金曜日、1日だけのクラスマッチでした。朝練の時間帯に1・2年生女子が私の所に話をしに来ました。とはいっても2年生が話をしただけですが。
前日2年生が話をして言い合いになったという連絡を受けていました。それぞれがそれぞれの主張をして言いたいことを言い合ったということです。これからのことについて真剣に考えた様子が伺えました。「1人になっても強くなるためにやる」という「覚悟」の部分を感じました。これで「はいそうですか」 という気にはなりませんが、考えていなかった前日と比べると随分ましになったかなと感じました。この状態が最低レベルだと考えています。問題点から目を反らしてその場をやり過ごすというのは何も解決しません。このままで良くはない。当然です。表情がかなり変わっていました。一時的な変化でなければ大きく伸びてくる可能性があります。
これまでの表面上の付き合いではなく一歩踏み出せたのではないかと思います。だから、時間を与えたのです。何もしないで話を聞いてくださいというのは「その場だけ」で終わり。問題解決にはつながりません。そこがわからないから問題だと言っているのです。
しかし、1年生はついてくるだけでした。こちらは問題点が何一つ明確になっていません。「続ける」「辞める」という選択肢で「続ける」というのを選んだだけです。ここに意味があるのか?結局惰性でやってしまうことになるのです。問題点を問題点だと思わないから次も同じことを繰り返す。上手く行かない事が目に見えている。目の前に明らかな落とし穴があるのです。それなのに「前に進め」と指導することが出来るでしょうか?さすがに無理です。
勉強会で勉強をしているのに隠しながら携帯を触ってメールをする、休憩時間に隙を見て携帯でメールをする。今は「勉強をする時だ」と割り切って我慢をする。相手にも「勉強しているからメールはできない」と伝える。それが出来ないから他の部分も我慢はできないのです。勉強するよりもメールで愚痴ったり、つながりを作っておくほうが「楽しい」ですから。メール相手もそれがわからないような者なら自分にとって本当にプラスにはならないのです。ここを分からない者に理解させるというのは非常に難しいことなのかもしれませんが、大切なことだと思っています。
これは部活でも同様。友達と遊びたい、恋人と一緒に過ごしたい、好きなものを好きなだけ食べたい。誰もが持っている感情です。しかし、本気で「競技」をやろうと思えばその部分はあまりプラスにはならないのです。結局競技をするために他のモノを我慢できるかどうかだけです。勉強会の携帯メールと同じことなのです。そこが我慢できない者が競技を真剣にできるのか?結局流されてしまい自分の中の可能性を生かせないまま終わってしまう。
「競技で強くなりたい」と「他者から可愛いと思われたい」というのは真逆の感情だと思っています。涙を流して倒れ込みながら走る。ウエイトや補強をやって筋肉をつける。周りを気にしていたら出来ないことです。逆に「可愛いと思われたい」というのは容姿に気を配り化粧をして着飾る。女性を意識することで女性ホルモンの分泌が盛んになら美しくなる。同時に筋肉はつかなくなるのを覚悟しなければいけません。男性ホルモンが筋肉の発達を促します。真逆なのです。
「友達と遊びたい」「恋人と一緒にいたい」「好きなものを食べたい」「学内でスカートを短くしたい」「携帯を触っていたい」という感情と「競技を真剣にやりたい」というのは同時には無理だと思っています。割り切れるなら可能ですが(校則を守らないのは大問題なので無理です)、割り切ってできない者が多いですからね。結局「陸上競技」も全力でできなくなります。「恋人と分かれた」「友達から遊びに誘われなくなった」という負の感情を練習に持ち込み始めますからね。そこまで割り切れるなら何も言いません。でも高校生の意志レベルでは出来ません。出来ていたら「賭ける」という意味をすでに理解できているはずですから。
それなりに楽しく「陸上サークル」をやるなら全く問題はないと思います。あれもこれも少しずつやりたいという価値観もありますからそれは否定しません。しかし、今のうちがやっているのは「陸上競技」です。今までの自分のやってきたことを越えていこうと日々やっているのです。それが「陸上サークル」をするのは無理だと思います。価値観が全く違うのですから。
今しかできないことをする。ここに価値を見いだしています。必死になって仲間と自分達の目標に向けてひたすら進み続ける。この中で他では決して手に入れることのできない大切なモノ、一生の宝となるものが見えてくるのです。それを感じさせるために「陸上競技」を通じて選手に様々なモノを伝えているのです。「陸上競技」が私の「想い」を一番伝えることができるツールだから「陸上競技」を使って伝えているのです。
「やりたいからやる」だけではないのです。指導者の理念があってそれに賛同して競技をやるのです。この数週間でこの想いが強くなりました。価値観が違う部活動に参加していても意味はない。間違っているかもしれませんが、強制されるモノではないと思います。
このblogを読んでいただいている方にも理解してもらえないかもしれません。しかし、メッセージの無い教育活動ほど無意味なモノはありません。こちらが伝えたいモノを持たずに部活動をするのは今の私には無理です。信念を持ってやっています。厳しすぎるかもしれません。が、今は曲げたくありません。この先、生徒の質が大幅に変化していって社会が成り立たなくなれば違うかもしれません。その危険性を抱えた教育活動をしているとこの数週間痛いほど感じています。
信念を持ちやっていきます。それしかできませんから。
前日2年生が話をして言い合いになったという連絡を受けていました。それぞれがそれぞれの主張をして言いたいことを言い合ったということです。これからのことについて真剣に考えた様子が伺えました。「1人になっても強くなるためにやる」という「覚悟」の部分を感じました。これで「はいそうですか」 という気にはなりませんが、考えていなかった前日と比べると随分ましになったかなと感じました。この状態が最低レベルだと考えています。問題点から目を反らしてその場をやり過ごすというのは何も解決しません。このままで良くはない。当然です。表情がかなり変わっていました。一時的な変化でなければ大きく伸びてくる可能性があります。
これまでの表面上の付き合いではなく一歩踏み出せたのではないかと思います。だから、時間を与えたのです。何もしないで話を聞いてくださいというのは「その場だけ」で終わり。問題解決にはつながりません。そこがわからないから問題だと言っているのです。
しかし、1年生はついてくるだけでした。こちらは問題点が何一つ明確になっていません。「続ける」「辞める」という選択肢で「続ける」というのを選んだだけです。ここに意味があるのか?結局惰性でやってしまうことになるのです。問題点を問題点だと思わないから次も同じことを繰り返す。上手く行かない事が目に見えている。目の前に明らかな落とし穴があるのです。それなのに「前に進め」と指導することが出来るでしょうか?さすがに無理です。
勉強会で勉強をしているのに隠しながら携帯を触ってメールをする、休憩時間に隙を見て携帯でメールをする。今は「勉強をする時だ」と割り切って我慢をする。相手にも「勉強しているからメールはできない」と伝える。それが出来ないから他の部分も我慢はできないのです。勉強するよりもメールで愚痴ったり、つながりを作っておくほうが「楽しい」ですから。メール相手もそれがわからないような者なら自分にとって本当にプラスにはならないのです。ここを分からない者に理解させるというのは非常に難しいことなのかもしれませんが、大切なことだと思っています。
これは部活でも同様。友達と遊びたい、恋人と一緒に過ごしたい、好きなものを好きなだけ食べたい。誰もが持っている感情です。しかし、本気で「競技」をやろうと思えばその部分はあまりプラスにはならないのです。結局競技をするために他のモノを我慢できるかどうかだけです。勉強会の携帯メールと同じことなのです。そこが我慢できない者が競技を真剣にできるのか?結局流されてしまい自分の中の可能性を生かせないまま終わってしまう。
「競技で強くなりたい」と「他者から可愛いと思われたい」というのは真逆の感情だと思っています。涙を流して倒れ込みながら走る。ウエイトや補強をやって筋肉をつける。周りを気にしていたら出来ないことです。逆に「可愛いと思われたい」というのは容姿に気を配り化粧をして着飾る。女性を意識することで女性ホルモンの分泌が盛んになら美しくなる。同時に筋肉はつかなくなるのを覚悟しなければいけません。男性ホルモンが筋肉の発達を促します。真逆なのです。
「友達と遊びたい」「恋人と一緒にいたい」「好きなものを食べたい」「学内でスカートを短くしたい」「携帯を触っていたい」という感情と「競技を真剣にやりたい」というのは同時には無理だと思っています。割り切れるなら可能ですが(校則を守らないのは大問題なので無理です)、割り切ってできない者が多いですからね。結局「陸上競技」も全力でできなくなります。「恋人と分かれた」「友達から遊びに誘われなくなった」という負の感情を練習に持ち込み始めますからね。そこまで割り切れるなら何も言いません。でも高校生の意志レベルでは出来ません。出来ていたら「賭ける」という意味をすでに理解できているはずですから。
それなりに楽しく「陸上サークル」をやるなら全く問題はないと思います。あれもこれも少しずつやりたいという価値観もありますからそれは否定しません。しかし、今のうちがやっているのは「陸上競技」です。今までの自分のやってきたことを越えていこうと日々やっているのです。それが「陸上サークル」をするのは無理だと思います。価値観が全く違うのですから。
今しかできないことをする。ここに価値を見いだしています。必死になって仲間と自分達の目標に向けてひたすら進み続ける。この中で他では決して手に入れることのできない大切なモノ、一生の宝となるものが見えてくるのです。それを感じさせるために「陸上競技」を通じて選手に様々なモノを伝えているのです。「陸上競技」が私の「想い」を一番伝えることができるツールだから「陸上競技」を使って伝えているのです。
「やりたいからやる」だけではないのです。指導者の理念があってそれに賛同して競技をやるのです。この数週間でこの想いが強くなりました。価値観が違う部活動に参加していても意味はない。間違っているかもしれませんが、強制されるモノではないと思います。
このblogを読んでいただいている方にも理解してもらえないかもしれません。しかし、メッセージの無い教育活動ほど無意味なモノはありません。こちらが伝えたいモノを持たずに部活動をするのは今の私には無理です。信念を持ってやっています。厳しすぎるかもしれません。が、今は曲げたくありません。この先、生徒の質が大幅に変化していって社会が成り立たなくなれば違うかもしれません。その危険性を抱えた教育活動をしているとこの数週間痛いほど感じています。
信念を持ちやっていきます。それしかできませんから。