歯ブラシをくわえたまま歩き出した。デッキに出て気分を変えて席に戻る。ん? どこだったか。何も荷物がないので自分の席がわからなくなってしまった。疑わしい辺りにいくつか空席がある。
「あなたは確か、あそこでしたよ」
親切な人がいるものだ。僕のことを知っている人だろうか。
ランチタイムが近づいていた。
デッキに出て気分転換して席に戻ると周りに女性の姿が増えていた。誰かが友だちを呼んだようだ。
「私たち席をまわします」
それにはどうも逆らえない空気だった。
僕は一旦デッキまで歩き気持ちを整理して席に戻った。
「僕は外に行きますから」
愛想良く答えたつもりだった。僕の荷物は何者かの手によって既に棚上げされていた。
「温泉に行こう!」
ガキ大将だろうか。子分を引き連れて通路を歩いて行った。あるいは、大人かもしれない。
徐々に減速してホームに着くと新幹線の両扉が開いた。右か、左か……。どちらに降りるべきかわからない。既に降りた人の影は見えない。これから降りようとする人も見あたらない。
(あのガキ大将たちはどこに行ったんだ)
微かに明るく見えた左を僕は選んだ。逆だったか……。
降りたところは列車の中だ。列車はすぐに動き始めた。回送車両のようだ。座席がしっかり固定されておらず入り口付近に集まってくるのを、何とか両腕を広げて支えた。
暗がりに目が慣れてきて、後ろの方に人の気配を感じた。作業員だろうか。やっぱり座席がずれるのを必死になって支えている。
あの服装は? 作業員らしくない。
彼らも乗り間違えたのかな……。