日が経つにつれて次第に無が優雅にも思えて、漫画を読むのをやめてみたり、自画像を描くのをやめてみたり、家に帰った時にするうがいはまだやめる気にはなれなかったけれど、壁画の中の兄がコーヒーを混ぜている時に、首も一緒に動いているように見えておかしくなったり、恐ろしくなったりしたのだった。
それがね、世が世ならば版画の中で詩がガガーリンの自我を凌駕することもあるのだって。そう言って茶々を入れてくるのは、毒牙を持った蛾の一種で、流石に夜が更けてくるにつれて意外なゲストがもがき出しもするものだったが、しゅん先生は無我夢中で生姜を剥くことに決めたのだった。
「ドゥンガはサンガにはいなかった」
そう伝えてください、と夜が言った。
そういえば兄はじゃがりこミサイルが飛んでくる時などは、機体が我が本体とでもいうように身をよじってよけようとしたものだった。無が優雅にも思え始めたところで、そのような些細なことが思い出された。コントローラーだけでいいのに。
「誰に伝えればいいのかな?」
「しゅんさん、湯が沸きましたよ。また新しい湯がね」
「今、ちょうど湯に浸かっていたところですけど」
「もうすっかりそれは冷めてしまっているじゃないですか。さあさあ、新しい湯に入りなさい」
「ありがとう。いつも世話してもらって」
春になるとテル坊はメルボルンに出かける。無類のイルカ好きだからか、あるいは軽いめまいを覚えた春だからかはわからなかったが、テル坊は丸い顔をしていたし、古いナルトを好んで食べることもあった。その時は、狂ったようにフルスイングするのだったが、それは特に野球をしていたというわけでも、猿に習ってゴルフに興じていたというわけでもなく、むしろ彼は単純なナルシストに近いくらいだったのだが、苦し紛れにあまり得意でもないカテゴリーに対しても、軽く手を出してしまうことがあった。
緩やかなケルト民話のあるところに住んでいたおじいさんが、丸顔をして言うには、セルフのエルフはまるでやる気がないし、知る人ぞ知る春から最も遠いところにあるやるせない森の中から逃げ出してきたためだというのが、もっぱらの町の噂なんだとか。噂があるところにはなるようになるさという寛大なまでの春らしさも潜んでいるから、おじいさんはまるでそんなことには無頓着なのだとテル坊は思うし、どうせうるうるとしても結論を蹴り上げるとしたら、いつだって猿のすることだったのだから。
「ところで何か軽く飲めたりします?」
「知るか、んなこと」
という受け答えが、2人の間で春先のキャッチボールのように行なわれたのだった。
「古新聞はある?」
おじいさんはケルト民話がわんさと転がっている、倉庫の片隅からあるあると古新聞を持って来ては、その山のような古新聞の中から、どれでもいいやとばかりに、テル坊に向かって投げつける。テル坊は、まるで運任せに適当なところから、決して耳寄りではないはずの言葉の羅列に向かって腕を割るようにして入っていったのだった。あるある。
「何だこれは、みんな昔の話だ!」
テル坊は、抗議の声を上げた。
「昼は歩くし、夜はそれに比べてずっと気楽なものさ」
と言っておじいさんはテル坊を諭したのだった。ずっと、昔から春とはそういうものだった。
「その代わりと言ってはなんだが」
おじいさんは、代案があるとばかりに、台所に行くとくるぶしをこんこん叩きながら、ランランと踊りながら戻ってきた。
そして、おじいさんはテーブルの上にぽんとカルアミルクを置いた。