あなたは冷蔵庫の前で途方に暮れていたことがあるだろうか。白く冷たい扉の前で、何かを期待し想像しあきらめてしまう。その時、ドアが開いたなら、中の光をのぞき込むことができたなら、手を伸ばすこともあったはずだが。あなたは自分から進んでドアに触れることはできなかった。本当に疲れている時は、ほんのちょっとしたアクションさえも、億劫になるものだ。(誰か開けてくれないか)けれども、そんな人はもうずっといなかった。
私は店の入り口までやってきて立ち止まった。
(あれ? 開かない)
立ち止まって開かないという時には……。
過去の経験に基づいて、一歩後退する。
「いたたたたたっ!」
しまった。後ろに人がいた!
「どうもすみません」
(いたたー)
女は何も言い返さなかった。
ただあきれたような、苦い表情を浮かべているだけだった。
そのような自動ドアを私は恐れた。
自分だけに開かないドアが怖かった。
だんだんと近づいていく時間は不安で仕方なかった。
遙か手前で感度よくドアが開けた時はうれしかった。
自分を認めてくれるドアは好きだった。
大人になるにつれ開かないドアはなくなっていった。
だんだん開かないドアには近づかなくなった。
開かなかったドアのことはすぐに忘れるようになった。
あなたの冷蔵庫はもう平成時代のずっと前の型だ。
開発は水面下で進んでいる。
全自動冷蔵庫扉の登場を待つのは人ばかりではない。いつもお腹を空かせた猫たちが密かに望んでいるそうだ。そして、開発者の中にはそのような一派の味方をする者が必ずと言っていいほど交じっているのである。あるラインを越えてしまえば、茶の間に現れるのはそう遠い未来ではない。「えっ手動ですか」
(自分で開くの?)
そんな時代はもう現実に迫っている。