台風2号はマレーシアが名付け親でMAWARというバラを意味する台風だそうでしたが、関東地方南西部の当地では、河川溢水もありませんでしたが、東部の低地では床上浸水等が発生し大変な状態でした。
昨日は朝から、お隣の市の工業高校での第4級アマチュア無線の集合講習会担当があり、車で出かけました。
車でいつもは30分程度の距離でしたが、雨が強くていつもよりも時間がかかりました。
以前にもこのブログに書きましたが、私も市内の別の工業高校に入学して、半世紀以上も前にアマチュア無線クラブに入っていました。
今の時代のようにメーカー製の無線機器は高校生のアルバイト代程度では買えるはずもなく、無線従事者免許証の申請も医者の診断書添付が必要で、無線局免許状の申請にも煩雑な書類の作成があり高いハードルでした。
そんなこんなで、個人の無線局を開設出来たのは、就職してからしばらくして、先輩から「日本のアマチュア局のコールサインが無くなるみたいだ!」と言われてからでした。
今思うと、アマチュア無線に興味を持ってから半世紀以上もの時間が経過して、本業をリタイアして古稀近い歳になり、趣味を細々と続けて、国家試験に代わる講師をしているとは思いませんでした。
自分が学んだ工業高校も含めて年に数回近隣の工業高校で3級と4級の集合講習を担当する機会がありますが、半世紀以上も前に自分自身の気持ちもこんな風だったのかなと、つい考え込んでしまいます。
幼少期に父親の真空管ラジオで、夜になると何で外国語の放送が聞える様になるのか不思議に思ったのがそもそもの嚆矢でした。
おそらくは、今時の高校生はラジオを聞くなんていう事は殆ど機会が無いと思います。
半世紀前ですと、「受験ラジオ講座」や「英会話ラジオ講座」全盛の頃でした。
特に工業高校から大学を受験しようなんて事を考えても、そもそも受験科目を学ぶ機会が学校ではありませんでした。
予備校に通う金も無く、「旺文社のラジオ受験講座」しか頼りになりませんでした。
まあ、そんな時代からの電波に興味を持つことが出来て、麻雀・パチンコ・ゴルフ等の趣味に足を踏み入れることもなく、アマチュア無線に踏み入れた事を今さらながら両親に感謝します。