水曜日、この日はここ最近になく無難に過ごせました。特に何かがあったというわけではなくですね(笑)。珍しいかもしれません。記憶がなくなっているだけなのかもしれませんが。
期末考査の一日前でした。練習は朝練だけにしようと考えていました。午後は勉強のみ。とにかくこの期末考査はしっかりとやっておかなければいけません。このこの考査で点が取れないと冬休みの予定が全て狂ってしまいます。そうならないようにかなり前から勉強会を実施して対応してきたつもりです。この時間の中で集中して勉強ができていない者は問題ありです。冬に合宿云々ではなく補習などを受けてもらうことになります。
朝練では基本的な動きを。階段と軸で。本来であればこれ以後にしっかりと走りたいのですが時間的に無理なので動きだけ。動きだけが上手くなっても走りにつながらなければ意味がなくなってしまいます。見た目の動きは良くても全く進まないという選手もいますからね。ドリルの達人的な選手になることが目的ではありません。こういう動きの中で自分の走りにつながる感覚を作っていくのが目的です。指導する側が見ている動きだけではなく本人の内面的な感覚が重要になります。やるだけ練習ではここが身に付きません。私ももっともと工夫をしなければいけないのかもしれません。
放課後は会議。これが3時間ありました。途中イラッとすることも。無難に過ごせてないですね・・・。会議後、個別に呼び出され1時間。あー×100ってところでしょうか。疲れました。
帰宅して久々に余裕があったので真面目に考え事をしました。実は12月の中旬に萩に行くことになっています。親しい(?)人が主催の会議があります。これは部活云々ではなく「地域の活性化」について商業教育が何ができるのかということを話し合うようです。基本的に感覚が違うのでこういう場所で話をするのは苦手です。こちらが話している内容が理解してもらえないことが大半だからです。「生徒を育てる」という視点で物事を考えるというのは感覚的なものがあるのかもしれません。私がやっていることは特別でも何でもありません。生徒に様々な経験をさせることで「力」をつけようというものです。言われたことだけをやるというのではなく、自分で考えて判断し行動するという「当たり前」のことです。
そのためには私は表には出ず裏でサポートすることが重要だと思っています。下準備を全てやっておいてあたかも生徒がやっているというように見せるのは教育的な意味は少ないと思っています。難しいことを書いているでしょうか??感覚的なものなので。全ての準備をしておいて表に出るのは生徒というのがほとんどです。これは生徒がやるのではなく「生徒を使う」のです。自分がやろうとしていることを自分でやるのではなく生徒にやらせるだけ。シナリオを教員側が準備してその発表を生徒がやるというのがこの感じでしょうか。
これでは生徒は「決められたことをやるだけ」で終わってしまいます。もちろん、この定型業務というのをやれるようにならないといけないのは間違いない事実です。いわゆる「お利口さん」ですね。決められたことをやらせたら必ずやる。しかし、周囲への気遣いや臨機応変な行動ができないのであれば職場では「ちょっとね」と言われてしまいます。勉強ができてもコミュニケーションが取れないという子は数えきれないくらいいます。
コミュニケーション能力が必要だと世間一般では言われます。このコミュニケーション能力とは何でしょうか?自分の考えていることを周囲に理解させることがコミュニケーションでしょうか?私は違うと思っています。一方的な情報伝達はコミュニケーションではなく「プレゼンテーション」です。プレゼンも相手の反応を見ながら対応を変えていく必要がありますが、ある程度情報を与えるというのがプレゼンの条件となります。コミュニケーションはインタラクティブなものでなければいけません。双方向的ですね。一方通行の話はコミュニケーション能力が優れているのではありません。
課題に対して解決策が1つしかないということは世の中ではほとんどないと思います。様々な方法の中から情報の取捨選択を行い、自分が最適だと思うものを選んで実行する。「答えは一つ」という教育はできません。「このやり方でやれば必ず上手くいく」というのも本来の教育とは違うのではないかと考えています。失敗をしても良いと思います。失敗させないように様々な話をしていきますが、本当は「痛い目にあって気づく」という経験が成長を促すのではないかと。痛い目にあっても気づかない人もたくさんいるんですけどね。教育現場では「覚えさせる」ことが中心となります。検定などはその最たるものです。高校入試、大学入試も同じですね。「答えは一つ」なのです。生きていく中でデジタルデータのように0か1かで判断できるものというのはほとんどないと思います。
教育は実験ではありません。2つのグループを実験的に比較することはできません。大学時代の研究などは被験者を作って比較します。しかし、教育現場ではそれはできないと思っています。メリットがあってデメリットがある2つの事柄がある。そのどちらかしかできない。どのような教育活動もこのような選択の中で行われていると思います。「目的」があってそれを達成するためにどのような方法を選ぶか?ここを議論する必要はあるでしょうね。あちらのほうが良かったというふうにならないように取り組まないといけないのです。
今私がやりたいなと思っているのは・・・。これを書くとすごく長くなるので中途半端ですがこの辺で終わります(笑)。かなりあいまいな感じで終わってますね~。高校生が読んでも面白くないでしょう。昨日facebookのメッセージで親しい(?)人とやり取りをしている中で研修でこのblogの内容を使うと勝手なことを言っていたので少しは教育的な話を書いておいたほうがいいのかなと(笑)。ちょっと今はそういうモードなので練習のことと教育のことを書いていきたいなと思っています。
お付き合いください。興味がなければ読み飛ばしてください(笑)。
期末考査の一日前でした。練習は朝練だけにしようと考えていました。午後は勉強のみ。とにかくこの期末考査はしっかりとやっておかなければいけません。このこの考査で点が取れないと冬休みの予定が全て狂ってしまいます。そうならないようにかなり前から勉強会を実施して対応してきたつもりです。この時間の中で集中して勉強ができていない者は問題ありです。冬に合宿云々ではなく補習などを受けてもらうことになります。
朝練では基本的な動きを。階段と軸で。本来であればこれ以後にしっかりと走りたいのですが時間的に無理なので動きだけ。動きだけが上手くなっても走りにつながらなければ意味がなくなってしまいます。見た目の動きは良くても全く進まないという選手もいますからね。ドリルの達人的な選手になることが目的ではありません。こういう動きの中で自分の走りにつながる感覚を作っていくのが目的です。指導する側が見ている動きだけではなく本人の内面的な感覚が重要になります。やるだけ練習ではここが身に付きません。私ももっともと工夫をしなければいけないのかもしれません。
放課後は会議。これが3時間ありました。途中イラッとすることも。無難に過ごせてないですね・・・。会議後、個別に呼び出され1時間。あー×100ってところでしょうか。疲れました。
帰宅して久々に余裕があったので真面目に考え事をしました。実は12月の中旬に萩に行くことになっています。親しい(?)人が主催の会議があります。これは部活云々ではなく「地域の活性化」について商業教育が何ができるのかということを話し合うようです。基本的に感覚が違うのでこういう場所で話をするのは苦手です。こちらが話している内容が理解してもらえないことが大半だからです。「生徒を育てる」という視点で物事を考えるというのは感覚的なものがあるのかもしれません。私がやっていることは特別でも何でもありません。生徒に様々な経験をさせることで「力」をつけようというものです。言われたことだけをやるというのではなく、自分で考えて判断し行動するという「当たり前」のことです。
そのためには私は表には出ず裏でサポートすることが重要だと思っています。下準備を全てやっておいてあたかも生徒がやっているというように見せるのは教育的な意味は少ないと思っています。難しいことを書いているでしょうか??感覚的なものなので。全ての準備をしておいて表に出るのは生徒というのがほとんどです。これは生徒がやるのではなく「生徒を使う」のです。自分がやろうとしていることを自分でやるのではなく生徒にやらせるだけ。シナリオを教員側が準備してその発表を生徒がやるというのがこの感じでしょうか。
これでは生徒は「決められたことをやるだけ」で終わってしまいます。もちろん、この定型業務というのをやれるようにならないといけないのは間違いない事実です。いわゆる「お利口さん」ですね。決められたことをやらせたら必ずやる。しかし、周囲への気遣いや臨機応変な行動ができないのであれば職場では「ちょっとね」と言われてしまいます。勉強ができてもコミュニケーションが取れないという子は数えきれないくらいいます。
コミュニケーション能力が必要だと世間一般では言われます。このコミュニケーション能力とは何でしょうか?自分の考えていることを周囲に理解させることがコミュニケーションでしょうか?私は違うと思っています。一方的な情報伝達はコミュニケーションではなく「プレゼンテーション」です。プレゼンも相手の反応を見ながら対応を変えていく必要がありますが、ある程度情報を与えるというのがプレゼンの条件となります。コミュニケーションはインタラクティブなものでなければいけません。双方向的ですね。一方通行の話はコミュニケーション能力が優れているのではありません。
課題に対して解決策が1つしかないということは世の中ではほとんどないと思います。様々な方法の中から情報の取捨選択を行い、自分が最適だと思うものを選んで実行する。「答えは一つ」という教育はできません。「このやり方でやれば必ず上手くいく」というのも本来の教育とは違うのではないかと考えています。失敗をしても良いと思います。失敗させないように様々な話をしていきますが、本当は「痛い目にあって気づく」という経験が成長を促すのではないかと。痛い目にあっても気づかない人もたくさんいるんですけどね。教育現場では「覚えさせる」ことが中心となります。検定などはその最たるものです。高校入試、大学入試も同じですね。「答えは一つ」なのです。生きていく中でデジタルデータのように0か1かで判断できるものというのはほとんどないと思います。
教育は実験ではありません。2つのグループを実験的に比較することはできません。大学時代の研究などは被験者を作って比較します。しかし、教育現場ではそれはできないと思っています。メリットがあってデメリットがある2つの事柄がある。そのどちらかしかできない。どのような教育活動もこのような選択の中で行われていると思います。「目的」があってそれを達成するためにどのような方法を選ぶか?ここを議論する必要はあるでしょうね。あちらのほうが良かったというふうにならないように取り組まないといけないのです。
今私がやりたいなと思っているのは・・・。これを書くとすごく長くなるので中途半端ですがこの辺で終わります(笑)。かなりあいまいな感じで終わってますね~。高校生が読んでも面白くないでしょう。昨日facebookのメッセージで親しい(?)人とやり取りをしている中で研修でこのblogの内容を使うと勝手なことを言っていたので少しは教育的な話を書いておいたほうがいいのかなと(笑)。ちょっと今はそういうモードなので練習のことと教育のことを書いていきたいなと思っています。
お付き合いください。興味がなければ読み飛ばしてください(笑)。