昭和45年11月25日の物理の授業と三島由紀夫・・・
なんて書いても、何のことか判らないと思います。
高校生だった私は、昭和45年11月25日の午後の眠くなりそうな小春日和の日に物理の授業でした。
でも、その日に限って物理のA先生は授業開始時間に来ませんでした。
5分ほど遅れて登壇したA先生は、「少し前に作家の三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で・・・」といきなり話はじめました。
その日の午後は物理の授業はほとんどなく、三島の著作の話でした。
その日はたまたま電磁気の単元で、得意な分野でしたので、授業が楽しみでしたが、そんなものは飛んでしまいまいました。
レンツの法則しか記憶にありませんでした・・・
今なら問題になりそうでしたが、当時はまだ旧帝大卒の教諭が頑張っていたせいか、地方の工業高校では、授業も大変面白かった気がします。
今時の高校生は三島由紀夫を読んでいるんだろうかと思いますが、当時の高校生には衝撃的な事件でした。
思い返せばもう49年の時間が流れてしまいました。
今日の様な、小春日和の日だったことが半世紀前の事件と重なり思い出されます。
なんて書いても、何のことか判らないと思います。
高校生だった私は、昭和45年11月25日の午後の眠くなりそうな小春日和の日に物理の授業でした。
でも、その日に限って物理のA先生は授業開始時間に来ませんでした。
5分ほど遅れて登壇したA先生は、「少し前に作家の三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で・・・」といきなり話はじめました。
その日の午後は物理の授業はほとんどなく、三島の著作の話でした。
その日はたまたま電磁気の単元で、得意な分野でしたので、授業が楽しみでしたが、そんなものは飛んでしまいまいました。
レンツの法則しか記憶にありませんでした・・・
今なら問題になりそうでしたが、当時はまだ旧帝大卒の教諭が頑張っていたせいか、地方の工業高校では、授業も大変面白かった気がします。
今時の高校生は三島由紀夫を読んでいるんだろうかと思いますが、当時の高校生には衝撃的な事件でした。
思い返せばもう49年の時間が流れてしまいました。
今日の様な、小春日和の日だったことが半世紀前の事件と重なり思い出されます。