「それではおおつるぎさん」
審査員席のおおつるぎさんに振ったけれど、そこにおおつるぎさんの姿を見つけることはできなかった。おおつるぎさんはどこに行ったのだろうか? もう意見を求めることはできなくなっていた。おおつるぎさんの代わりに、その場を陣取っていたのは狸の一団だった。勿論、誰も答えない。彼らは何も審査などしないのだから。審査を放り出しておおつるぎさんは、どこへ行ってしまったのだろう?
疑問を向けるべきは、もしかしたらもっと内側に対してであるべきかもしれない。そこは本当に審査員席だったのだろうか。僕は本当に司会者だったのだろうか。考えられていたテーマは、本当に実在していたのだろうか。狸たちのふてぶてしい顔を見ている内に、順に様々なことが疑わしくなっていく。
すべては狸の一団によって、最初から仕組まれたことだったのではないか。おおつるぎさんは最初からそこに座っていなかった。おおつるぎさんは、ずっと別の場所にいて、いかなる審査とも関係なく、おおつるぎさん自身の日常を送っていた。だったら、もうおおつるぎさんを捜すことはない。何も心配することもない。テーマを煮詰めることもないし、誰かに順位をつける必要もないんだ。何だそういうことか。
幻のおおつるぎさんを描いて、消し去った。幻の中で幻を見せられていた。そうさせたのは、そこにいる狸たちだろう。彼らの企みによって、僕は踊らされていた。
「あんたが勝手に踊っていたんだろう」
「何だって?」
崩壊した審査員席から冷たい風が吹いた。
すべての審査を放棄した狸たちがぞろぞろと帰途に着く。
夜が更けてもポンタはどこにも行こうとはしなかった。
「一晩だけでも君がパンダになってくれればいいのに」
少しは傷ついて欲しいと願って、語りかけた。ポンタは愚かなものを見るような目を向け、鼻で笑った。
「おいらだってパンダが欲しいよ」
「だろうね」
「ちょっと風呂に入ってくるよ」
「うん」
地下2階の倉庫の中で夜が明けるまで紙飛行機を折る。旅先は知らされていない。知る必要もないというわけだ。僕らは決められた時間、決められた仕事をやり続ければいい。もう何年も同じ場所で、同じことを繰り返している。ここで得た技術が、どこか他でも役に立つことがあるのかと言えば、確信がない。(以前にも増して辛抱強くはなったが)これが本当に自分のすべきことか? 疑問は日々に湧き、また日々にかき消されていくばかりだ。毎月のパスポートを得るために、不満を声に出して誰かに言うことはない。いつか自分だけの力で、空を飛ぶこと。ささやかな夢を胸に秘めて、夜は地底深く潜り込んでいる。
夜明けとともに、ホームに上がってくる。空腹のあまり、もうパンを1つ食べてしまったキヨスクで、おばちゃんは先にお釣りを用意して待っている。
210円。僕の出したコインは、まだ足りていない。高い。
「消費税高いね」
ホームには列車が入ってきていた。早くしないと、行ってしまうよとおばちゃんは言った。
「急ぎませんから」
何も、急ぐことがない。
「でも、1本遅れると次はいつになるかわからないよ」
やはり、間に合わなかった。あまりすることがないので、ホームでくるくる回った。回りすぎて方向がわからなくなって、反対側の列車に乗った。床に2人ほど倒れていた。息はあるようだ。床にも、座席にも読み捨てられた新聞が散乱していた。代表チームが勝利した後はいつも決まって無茶苦茶になる。耳慣れない駅名が呼ばれる頃になって、ようやく方向を誤っていたことを思い出す。
(そりゃそうだ)
手元の地図を開いて、どこまで間違えてきたかを確かめた。
次の駅で降りるとホームでコーヒーを買った。見たことのないおばちゃんが、手慣れた動作でお釣りを用意するキヨスクの奥では、兵隊さんがお菓子を持って隠れている。更に隅っこには、おばあさんが消しゴムみたいに小さくなって隠れていた。
「もう戦争は終わったよ」
列車がやってきた。
シャドーキックをしながら男は路上で夜の影を破壊しながら毒を吐いていた。
「何が秘密だ!」
こちらの方に近づいてくる。身をかわしながら足下のシャドーを切った。男はうずくまって口からハンバーグを丸ごと1つ吐き出した。鶏が卵を産んだように、夜のベールが見せかけた。
「わかりませんよね」
秘密だったら、誰にも。嫌な酔っぱらいを見た。
早い夜にみんな門を閉ざして、街はすぐに暗くなる。お弁当を買うために足を伸ばした、目当ての場所にも、明かりは乏しかった。見知らぬおばちゃんも、入り口の貼り紙を見て困惑しているようだ。
(休みます)状況が変わるまで。
どこで弁当を買えばいいの!
怒りがドアを押していた。
中は真っ暗だ。物とは違う影のようなものを、感じた。奥で人が眠っている。(倒れている?)嫌な予感がして、それ以上近づくことができなくなった。店から離れながら110番に通報した。
「コンビニエンスストアが……」
「どうしました?」
店が、ね。1つ1つ正確に、落ち着いて、伝えよう。
店が、ね。
「はい、店が、どうしました?」
「行ったら、閉まってるんです」
ふっ。なんや、そりゃ……。
違う! 笑い事じゃない!
予想外に軽く受け止められて、怒りよりも深く幻滅を覚えた。
「違うんですよ。ちゃんと聞いて」
けれども、もう笑われたので話せなくなっていた。
(店長が大変かもしれないのに)
自分以外の誰かが、同じようにドアを押して、同じように行動してくれることを願いながら、闇の中を歩いた。どうか、その時は、話をちゃんと最後まで聞いてくれる人でありますように……。
曲がり角から機械仕掛けの犬が飛び出してきて、ささやかな願いを断ち切った。遅れて少年が後を追って駆けてくる。
まだ、外で遊ばせるには早い犬。
少年の手の中のリモコンが夜を突き刺しながら、一番星のように瞬いた。