最後の訪問は、いま調べたら、2016年の秋季展『大唐王朝展』のようだ。ネットで調べるとJR神戸線の住吉駅からバスがあるという。実際に住吉駅に下りたら、そうだ、駅前じゃなくて、少し離れた大通りからバスが出るんだった、という記憶がよみがえった。

 1階展示室は日本の美術品多めで、古墳時代の銅製の鈴(三環鈴、四環鈴)、大きな勾玉、法隆寺伝来の金銅小幡、そして賢愚経(いわゆる大聖武)など。『高野大師行状図画』(鎌倉時代)は淡彩の絵巻で、ちまちました人物が愛らしかった。展示は巻2、3のみだったけど全10巻のあるのか。他の巻も見たい。

 2階は中国もの多めで、『千手千眼観音菩薩画像』(伝・敦煌出土)は初めて見たように思う。いろいろ持物を持った千手観音の立像の下に供養人なのか、俗人の男性と僧侶が描かれている。俗人は黒の官服(?)に赤いベルト。この画幅自体は五代年間の作と推定されているが、画中の四角い囲みには「唐朝大中五年隠蔵於大清光緒弐捨陸年四月吉日閃出」(書きなぐりのメモなのであまり自信がない)つまり、唐代に蔵経洞に封じ込められたものが清の光緒年間に発見された、という墨書があって興味深かった。2階展示室の奥の一室には高麗時代の『阿弥陀三尊画像』が掛けてあって、これもよかった。

 こういう、大実業家の邸宅に招かれたような美術館は独特の趣きがあって好き。最近は、どこも建て替えが進んでいるけれど、末永く残ってほしい。新館の『中東絨毯の美-アナトリア編』も参観して、坂道を下り、阪急御影駅まで歩いた。

中之島香雪美術館 特別展『法華経絵巻と千年の祈り』(2024年10月5日~11月24日)

 『法華経絵巻』(鎌倉時代)の修理が2023年3月に終了したことを記念して、法華経の内容を絵画化した作品と、法華一品経の歴史にスポットを当て紹介する。同館所蔵の『法華経絵巻』は初見だろうか。山野にまるっこい赤と白の宝塔が散らばっている図が、絵本を見るようにかわいい。小さく書き添えられた人々と動物たちもかわいい。ただし絵巻と言っても短めの断簡なので、特にストーリーの展開はない。京博と畠山美術館にも同類の断簡があるそうだ。

 このほかにも日本・中国・朝鮮で制作された法華経絵画(経典の挿絵など)が展示されていて面白かった。日本では金銀泥あるいは金泥で書写したものが多数つくられていて、どれも美しい。そして中之島香雪美術館の展示室のは、金泥の輝きを愛でるのにとても適していると思う。海住山寺の『法華経曼荼羅』を見ることができたのも嬉しかった。これ、大きな画面に人物も仏菩薩も小さく描かれていて、なんだか寂しい風景だと思っていたけれど、よく見ると賑やかで楽しそうに思えてきた。

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2024年10月関西旅行:大津市歴博、福田美術館ほか

2024-10-19 22:18:47 | 行ったもの(美術館・見仏)

 これは先週土曜日の記録。朝イチ、続々と天孫神社前に向かう大津祭の曳山を後にして、大津市歴博に向かった。

大津市歴史博物館 第96回企画展『石山寺-密教と観音の聖地-』(2024年10月12日~11月24日)

 紫式部が「源氏物語」の着想を得たといわれ、「枕草子」などにも登場する文学の寺として知られる石山寺。近江屈指の古刹・石山寺の歴史と仏教文化を紹介する。1階ホールには大河ドラマ『光る君へ』の大型パネルが飾られ、常設展示室内では、特集展示『源氏物語と大津』(2024年1月10日~2025年2月2日)も開催中。この際、大河ドラマに乗ってしまおうという企画だろう。だが企画展の内容はかなり地味で、第1室の前半はほぼ文書ばかり。それも密教の教義や儀軌に関する固い内容ばかりで「文学」の要素は薄い。後半は仏像・仏画が多数出ていて嬉しかった。

 平安時代の二天立像は福々しい顔立ちでかわいい(四天王だったかもしれないが、二天しか伝わっていないとのこと)。大日如来坐像は複数出ていたが、小顔で肉を削ぎ落したような体躯の像(平安時代、重文指定でないほう)が私の好み。第2室は『石山寺縁起絵巻』巻1~7を少しずつ展示。巻3の東三条院詮子の石山詣(道長らも従う)、巻4の紫式部が「源氏物語」を起筆する図をしっかり見ることができた。ただ個人的には巻1の比良明神の示現とか、巻6の聖教を護る鬼となった学僧の逸話に興味を感じた。

福田美術館 開館5周年記念・京都の嵐山に舞い降りた奇跡!!『伊藤若冲の激レアな巻物が世界初公開されるってマジ?!』(略称:若冲激レア展)(2024年10月12日~2025年1月19日)

 大津市役所前→京阪大津京→JR大津京→(京都駅乗換え)→JR嵯峨嵐山と言うルートで、意外とスムーズに移動できた。本展は、今年3月に同館が発表した新発見の『果蔬図巻』に加え、同館が所蔵する若冲作品約30点を公開するもの。同館の若冲コレクションは、正直、玉石混交で、見ていてつらい感じもする。むしろ関連作家として並んでいる宋紫石、鶴亭、熊斐、佚山などのほうが見応えがある。鶴亭『梅・竹図押絵貼屏風』はとてもよかった。

 『果蔬図巻』はヨーロッパの個人が所蔵していたもので、2023年2月に大阪の美術商から福田美術館に画像確認の依頼があり、7月に真贋鑑定を行ったうえで、同年8月にオークション会社経由で所有者から購入したそうだ(美術手帖)。巻末には梅荘顕常の跋文があり、寛政3(1791)年、若冲79歳の作と分かる。若冲と顕常(大典和尚)といえば、明和4年(1767)春には『乗興舟』の川下りを楽しんだ親友ということで、会場では『乗興舟』が並べて展示されていた。挿絵つきの説明パネルが丁寧で嬉しかったのだけど、↓これは日が暮れて、船の上で早春の寒さに震える二人(笑)。

 ともに70代の老翁になっても親交が続いており、大典さんが跋文の中で川下りの一日を懐かしんでいるのがとてもよくて、画巻そのものよりも印象に残った。いや画巻も、もちろんよかったのだが。

龍谷ミュージアム 秋季特別展『眷属(けんぞく)』(2024年9月21日~11月24日)

 移動がスムーズに運んだので、お昼を抜いて、京都でもう1ヶ所寄っていくことにする。本展は、昨年度開催した特集展示『眷属-ほとけにしたがう仲間たち-』(2024年1月9日~2月12日)を特別展としてパワーアップしたもの。年初めの特集展示は見に来られなかったので大変ありがたい。

 眷属とは、仏菩薩など信仰の対象となる主尊に付き従う尊格のことで、薬師如来の十二神将、釈迦如来の十六善神、普賢菩薩の十羅刹女など、多様な眷属が取り上げられていた。彫刻では、金剛峯寺の『不動明王八大童子像』から指徳童子と阿耨達童子(龍に乗る)が来ていて、ケースなしの露出展示でじっくり眺めることができた。中世の補作と伝わる2像を敢えて持ってきた選択が心にくい。同館の展示は、やはり浄土真宗のネットワークが強いのか、他の美術館・博物館では見たことのない作品に出会うことが多い。今回でいえば、たとえば東京・霊雲寺の『大威徳明王像』(鎌倉時代)。人間のドクロを山ほど身につけ、恐ろしい形相で疾駆する大威徳のまわりを旗や得物を持った童子たちが一緒に走っている。霊雲寺、調べたら湯島のお寺で、昨年の『中国書画精華』でも気になったお寺だった。

 大阪・正圓寺の『厨子入 天川弁才天曼荼羅』(田中主水作、江戸時代)にはびっくりした。三頭の蛇頭人身のお姿が立体彫刻で表現されているのである。実は大津市歴博の『石山寺』にも天川弁才天の仏画が出ていて、珍しいなあ、と思ったその日に、こんな変わりものに出会うとは。滋賀・大清寺の『千手観音二十八部衆像』(後期)は、図録で見ると私好みで魅力的なので、後期も行こうかと考えてしまったが、仏画は図録の写真で楽しむほうがよいかもしれない。しかし一度は足を運んで損のない展覧会。東京に巡回してくれたらいいのになあ。

大和文華館 特別企画展『禅宗の美』(2024年9月6日~10月14日)

 墨蹟、頂相、道釋人物画、禅僧にまつわる水墨画などを展示し、中世に花開いた禅宗文化の多様な美術品の魅力を紹介する。前半は墨蹟が中心で、保存修理が完成した虎関師錬筆『墨蹟 法語』のお披露目にもなっている。虎関師錬の書は、素人目にも確かに巧いが、巧すぎる感もある。私はむしろ禅僧の日常的な書状のほうに惹かれた。

 絵画はなんといっても雪村の『呂洞賓図』。これを見るために東京から来たのであるが、ほかにも雪村筆『楼閣山水図』『潭底月図』『花鳥図屏風』(左隻)が見られて嬉しかった。『楼閣山水図』は、山水図の基本形式(近景・中景・遠景)を全く無視しているようで面白かった。

 この日は大阪泊。

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