見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

台湾旅行2025【2日日】国立故宮博物院(続き)

2025-02-14 22:57:01 | ■中国・台湾旅行

国立故宮博物院(台北市士林区至善路)

【202,210,212室】「心を伝える書と絵-書画に見える人情味」(2025年1月10日~4月13日)
品物や風景に託した思い、旅立ちや長寿の祝いなど、気持ちの伝達を中心に文字や絵画で心情を表現した書画作品を展示する。

明・張宏の『石屑山図』。大幅なので写真は一部だけ。この人は、大和文華館所蔵の『越中真景図冊』で名前を覚えた画家で大好き。

明・宣宗(宣徳帝)の『画寿星』。『明史』には宣徳帝が臣下に「寿星図」を賜った事が載るという。宣徳帝、絵画に堪能(しかもネコの絵多し)という逸話に加え、小説『両京十五日』ですっかり親近感を抱くようになった。この寿老人は、頭の長さが人間的。

【208室】「国宝鑑賞」
明・沈周(1427-1509)の『写生冊』を展示。花果や家禽、蝦蟹、猫、驢馬など日常的な景物を描いた作品で、特に生き生きした鳥や動物が楽しい。中国ドラマで覚えた文人政治家・高士奇の題跋(写真パネルのみ展示)があると知って、またテンションが上がってしまった。

【201,205,207室】「土の百変化-院蔵陶磁コレクション」
【202室】「巨幅の名作」
【203室】「目で見る紅楼夢」
【204,206室】「筆墨は語る-故宮書法鑑賞ガイド」

【300,301室】「すてきな魔法のお部屋─故宮のロココ」
今季最も「売り」の展示らしく、展示室全体が女子好みのかわいい別世界にしつらえられていた。展示品(香水瓶、拡大鏡、置時計、化粧小箱など)は、多くが「フランス製」とあったが、管理番号が「故」で始まっているところを見ると、もともと故宮の(つまり清朝宮廷の)所蔵品だったようだ。

【302室】「南北故宮 国宝薈萃」
いつも大混雑の特別室。今季は『肉形石』と『玉〔天地人〕三連環』を展示。『翠玉白菜』は南部院区に出張中だった。

【303室】「愛好家から見た硯の美」
蘇軾や米芾など「硯痴」と呼ばれた人々を惹きつけた硯の魅力を鑑賞する。これは五色の墨。

【304室】「祭礼と戦い-古代武器攻略」
石器・玉器をルーツとして、剣、矛、弓矢(弩)など青銅兵器の誕生と発展を概観する。展示室内にデジタルのシューティングゲームのコーナーもあって面白かった。

【305,307室】「古代青銅器の輝き-院蔵銅器精華展」
【306,308室】「敬天格物-院蔵玉器精華展」

 以上、常設展示エリアをショートカットしたおかげで、なんとか3時間(9~12時)で、ひととおり参観することができた。本館地下1階正面のバス停でMRT剣南路駅行きのバスを待つ。前の晩に、故宮博物院から中央研究院歴史文物陳列館への行き方を調べたところ、剣南路駅からMRT文湖線に乗って南港展覧館に出るのがいちばん早そうだったのだ。

 乗客の多い士林駅行きのバスが出たあと、続いてやってきた剣南路駅行き「棕20」はミニバス。私のほか、数名が乗車した。初めて乗る路線だが、悠遊カードを持っているので問題ないだろうとタカをくくっていたら、普通の路線バスと違って、あまりちゃんとした停留所の案内がない。だんだん乗客が減って不安になってきたので、おそるおそる運転手さんに声をかけたら、MRTは次、下りて後方、ということを身振りつきで教えてくれてホッとした。ありがとうございます。

 そして剣南路駅からMRT終点の南港展覧館駅へ。車窓からは大きな湖(大埤湖)のある碧湖公園の眺望が楽しめた。次は遊びに来てみようかな。南港展覧館駅からは、前回(2018年)の記憶をたぐりよせ、中研路方面に向かうバスに乗車、歴史文物陳列館を目指した。

(続く)

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台湾旅行2025【2日日】国立故宮博物院

2025-02-13 22:13:16 | ■中国・台湾旅行

 今回の台湾旅行では、行きたい博物館が3つ(国立歴史博物館、国立故宮博物院、中央研究院歴史文物陳列館)あって、当初は1日1ヶ所を予定していた。ところが出発直前になって、3日目の月曜日は全て休館であることを発見(故宮博物院は無休かと思っていた)。どこか1ヶ所あきらめようとも考えたが、結局、2日目の2月9日(土)は欲張って2ヶ所ハシゴする決意を固めた。

国立故宮博物院(台北市士林区至善路)

 まずは台湾に来たら外せない故宮博物院へ。MRT士林駅で下りると、以前はなかった故宮行きバス乗り場の案内板ができていた。この子は『翠玉白菜』をモデルにした小翡(シャオフェイ)ちゃんで、故宮の館内でもたくさん見かけた。

 故宮博物院に到着したのは8:30頃。外のベンチで待っていたら、9:00の開館の10分前くらいに中に入れてくれた。チケットを購入して、入館ゲートのオープンを待つ。開館と同時に、多くの参観客は名品の常設展示に流れて行ったが、私は迷わず、今季の特別展会場へ一番乗り。

【105,107室】「季節の祝い事-故宮所蔵品から見る清代の年中行事とその文物」(2025年1月28日~4月27日)
四時、八節、十二月令、二十四節気など、伝統的な時間周期に合わせ、季節の行事に関連する作品を精選して展示する。風俗画好きにはたまらなく楽しい展示。清朝の官員たち、冬は氷上だか雪上だかで橇を引かせていたりして楽しそう。

これは「春鞭牛」や「春打牛」といって、立春前日に土牛を鞭打って春耕を始めることを願う行事。古代の日本でも宮中の追儺で土牛を配置した記録があるが、中国では清代にも行われていたことを知る。

【103室】「都市建設の風雲-清代文献と絵図に見える台湾の諸都市」(2024年12月14日~2025年3月9日)
都市建設にまつわる台湾ならではの歴史や物語を、古籍、絵図、文物資料などで紹介する。台湾における撫民や都市建設について「福康安」が乾隆帝に奏上した文書がいくつか出ていてハッとした。福康安(フカンガ)、金庸の武侠小説やドラマでおなじみの人物なので。

【104室】「四通八達-古代道里交通図籍展2」(2024年12月7日~2025年3月2日)
皇帝の巡幸や陵墓の拝謁用の往復ルート、国境付近の警備軍用辺防図、東西南北を結ぶ大型駅路図など、さまざまな道里交通図を展示。美しい彩色の絵図も多くて楽しかった。日本と違うのは、運河や湖水を利用する水路が主要な交通ルートに組み込まれていることだろう。

【101室】「慈悲と知恵-宗教彫塑芸術」
【102室】「オリエンテーションギャラリー」
【106室】「集瓊藻-故宮博物院所蔵珍玩精華展」

【107室】「貴族栄華-清代宮廷の日常風景」
全体の雰囲気が以前と少し変わっていたのと、恭親王奕訢の写真が飾ってあったので、おやと思ってパネルの説明を読んだ。故宮博物院は1980年代の初め、北京の恭王府にあった紫檀家具を購入した。これらはもともと清朝宮廷にあり、恭親王が咸豊帝から賜って使用していたものだという。そういう由緒に弱いのと、1980年代初めの大陸中国を思いやって、しみじみ眺めてしまった。

(続く)

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台湾旅行2025【初日】国立歴史博物館、台北植物園、中壢

2025-02-12 21:32:37 | ■中国・台湾旅行

 久しぶりに2泊3日の弾丸台湾旅行に行ってきた。年末年始にも検討していたのだが、安いツアーが見つからなくて断念。この時期、ようやく航空券とホテルで15万円を切る設定ができたので、決行することにした。

 2月8日(土)は早朝5時起き、羽田発7:55の中華航空便で台北松山空港へ向かった。羽田のチェックインカウンターのお姉さんに「中華空港は入国カードが全てオンライン化されましたので」と言われて、ORコードを印刷した紙切れを貰ったのだが、まだ頭が働かないまま、飛行機に搭乗してしまった。しかし機内ではネットが使えない、松山空港で入国ゲートの前でスマホを取り出してみると、空港wifiに接続できたので、なんとか入力。入力画面を見せてゲートを通過した(ゲート前で紙の入国カードも入手できる)。

 MRTに乗る前に悠遊カードの残高を確認。5年前にチャージした金額がちゃんと残っていてホッとする。予約したホテル(サンルート台北)に寄ってチェックインを済ませたのは午後1時近くだった。この日の台北は小雨のパラつく曇り空で、信じられないほど寒い。暖かくなることを予想して薄手のパーカーも持ってきたのだが、冬物コートのまま観光に出発する。

国立歴史博物館(台北市南海路)

 ここには何度か来たことがある(最後は2017年)のだが、しばらく工事のため休館しており、2024年2月にリニューアルオープンしたというので、ぜひ来てみたかった。伝統建築風の正面外観は変わっていなかったが、現代的なデザインの回廊が付設されていて、日本の博物館のリニューアルと似ているなと感じた。

 1~2階の特設展示は『藏珍-清翫雅集30周年記念コレクション展』。「清翫雅集」は1992年に設立された台湾の文物収蔵家の組織で、本展では、伝統的な書画、西洋美術、器物、珍玩など多様な文化財の個人コレクションを展示する。

 私が一番気に入ったのはこれ。北宋・磁州窯の『白釉黒花耄耋紋荷形枕』。耄耋(ぼうてつ、maodie)は老いぼれることだが、猫(mao)と蝶(die)で長寿を祈願する意味にも使われる。大好きな磁州窯だが、ネコの図柄は初めて見た。

 これは金代の磁州窯で『赤緑彩将軍坐俑』。腰につけているのは角笛? 足元に親犬(?)の親子がいるのがかわいい。

 なんか可愛い絵画があると思ったら、これも大好きな斉白石だった。立ち上がったネズミが見上げているのは燭台で、上に赤い蝋燭が載っている。手前のネズミは4個の赤い実にかじりついていて『許得四利』というタイトルである。

 3階は同館コレクションが中心で、銅器、玉器、唐三彩など、見ごたえある歴史文物が展示されていた。唐三彩の天王像は象の頭の膝当てを付けている。象頭皮の膝当てといえば、深沙大将か大元帥明王だと思っていたが、これはどちらかの尊格なんだろうか。

 なお、同館の歴史を回顧する展示も行われていた。1970~80年代、大陸中国では文化大革命によって貴重な歴史文物の破壊が進行したが、同館は「中華文化在台湾」を掲げ、中華文化を代表する名品の精巧な複製をつくり、「中華文物箱」に納めて世界各地での展覧に供したという。日本ではあまり意識したことがない、博物館の政治的・外交的役割について考えさせられた。

台北植物園(台北市南海路)

 もう1ヶ所、別のスポットに移動するほどの時間はなくなってしまったので、国立歴史博物館の隣りにある植物園に寄っていくことにした。広い園内は無料で開放されている。同園は日本統治時代に日本人によって創設された「台北苗圃」が前身だという。では、牧野富太郎博士も立ち寄っていたかもしれないな。

 あやしい門構えがあると思ったら、この「欽差行台」は清朝末期の建築で、中央政府(もちろん北京)から台湾に視察に来た官員を接待するためのゲストハウスだった。市内の別の場所から移設されて、保存されている。

■台北駅→MRT桃園機場線→老街渓駅…禅園(レストラン)…中壢駅→台鉄自強号→台北駅

 予定どおり、台北駅16:00発のMRT桃園機場線に乗車し、1時間ちょっとで終点の老街渓駅に着いた。ここで知人と落ち合い、客家料理のレストランに連れていってもらった(料理の詳細は別記事またはフォトチャンネルで)。中壢区は、もともと客家が多い地域で、隣りの桃園区とは文化が異なるのだが、現在は桃園市に広域統合されているそうだ。

 食後は少し歩いて、元宵節のランタン飾りを楽しみながら、台鉄の中壢駅に出た。駅前は東南アジア系の集住地帯になっていて、タイ語、ベトナム語のお店が目立った。中壢駅から台鉄の特急自強号に乗り、40分ほどで台北駅へ。これで盛りだくさんの初日観光を終了。

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台湾旅行2025【食べたもの】

2025-02-11 21:08:39 | ■中国・台湾旅行

2月8日から10日まで2泊3日の台湾旅行に行ってきた。私の最後の海外旅行は、コロナ禍直前の2020年正月の台湾旅行だったので、それから5年ぶりである。見てきたもののレポートはこれからゆっくり書くとして、まずは食べたもの。

今回、基本的には一人旅を計画したのだが、むかし仕事でお世話になった方が台湾にいることが分かっていたので、連絡を取ってみたら食事をご一緒してくれることになり、初日の夜は台北からMRTで1時間ちょっと(台鉄の特急だと40分位)の桃園市中壢区まで遠征した。

連れて行ってもらったのは「禅園」という客家料理のレストラン。小人数向きに区切られた空間、アジアというより地中海ふうのインテリア、若いお姉さんの接客も行き届いていて気持ちよかった。料理はどれも美味!

初めて食べて感動的に美味しかったのは、豆腐の蟹みそ煮込み(蟹黃豆腐煲)。日本でもどこか食べられるお店はないだろうか。グリンピースの甘みがアクセント。

豚バラ肉と芥子菜の漬物(梅干扣肉)は、東京の雲南料理レストランでも食べたことがあったが、本来は客家料理なのだな。梅干菜は東京でも手に入りそうなので、今度、買ってみようかしら。

2人で5品注文したら満腹で全部は食べ切れず、知人が「打包」して持って帰った。飲みものは、プーアル茶→台湾ビール→紹興酒。ごちそうさまでした。

その後は一人旅なので、例によって台北駅のフードコートなどを活用。台南小吃の麺料理は。干しエビ風味のスープが美味しい。

泊まったホテル(サンルート台北)の周辺も、コンビニやカフェが多くて便利だった。温州ワンタンのお店と手作り包子のお店が気になって、迷った末、2日目の夕食代わりに肉まんをテイクアウト。肉まんの生地が、やっぱり日本のコンビニ商品とは違うなー。

あと、朝食に利用した楽田麵包屋(パン屋)のパンも美味しかった。種類豊富で、どれも日本のパンよりボリューミー。

観光レポートは明日以降、順次。なお、さきに写真だけ選んでフォトチャンネルに載せてみた。

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珠玉のコレクション再び/少女たち(三鷹市美術ギャラリー)

2025-02-06 22:46:04 | 行ったもの(美術館・見仏)

三鷹市美術ギャラリー 『発掘された珠玉の名品 少女たち-夢と希望・そのはざまで- 星野画廊コレクションより』(2024年 12月14日~2025年 3月2日)

 京都・岡崎の神宮道の「星野画廊」は、画家の名前にとらわれず、埋もれていた優品を数多く発掘してきた老舗画廊。本展は、そのコレクションから、さまざまな年代や境遇の女性を描いた作品を紹介する。2023年夏に京都文化博物館で見た展覧会と同じタイトルを冠しているが、規模はややコンパクトで、完全な巡回展というわけではないらしい。

 京都文化博物館の展覧会は、正直、人も多く出展数も多くて疲れてしまった記憶があり、今回のほうが気持ちよく参観することができた。私が好きなのは笠木治郎吉の作品。『下校の子供たち』は、歴博の企画展示『学びの歴史像』で出会ったことが忘れられない。2019年の歴博の展示では作者名も明示されていなかったように思うが、近年、画家について、ずいぶんいろいろなことが分かってきたようだ。同じく明治後期に活躍した「作者不詳(Tani)」氏のことも、いつか分かるようにならないかな。『客を迎える少女』『覗き見する少女』など、ひめやかな好奇心の覗く眼差しが魅力的である。

 北野恒富、島成園などの有名画家の作品も実は混じっている。岡本神草の『拳の舞妓』(両手を広げ、正面を向いた舞妓のアップ)も出ていた。神草の『拳を打てる三人の舞妓の習作』の原状を復元したのも星野画廊さんなのだな。甲斐荘楠音は『畜生塚の女』もいいが、着物姿の女性がグラスのストローをもてあそんでいる『サイダーを飲む女』も好き。玉村方久斗は日本画における前衛を追求した画家だそうで、素朴絵みたいな『貴人虫追い図』『竹取物語』がおもしろかった。

 星野画廊、いつか京都で時間のあるときに立ち寄ってみたい。笠木治郎吉のゆかりだという、かさぎ画廊(鎌倉と横須賀)も行ってみたいな。

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悪の帝国像を忘れて/帝国で読み解く近現代史(岡本隆司、君塚直隆)

2025-02-04 22:28:09 | 読んだもの(書籍)

〇岡本隆司、君塚直隆『帝国で読み解く近現代史』(中公新書ラクレ) 中央公論新社 2014.12

 「帝国」をキーワードに近現代史(18世紀~現代)を捉え直してみようという対談。ヨーロッパ国際政治史の君塚先生も中国史の岡本先生も大好きなので、わくわくしながら読んだ。はじめに岡本先生が言う、『スター・ウォーズ』シリーズの最初に制作されたエピソード4に描かれた帝国は、まさに多くの人々が抱いている「帝国や皇帝は悪である」というイメージをトレースしたものであると。うん、分かりやすい。しかし「帝国=悪」というイメージは本当に正しいだろうか。スティーヴン・ハウは帝国を「広大で、複合的で、複数のエスニック集団、もしくは複数の民族を内包する政治単位(後略)」と定義しているが、帝国の歴史的な実態は多様で多義的であると両氏は考える。

 検討は18世紀の東アジアから始まる。中国(清朝)は、康煕、雍正、乾隆の盛世。当時のヨーロッパは貧しかった。もともと小麦の収穫倍率は米よりずっと低く、中世で1対2~3、18世紀でも1対4~6程度だった。米は奈良時代に1対20(1粒蒔けば20粒収穫できる)だったという。この研究、おもしろい。ヨーロッパは必然的に機械化を図らなければ豊かになれなかった。18世紀半ばに産業革命が起き、同時に科学・農業・金融などさまざまな「革命」が起きて、ヨーロッパは飛躍的な発展を遂げる。一方、清朝はウルトラ・チープ・ガバメントで、官と民が著しく乖離している上に、民もバラバラだったことが、発展の阻害要因となった、というのが岡本先生の見立てである。

 19世紀末、日清戦争が日本の勝利に終わると、列強による中国分割競争が本格化する。東アジアでは日本が急速に台頭し、日露戦争にも勝利を収める。しかし勢いに乗って進めた朝鮮の植民地化政策は「稚拙だったとしかいいようがありません」と両氏とも厳しい。中国では梁啓超が国民国家の概念を持ち込み、ようやく中国が本気で変化を志すようになる。しかしそれは途方もない困難を伴う事業だった。君塚先生の「中国は『複数の民族を内包している』という意味での帝国としてしか存在しえないといえるかもしれませんね」という言葉が味わい深い。

 第一次世界大戦から第二次世界大戦へ。君塚先生は日本の「ポイント・オブ・ノー・リターン」として、上海への攻撃(1937年)に始まる日中戦争を挙げる。満洲国の建国に留まっていれば、ソ連南下の防波堤として、イギリスも蒋介石も容認していたのではないか。日本の外交は、ある時点までは非常にクレバーだったが、戦勝国として世界の大国の仲間入りを果たしたあたりから、傲慢、怠慢になって、学ばなくなったという。歴史は繰り返していないか、不安を感じる指摘だった。

 第二次大戦終結後、表向きは世界から帝国が完全に消滅した。しかしアメリカとソ連をどう考えるか。特にアメリカは、自由と民主主義を信奉する国でありながら、その「自由と民主主義」という理想を世界に拡大するため、邪魔になる勢力を潰すことには全くためらいがない。岡本先生は、これは西部開拓時代の「マニフェスト・デスティニー」以来のアメリカのDNAのようなものかもしれないと述べている。昨今、この野蛮なDNAが悪い意味で頭をもたげているようで気になる。そして、やっぱり「ひとつの中国」を目指す中華人民共和国の試行錯誤も気になる。なぜあんなに「ひとつ」を強調するかというと、気を許せばすぐにバラバラになる集団だから、というのは、滑稽だけど分かる。皇帝を戴く帝国も、帝国主義も否定されて久しいが、「国民国家と帝国的なもののせめぎ合いは今も続いている」と君塚先生はいう。

 私は高校の世界史の教科書で、最終章近くに登場した「民族自決」「国民国家」というキーワードをまぶしく眺めた記憶がある。しかし、これが万能の価値観でないことは、悲しいけれど、よく分かってしまった。多様なエスニック集団や民族が平和に共存する方法を考える上で、近代以前の「帝国」にも虚心に学ぶべきものがあると思う。

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2025年1月展覧会拾遺

2025-02-03 23:51:27 | 行ったもの(美術館・見仏)

台東区立書道博物館 東京国立博物館・台東区立書道博物館連携企画『拓本のたのしみ-王羲之と欧陽詢-』(2025年1月4日~3月16日)

 この年末年始は、三井記念美術館の『唐(から)ごのみ』展で弾みがついて、東博→書道博物館と拓本を眺めてまわった。本展は、石碑が亡失した天下の孤本、王羲之や唐の四大家ら歴代名筆の拓本、そして拓本に魅せらせた明清文人の高雅な世界など、拓本の持つ魅力とたのしみ方をさまざまな視点から紹介する。王羲之については、京博の上野本『十七帖』や五島美術館(宇野雪村コレクション)の『宣和内府旧蔵蘭亭序』も来ていて眼福だった。展示解説の端々に、歴史上の有名な書家をマンガふうに表現したキャラクターが使われていて、かわいい。アクスタにしてくれないかなあ…。

日本民藝館 特別展『仏教美学 柳宗悦が見届けたもの』(2025年1月12日~3月20日)

 仏教美学に関わる資料展示と、柳宗悦が直観で見届けた具体的な作物の提示によって、柳が悲願とした「仏教美学」を顕彰する。入館して、大階段下の展示ケースに近づいて、あれ?と思った。いつも展示品に添えられている、黒い札に朱書きの、同館独特のキャプション札がないのである。以前、あの文字を書ける人は限られているので、いつまで続けられるか、みたいな記事を読んだことがあったので慌てた。実は、今回の特別展に関しては、おそらく直観を大事にするために、あらゆるキャプションを意図的に外したようである(併設展の展示は、いつものキャプションつきだった)。

 地域も時代も異なる作品が醸し出す美のハーモニーには心が洗われたように思った。しかし、やっぱり私は直観では生きられない人間なので、大展示室前に用意されていた細かい文字のリストを手に取って、気になる作品の地域や時代をチェックした。写真は唐代の女子俑に台湾パイワン族の首飾り。ほかに記憶に留めたいのは、動物の造型の中にあった『猫型蚊やり爐』(瀬戸、19世紀)。玄関ホールの壁に掛かっていたデカい拓本『水牛山般若経摩崖』(南北朝時代)は、肥痩のあまりない、素朴な文字を好ましく感じた。

根津美術館 企画展『古筆切 分かち合う名筆の美』(2024年12月21日~2025年2月9日)

 根津美術館の古筆展、はじめから行くつもりで、全く説明を読んでいなかったのだが、あらためて開催趣旨を眺めたら「本展では、当館の所蔵に新たに加わった重要文化財『高野切』を含む、平安から鎌倉時代にかけて書かれた、館蔵の古筆切を中心に展示します」とある。えっ?現代でも高野切が新たにコレクションに加わるなんてことが起きるのか?! 新収の高野切は、古今和歌集巻第19の旋頭歌4首が書かれた1幅で、第三種の書風。「軽快でのびやかな筆線」と評されている。高野切は第一種が至高と言われるけれど、私は第三種もかなり好きだ。

 『源氏物語奥入断簡』にも目が留まった。『源氏物語奥入(げんじものがたりおくいり)』は藤原定家による『源氏物語』の注釈書。2022年には新出の断簡が発見され、2023年に五島美術館で展示されたが、今回展示の断簡は、すでに知られていたものらしい。「いにしへのしずのをだまきくりかへし」という、伊勢物語所収の和歌が記されていた。

 なお、古筆について私の推しは、やや癖の強い藤原定信(石山切・貫之集)とバランスのとれた藤原教長(今城切)である。

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北宋ミステリー画巻/中華ドラマ『清明上河図密碼』

2025-02-01 23:32:21 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『清明上河図密碼』全26集(中央電視台、優酷、2024年)

 北宋の都・開封の賑わいを描いた画巻『清明上河図』をモチーフにしたミステリー時代劇。画巻の作者として知られる張択端も劇中に登場する。主人公は大理寺の下級官吏の趙不尤。父親の趙離、弟の墨児、妹の弁児、そして妻の温悦と仲良く暮らしていた。趙不尤が温悦と出会ったのは15年前、都に帰還した官吏・李言の船が何者かに襲われ、李言と全ての船員が殺害された事件の晩だった。群衆に押されて河に落ち、着替えを求めて店に立ち寄った趙不尤は、同じく着替えを必要としていた温悦に出会う。温悦は李言の船を襲った水賊のひとりではないかという疑いを、趙不尤は微かに持っていた。

 いろいろ新たな事件があって、徐々に温悦の前身が明かされていく。温悦は船大工の娘だったが、幼い頃、両親を殺されて孤児となり、水賊の一味に拾われ、武芸を仕込まれて育った。15年前、何者かの指令を受け、李言の船を襲ったのも彼女たちだった。趙不尤は温悦の正体を知っても、一途に妻を護り続ける。開封府の左軍巡使・顧震は、かつての上官・李言を殺害した犯人を捜し求めて、温悦の関与を知るが、真の元凶はその背後にいると考える。大理寺をクビになった趙不尤は、開封府に転がり込み、顧震の下で15年前から現在に至る事件の解決に尽力する。

 さて、趙不尤の弟の墨児と妹の弁児は、本人たちには隠していたが、理由あって若き趙不尤が引き取った貰い子だった。大理寺の先輩だった董謙が何者かに殺害される前に、幼い息子と娘を趙不尤に託したのである。そして、その董謙こそ、温悦の家族を襲った犯人だった。自分の意思とは無関係に張り巡らされた因縁に困惑する温悦、墨児、弁児たち。しかし、結局、今ある家族の姿を大切にしようという決心に至る。そこに現れたのは、死んだと思われていた温悦の弟・蘇錚。彼は、両親の仇を討つため、董謙につながる人々を陥れようとするが、温悦は抵抗する。

 そして、最後に宮廷の大官にして貪官・鄒勉こそが全ての事件の黒幕であったことが判明する。鄒勉の娘と娘婿も傍若無人な悪役として登場するが、父親の鄒勉は、それを上回る冷酷・凶悪ぶりを見せる。このラスボスを裁判劇の舞台に連れ出し、悪事を糾弾する趙不尤の弁舌がクライマックス。圧倒的な民衆の賛同を得て、実際に開封府尹の審理に引き渡されることになる。このとき、鄒勉の意を受けた私兵が突撃するのを瓦子(劇場)の前で、体を張って阻むのは顧震と下僚の万福。

 善悪どちら側も癖のあるキャラが多くて面白かった。ルックスは全くイケていないけど、なかなかの頭脳派で、妻と家族思いの趙不尤。張頌文さん、いいドラマに当たったと思う。顧震は土いじりが趣味らしく、周一囲さんにしてはじじむさい役柄が大変よかった。その部下、お笑い担当のようで頭児(ボス)への忠誠心は厚い万福(林家川)も好き。墨児と親交を結ぶ学究肌の青年・宋斉愈役は郝富申くん!古装劇は初めて見たけど、どんどん出てほしい。

 『清明上河図』の虹橋を再現したセット、さらに画中の人物を全て再現したカットもあって、見応えがあった。ただ『清明上河図』には、女性の姿が非常に少ないと言われているので、画巻の世界をそのまま再現したら、こんなに女性の活躍するドラマにはならないだろう。

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道教の神様たち/博物館に初もうで+常設展(東京国立博物館)

2025-01-31 23:13:38 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館 特集『博物館に初もうで-ヘビ~なパワ~を巳(み)たいの蛇(じゃ)!-』(2025年1月2日~1月26日)

 1月も最終日となってしまったが、新年の東博初参観の記事をまだ書いていなかったので書いておく。今年は京博の『巳づくし』展が先になって、そのあと、東博を見に行った。

 干支の特集展示は、ナーガ上のブッダ坐像(タイ)とかパイワン族の祖霊像(台湾)とか、日本以外の造形が目についた。つまみが蛇になっている『金印 漢委奴国王』も出ていて、ホンモノ?!と思ったら、さすがに模造だった。「ヘビは中国の後漢から見た南方の異民族を示しました」という解説には納得。

 関東では弁財天といえば江ノ島だが、北条時政が子孫繁栄を願って江ノ島の岩屋に参籠すると、弁財天が現れ、時政の願いを叶えることを約束して、大蛇となって海に消えたと言われている。北条氏の三つ鱗文の由来でもあるのだが、長い目で見ると、この願い、叶ったような叶わなかったような…。

 私がいちばん目を奪われたのは『天帝図』(元~明時代)である。中央には道教の神様である玄天上帝。足元に玄武(絡み合った亀と蛇)を描くのがお約束。背後には、北斗星の旗と剣を持った二人の従者が控える。前方には、関元帥(関羽、赤面)、黒衣の趙元帥(趙公明、黒面、黒虎に跨り金鞭を持つ)、馬元帥(馬霊耀、白面、華光大帝→黄檗宗では華光菩薩)、温元帥(温瓊、青面、温太保とも)の四元帥が従う。狩野探幽、徳川吉宗の蔵を経て、霊雲寺に伝わったという。「霊雲寺」という文字を見て、2023年の『中国書画精華』で見たことを思い出した。全体画像は当時の「1089ブログ」に掲載されているので、私の好きな部分を挙げると、まずはこの、応援団の団旗みたいにデカくて黒い北斗七星の旗。

趙元帥の足元にうずくまるのは黒虎(黒豹?)。ウナギイヌみたいでかわいい。

 道教の神様は設定が細かいので、調べれば調べるほど面白い。

 もうひとつ、楽しかった特集は『拓本のたのしみ-明清文人の世界-』(2025年1月2日~2025年3月16日)。碑拓法帖と明清時代の文人による関連資料を展示し、書の拓本に魅せられた明清文人の世界を紹介する。台東区立書道博物館との連携企画を名打っていたが、三井記念美術館『唐(から)ごのみ』と共通・関連する作品も多かった。

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あれもこれも盛りだくさん/HAPPYな日本美術(山種美術館)

2025-01-30 22:16:59 | 行ったもの(美術館・見仏)

山種美術館 特別展『HAPPYな日本美術-伊藤若冲から横山大観、川端龍子へ-』(2024年12月14日~2025年2月24日)

 山種美術館の新春企画は、いつもお正月らしい華やかな気分を味わうことができるので、毎年、楽しみにしている。今年は、長寿や子宝、富や繁栄など、人々の願いが込められた美術に焦点をあて、現代の私たちにとってもラッキーモティーフといえる作品を紹介する。

 冒頭は横山大観の『天長地久』(だったかな)。斜面に点々を連なる松林。大観の松はすぐに分かる。三人の画家が松竹梅を競作したセットが2件出ていたが、どちらも大観は松を描いていた。竹内栖鳳の「梅」が私の好み。春の大地が、茶色から若草色に変わりゆくところが、和菓子の色合いのようで美しかった。干支の巳を描いた小品もいくつかあったが、奥村土牛が描くとヘビもりりしく愛らしくなる。

 めでたい「生きもの」のセクションには鶴が多数。すらりとした立ち姿は美しく、饅頭みたいにまるまった姿(古径『鶴』)も可愛い。若冲の墨画『鶏図』(個人蔵)が何食わぬ顔で混じっていたのには笑ってしまった。鳥たちに囲まれて、なぜか『埴輪 猪を抱える猟師』(古墳時代)と、木製の『迦陵頻伽像』(室町時代)が展示されていた。どちらも個人蔵。

 三角帽子をかぶった『猪を抱える猟師』は、右目と左目がアンバランスで、口もひん曲がっており、不思議な表情をしている。しかし鼻筋が通っていて横顔はイケメン。ビートたけしに似ているなあと思いながら、この埴輪は見たことがあると思い出した。記録を調べたら、2019年の『日本の素朴絵』展に出ていたもので、のちに『芸術新潮』上で「古墳時代のビートたけし」と呼ばれている。

 『迦陵頻伽像』は、細見美術館の『末法』展などで見たものだと思う。キャプションに「にこやかでやさしい表情」とあったが、私はこの微笑みが逆に恐ろしいのだが…。覚園寺の日光菩薩の光背に付いていた可能性があるという。鎌倉の覚園寺、そんなに大きな仏像があったんだっけ。久しぶりに行ってみたくなった。

 川端龍子は、象のインディラ来日に触発された『百子図』、わんこにしか見えない獅子と牡丹を描いた『華曲』など大作も展示されていたが、『鯉』2幅が恐ろしくよかった。左に黒い真鯉2匹と緋鯉1匹、右に真鯉2匹がたゆたっている。初めて名前を聞いた新井洞巌(1866-1948)の『蓬莱仙境図』も気に入った。山の緑がきれい。最後の南画家と呼ばれているそうだ。

 富士図は、青を基調とした土牛の『山中湖富士』と小松均の『赤富士図』がきれいだった。司馬江漢の『駒場路上より富嶽を臨む図』(個人蔵)というオマケつき。10人ほどの人々がぎゅうぎゅうに寄り集まって富士を遠望する図。マンガみたいな筆致である。

 下村観山の『寿老』は、雪舟作品を思わせる妖しさ。鹿が頭を撫ぜられてなついている。品のいい大黒天の絵があると思ったら、『オタケ・インパクト』の尾竹竹坡の作品だった。

 第2展示室には、生まれたばかりの仔牛を描いた山口華楊の『生』が出ていたが、この作品はこういう狭くて薄暗い空間のほうが合っているように思った。若冲の『伏見人形図』には口元がゆるむが、『蛸図』(個人蔵)はぞわぞわして不思議な作品。めずらしい個人蔵作品をたくさん見ることができてお得感もあり、楽しかった。

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