見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

政治的分断の構造/ネットはなぜいつも揉めているのか(津田正太郎)

2024-07-08 23:25:31 | 読んだもの(書籍)

〇津田正太郎『ネットはなぜいつも揉めているのか』(ちくまプリマ―新書) 筑摩書房 2024.5

 著者は、2020年9月、アニメ『銀河英雄伝説』のリメイクについて「男女役割分業の描き方は変更せざるをえない気がする」云々とツイートしたところ、批判的なリプライが次々に押し寄せる事態になってしまった。しかし、2、3日もすると次第に鎮静化した。

 この「炎上」体験談をマクラに、アニメや漫画の表現に対する批判と「表現の自由」をめぐる対立について、著者はメディア論の立場から考察する。広告などのメディアがそれを見た人にどのような影響をもたらすかは分からないし、誰か(たとえば女性、マイノリティ)が不安を引き起こす表現はないほうがよいとしても、万人が納得できるラインは存在しない。だが、これだけソーシャルメディアが普及した時代に「表現の自由」なのだから不快であっても我慢しなさい、でよいのか。自由の尊重が、かえって民主主義を危機に陥れる可能性がある、という問題提起には賛同する。

 実は、もう少し先まで読んだところで本書を放置していたのだが、昨日、2024年東京都知事選挙の結果を知ったあとで、米国の政治的分極化を扱った第3章を読み始めたら、いろいろ考えさせられてしまった。米国では、近年、二大政党の分極化が進んでいる。かつてはそれぞれの党が、多様な政治的立場の人を抱え込んでいたが、価値観やアイデンティティに基づく棲み分けが進み、政党のカラーが鮮明になってきた。要因の一つがメディアの変化で、規制緩和によって、一つの局がバランスのとれた報道を行う必要がなくなったことで、明確な党派性に訴えて特定層にアピールするメディアが増えたのである(アメリカの影響を受けた台湾の状況と同じ)。

 また、政治の分極化とともに「被害者政治」が進行している。これは、マイノリティの告発に対抗して、マジョリティが「我々こそ本当の被害者だ」と主張する動きをいう。米国では、民主党と共和党の双方が強い被害者感情を持ち、対立を深めている。ただし実態としては、双方の政党の支持者が、自分たちと相手側の違いを過大に見積もっている傾向がある。この認識ギャップの調査結果はとても興味深かった。結局、相手側が過激な意見を支持していると双方が「イメージすること」から「偽りの分極化」が生まれている。

 偽りの分極化は、怒りを増幅させ、「感情的分極化」に至る。感情的分極化は、ある政党や候補者を支持することよりも、嫌いな党派への「逆張り」「嫌がらせ」に向かう。著者は「日本社会の問題は、政治的分極化ではなく、むしろ政治的無関心の広がりだ」と書いているけれど、これはけっこう日本の状況にもあてはまるのではないかと思った。

 こうした分断を生み出すものとして、ネット上の「エコーチェンバー」や「フィルターバブル」という概念が語られてきた。しかし近年の研究は、こうした仮説を覆している。むしろマスメディアの時代には、人は自分の好みに合わせて新聞やラジオ番組を選択し、緩やかなエコーチェンバーを形成することができた。しかしメディアが多様化すると、自分とは異なる意見との接触機会が増加する。自らの価値観に反し、感情を逆なでする情報が入ってくる言論空間に身を置いた人は、もとの立場に執着するようになることが、実験的に確かめられているという。困った話だが、自分を含めて人間とはそういうものだと知っておくことは大事だと思う。

 かつてソーシャルメディアが民主主義を牽引すると考えられた時代があった。しかし今日、ソーシャルメディアに見られる「悪ふざけ」「シニシズム」によって、「代議制民主主義にとってきわめて重要な選挙をないがしろにする態度」が広がっている。まさに都知事選の日にこの下りを読みながら、胸が騒いだ。それでも著者は、ツイッターの可能性に希望を託す。ソーシャルメディアとは、世界をより単純にしようとする力と、より複雑な側面を見せようとする力がせめぎ合う場所だという。そう、この、世界の複雑さを垣間見る喜びは、説話文学に通じるところがあって、私もソーシャルメディアから離れられないのである。

 ちなみに私は、けっこう前から著者のツイッターをフォローしている。実は何者かを全く存じ上げずに「時々、おもしろい意見をいう人(大学の先生らしい)」程度の認識でフォローしていたのだが、初めて著書を読ませていただいた。こういう関係もソーシャルメディアの楽しさではある。

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アメリカ式に学ぶ/台湾のデモクラシー(渡辺将人)

2024-07-06 23:50:59 | 読んだもの(書籍)

〇渡辺将人『台湾のデモクラシー:メディア、選挙、アメリカ』(中公新書) 中央公論新社 2024.5

 1996年に総統の直接選挙が始まり、2000年には国民党から民進党への政権交代を実現させた台湾は、英国エコノミスト誌の調査部門が主催する「民主主義指数(Democracy Index)」の2022年度版では、アジア首位の評価を得ているという。最近の台湾を見る限り、この評価に全く異論はない。しかしこの国では、戦後長きにわたって国民党統治による権威主義体制が続いていた。

 台湾の民主化の歩みは序章に簡単にまとめられているが、まず地方政治において非国民党の政治勢力が勃興し、野党・民進党が誕生し、国民党非主流派の李登輝がレールを敷いた民主的な選挙によって政権交代が起きた。民主化勢力が選挙キャンペーンに工夫を凝らすことで、国民党も有権者と向き合うようになる。選挙でリーダーが変わる体験をすることで、国民は政治や自由を深く考えるようになる。もっとも「同じことが他国で必ず起こるわけではない」と著者は書いている。台湾デモクラシーを考える上で外せない要因が「アメリカ」である。

 台湾にとって「アメリカ」の存在は特別で、学者も官僚も政治家(国民党、民進党問わず)も、英米特にアメリカの大学の博士号持ちが必須だという。これは台湾を「親日国」と考えている日本人には見えにくいところかもしれない。台湾の選挙文化には、日本由来と台湾オリジナルとアメリカ式が混在しているが、アメリカの大統領選挙を台湾に移植したのは許信良という人物である。また李濤は、台湾のテレビ界にアメリカ式放送ジャーナリズムを持ち込み、視聴者参加(コールイン)型ライブショーで人気を博した。

 このへんまでは、アメリカに学んだ台湾のデモクラシーうらやましい、という気持ちで読んでいたが、いいことばかりではない、という状況もよく分かった。台湾のテレビは国民党(藍)寄りか民進党(緑)寄りか旗幟を鮮明にしている(これもアメリカ式)。ただしこれは市場経済の競争原理に依るもので、視聴率獲得のため、差別化を図る傾向が強くなった。視聴者は中立を嫌うので、理知的・客観的な結論を説明する番組は(視聴率的に)「負け」なのだという。政党側は「政論番組」を世論誘導の場と割り切っており、優秀な「名嘴」(コメンテーター)にお金を払って政党が伝えたいことを喋らせる。あるいは政治家自身がテレビ局にお金を払って出演することもある。その仕組みが公けにされているのは、台湾なりのフェアネスではないかという著者の指摘には一理あるかもしれない。

 台湾アイデンティティと言語の問題も難しい。近年の台湾が多様性重視の政策を取っていることは感じているが、原住民(部族)にしても客家にしても、その下位分類はさらに多様なのだ。さらに現在は、タイ、ベトナム、ミャンマー等からの新移民も増えている。危機をはらんだ「むきだしの多様性」が台湾の現在であることを記憶しておきたい。

 台湾アイデンティティの問題は、在外タイワニーズについては、さらにややこしい。台湾では一度も暮らしたことのない「中華民国」生まれの移民とか。外省人と台湾人が結婚し、両親のルーツが半々の場合もある。2021年に初のアジア系ボストン市長となったミッシェル・ウーは父方が北京出身の外省人の移民二世とのこと。一方、2020年の大統領予備選で民主党候補だったアンドリュー・ヤンは「アジア系らしさの不足」を嫌われて失速した。また、中国政府が、インターネットメディアの「ソフトパワー」を積極的に駆使して、在外華人を囲い込もうとしている指摘にも考えさせられた。

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2024年6月展覧会拾遺

2024-07-03 23:19:07 | 行ったもの(美術館・見仏)

府中市美術館 『Beautiful Japan 吉田初三郎の世界』(2024年5月18日~7月7日)

 大正から昭和にかけて、空高く飛ぶ鳥や飛行機から見下ろした視点による鳥瞰図のスタイルで数多くの名所案内を描いた吉田初三郎(よしだ はつさぶろう、1884-1955)の世界の魅力に迫る。吉田初三郎の名前は、2005年の江戸博『美しき日本』、2016年の近美『ようこそ日本へ』など、ツーリズムをテーマとした展覧会で何度か見てきた。本展は総合的な回顧展ということで、鹿子木孟郎に学んだ油彩の風景画なども展示されているが、本領はやはり鳥瞰図スタイルの名所案内図である。明るく楽しい雰囲気を演出するため、かなり大胆なデフォルメを施したものが多い。子供の頃の学習雑誌に載っていたSF的な未来都市図に通じるところもあるように思った。京王線の沿線観光図もあり。

東京ステーションギャラリー 『どうぶつ百景 江戸東京博物館コレクションより』(2024年4月27日~6月23日)

 大都市江戸・東京に暮らした人々が、どのように動物とかかわってきたかを物語る美術品や工芸品など約240件を、休館中の江戸東京博物館のコレクションから選りすぐって紹介する。2022年にパリ日本文化会館(フランス)で好評を博した「いきもの:江戸東京 動物たちとの暮らし」展を拡充した凱旋帰国展でもある。江戸博には何度も行っているのだが、初めて見るような作品が多くて楽しかった。歴博所蔵の『江戸図屏風』(複製)が出ていて、馬はたくさん描かれているが、牛は1頭しかいないという注釈が付いていて、黒田日出男先生の『江戸名所図屏風を読む』に書いてあったことを思い出した。東京の名産、今戸人形のウサギやキツネ、縮緬細工のひよこ、ブリキ玩具の金魚も可愛かった。

太田記念美術館 『国芳の団扇絵-猫と歌舞伎とチャキチャキ娘』(2024年6月1日~7月28日)

 国芳の団扇絵だけの展覧会。団扇は、江戸っ子にとって夏の暑さをしのぐための必需品であると同時にお洒落アイテムでもあり、歌舞伎ファンの推し活グッズでもあったという。国芳も積極的に団扇絵を手がけており、特に好んだ画題が「猫と歌舞伎とチャキチャキ娘」だった。国芳といえば、カッコいい武者絵、奇ッ怪な化け物など、魅力は尽きないが、江戸の人々にとっての最大公約数は、このサブタイトルだったかもしれない。団扇絵は消耗品で現存数が少ないこともあってか、初めて見る作品も多かった。

黎明アートルーム 『江戸琳派と磁州窯』(2024年5月21日〜2024年6月30日)

 磁州窯を目当てに見に行った。2階展示室の『白地黒掻落牡丹文瓶』と『緑釉鉄絵牡丹文瓶』は確かに磁州窯の優品だったが、それ以外は、あまり磁州窯らしい作品がなかった。金~元代の三彩や紅緑彩の磁州窯も好きではあるが。むしろ期待していなかった五彩(呉須赤絵、南京赤絵)が楽しかった。こういう民窯は、うつわの数だけ多種多様なデザインがあるのだな。琳派は鈴木其一の大作『四季花鳥図屏風』が印象に残った。

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東京都知事選挙2024

2024-07-01 21:08:36 | 日常生活

 東京都知事選挙が始まっている。今度こそ小池都政を終わらせたいので、投票するなら蓮舫候補だろうと思っていたが、1回くらい演説を聞いてから投票しようと思って、日曜日、銀座四丁目交差点の街頭演説を聴きに行った。

 はじめに立憲民主党の福山参議院議員、枝野衆議院議員が応援演説。福山さんも悪くないけど、枝野さんの演説には、いつも惚れ惚れする。滑舌がよくて聞きやすく、内容もある。枝野さん、大学卒業後は銀座四丁目の弁護士事務所で働いていたのか。

 枝野さんの演説中、曇り空から小雨がパラつき始め、傘を差すほどではなかったものの、壇を下りるとき、司会から「日本一の雨男とも言われています」と突っ込まれていた。

 蓮舫候補は、若者支援を政策の第一に掲げている。それは正しい判断だと思うけれど、「もう少し高齢者支援にも言及したほうがよい」という声があるのをSNSの書き込みで見た。枝野さんはそれを汲み取ったように、若者を支援することでぶ厚い中間層が生まれれば、高齢者の安心につながる、という論陣を張っていて、さすがだと思った。

 そうしたら、最後に登場した蓮舫候補も、演説の7割くらいまでは若者支援だったけれど、一人暮らしの高齢者が安心できる東京を目指すというのをちゃんと入れてきた。福祉や医療・介護に携わる若者の待遇を改善することで、若者の生活の安定だけでなく、高齢者の安心・安全を生み出すというのは全く正しい。若者の幸せと高齢者の幸せはバーターではないのだ。

 とても満足したので、今日は期日前投票を済ませてきた。この都知事選、民主主義の破壊を楽しむような、虚無的な状況もあるけれど、希望を失わず、投票に行こう。

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