無敗を誇っていた代表チームが大敗してから、界隈はチューハイを浴びるように飲んだり、すっかり代表への愛を失ってしまったり、真っ白な灰になってしまったような人々で満たされていたけれど、「遠慮のない意見を聞きたい」と円卓会議の議長は言ったものだ。
会議に集まった人々はみんな招かれた人ではなく、たまたま大敗を目にしてからファンになったという人や、わいわいするのがただ好きだからという理由でやってきた人もいれば、何の縁もないまま遠慮なく輪に加わった人もいた。中でも注目を割と集めたのは、円卓でなければ参加は見送ったであろうという、円卓勢力の面々だった。
「それにしても、円が不十分ではないか!」
面々の1人がマンチェスターなまりの英語で言おうものなら、それに賛同する者たちがやんやの歓声を送ったり、これ見よがしにその場でけんけんを始めたりするのだった。
「どこが円だ? 円の形を理解する者の組み立てか?」
遠慮なく意見するという議長のマインドは、順調な滑り出しを見せていたものの、肝心の円卓会議の円に対して早くもけちがついているとあっては、心中穏やかであろうはずもなく、その場にいた誰しもがこの史上最大の円卓会議の行方を危ぶみ、円卓議長の手腕を危ぶみ、新たな天才的な演じ手の出現でもなければ、この腐敗の蔓延した見本なき社会を不安視するばかりなのだった。
「円じゃなければなんだと言うんだ?」
「そりゃ、四角に決まっているだろうが!」
「それに対して賛成の諸君は?」
「そこはどうでもいいところだろうが!」
「どうでもよかったら、いったい何のための会議なんだ?」
「そりゃ勿論……」
それから長い沈黙。
活発な意見が失われたため、巨大な風船爆弾を作って、議員の手から手へと回す作戦が用いられた。爆発したが最後、その人は何でも最初に発言しなければならないのだ。風船といってもそれは台風が運んでくるような讃岐風のうどんとは違って、「ふーふー」と息を吹きかけて冷ます必要はなかったけれど、ヤフーが気まぐれに運搬してくる天然ガスによって洗練されたローマ風のパスタ、あるいはその頃良い茹で加減を永遠的な学園の中で熟練講師によって学び取った感性の風来坊といった感じだ。より端的に言えば、通りすがりの老夫婦と言ったところだ。
回している間にも、風船はみるみる膨らんでいき、みんなをはらはらとさせた。膨らみながら沈黙を溜めて、最後の最後にはぎゃふんと言わせるつもりなのだ。ぎゃふんと言うのは俺じゃない。ぎゃふんと言うのはよほど運の悪い奴に違いない。議員たちは、それぞれに企みを秘めながら、時に急ぎ、時には大きくペースをダウンさせて、みんな自分だけは助かろうと横から横へ風船を流した。
本来ならば、そんな風船めいたゲームを挿まなくたって、活発な意見が見られるのが当然の円卓会議だったが、理想を言い始めればきりがなく、理想の会議とは、理想に追いつくためのゲームにも等しいと意見するものがあるとすれば、風船をめぐるゲームでさえ、立派に会議の一部と言えなくもなかった。