kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

百花斉放

2014-06-26 | 陸上競技
今回の中国大会、指導する私としても「想うこと」がたくさんありました。何度もこのblogに書いていますがこの鳥取の競技場、私にとって絶対に忘れられない場所です。4年間、本気でリレーでインターハイを目指していました。選手も「絶対に行くんだ」という気持ちで鳥取の中国大会に向かった。女子は7人で県総体のトラック優勝、投擲と合わせて県総体総合優勝を果たした年でした。100mで6位、400m&800mでダブル入賞、100mH4位、400mHは3人が中国へ。さらに4継とマイルで中国。素晴らしい活躍でした。

その状態で迎えた中国大会、指導していて初めて400mでインターハイの出場権を獲得しました。他の種目でも同様に可能性があったのですが準エースの故障、チーム一丸となれない者の存在がありリレーでは苦戦を強いられました。前年に61秒で走っている選手が予選から63秒かかる。それも全く気迫のない走りをしていました。危機的な状況。情けない話ですが「チーム」として成熟していたのは3年生だけで下級生は本当に未熟でした。完全に足を引っ張る。3年生で確実に61秒で走れる選手がいたのですがこの状態では届くかどうか分からない状態。賭けに出て100m選手を投入。結果的に63秒かかりインターハイ出場を逃しました。この時の感情や選手の姿は一生忘れられないと思います。

レース終了後、走った選手も応援した選手も泣き崩れ動けません。みんなが必死で目指してきたインターハイに届かなかったのです。当時の3年生は本当に必死でした。これまで指導してきた中でこれだけ競技に対して真剣に向き合える学年はなかったと思います。だからこそインターハイに導いてあげたかった。どこからも応援されるチームでした。それでもインターハイに届かない。中学時代県の決勝に残る選手は0の状態からスタートした学年だっただけのここまでの伸びは素晴らしいものがあります。それでも「結果」を受け入れなければいけない。目の前の現実を受け入れることができないという雰囲気でした。私も同様。泣き崩れている選手たちの姿を見て声をかけることもできない。本当に「無力」だと感じました。

この時、インターハイに出場したR選手には大きな葛藤がありました。「みんなで目指してきたインターハイ、自分一人だけが行っても良いのか?」「周りは応援してくれないのではないか」というもの。精神的に強い選手でしたが「一人だけが勝ち上がった」という部分がつらかったのだと思います。実際は3年生は全力で応援してくれていたのですがそれを感じ取る余裕はなかったようです。みんなが色紙に応援メッセージを書こうと思っていた矢先に合宿中に下級生がトラブルを起こす。もうどうにもならない状況でした。こんな状況で本当にインターハイに行けるのか?という状況でした。それでも3年生はRを応援してくれていました。出発の日に駅にみんなが駆けつけてくれたことに本人も安心していました。

そんな最初のインターハイからもう5回目の中国大会。このことは選手にも言っていました。当時の選手で「マイル7位」の賞状を学校に置いて帰っている者がいました。持って帰る気にもならなかったのでしょう。春先にその賞状を発見していたので選手を集めてその話をしていました。0.01秒差でも負けは負け。どれだけ良い記録を出しても7位になればインターハイには届かない。順位にこだわるというのは大切。6位を目指すのではなく表彰台を目指す。そう宣言していました。部室にこの「マイル7位」の賞状を貼らせておきました。教訓です。絶対にインターハイに行く。その気持ちを強くさせるためです。

今回、選手はかなり冷静だったと思います。これは私の関わり方も影響しているのではないかと感じています。前回は師匠から何度も注意されていたにもかかわらず「インターハイ」という部分にこだわりすぎていました。指導する側が確実に冷静さを欠いていました。怪我人が出たり忘れ物が多発したりと「勝負する」という部分以外に大きなエネルギーを使っていました。こちらに焦りがあった。「このままではインターハイに届かない」という不安。それが間違いなく出ていたと思います。今回、準決勝の前に師匠が選手に声をかけてくれました。「余裕で通過して来いよ」という言葉にキャプテンが笑顔で「大丈夫です(笑)」と答える。ピリピリしていない。もちろん内面的にはいろいろなものを抱えていたと思います。しかし、キャプテンがそれを出さないからチームは安心している。通常であれば3走の足の状態が「危機的状況」なのですから笑顔にはなりません。それでもキャプテンが「みんなが心配したら余計悪くなるから大丈夫って聞くのは止めよう」と話していたようです。すごい話です。この手の話は私が知らない所で多々あります。キャプテン、こう見えてもすごいんですよ(笑)。

結果的に決勝で大幅なチームベストを更新して4位入賞、インターハイ出場です。予選、準決勝、決勝と記録を上げてのレース。他のチームは記録を落としているにもかかわらずうちは「力を出す」ことができた。リレーに賭けるという想いの強さなのか選手の冷静さが生んだ結果なのかは分かりません。しかし、この鳥取の地で「リレーでインターハイを決める」ということはチームにとって、卒業生にとって、私にとって本当に意味があると思います

卒業生からかなりメールが来ました。前日に「0.02秒差で現在7位。みんなの力を貸してください。」と連絡をしていました。その時にインターハイに行ったRから「無事に決勝まで進んでくれて何よりです。あの日の悔しさは今でもすごく覚えています。あの頃から4年経ち再び同じ舞状況に後輩たちが立ってくれて先生が連れてきてくれて本当にうれしいです。まだまだ油断出来ませんが私はインターハイに行けると信じています。後輩たちが行くことによって私たちの悔しい思い出もいい思い出に変わるのではないかな?って私は思います。あの日があったから後輩たちに花が咲いたと思いたいです。」という内容。涙が出ました。

また、決まった後の報告をしたのですが当時怪我をして走れなかったMからメールが来ました。「あの時鳥取で感じた想いは今でも鮮明に覚えていて、今でも走れるならやり直したい気持ちはなかなか薄れません。けど、その悔しさを晴らしてくれた気がします。悔し涙を流したあの鳥取で、先生や後輩たちが喜べたっていうことが本当に良かったと思います!後悔はなかなか消えません。なので後悔しないように頑張ってほしいと思います。インターハイで少しでも長く走れるように応援しています」という内容。

他にもこのblogに「3走の状況」を書いていたのでかなり心配していたというメールが多数来ました。そうでしょうね。今回は隠さず書いていました。隠しても仕方ないので。他校の選手が見ていることはないと思いますが他校云々というよりはうちがどうするか?という部分がかなり大きかった気がしています。




当時の選手が鳥取中国大会の年に作ったTシャツです。「百花斉放」(ひゃっかせいほう)は「多くの花がいっせいに咲き開くことであり、さまざまなことがいっせいに本領を発揮することのたとえ」とされています。これまでやってきた努力が一気に花開くことを願って作ったモノでした。



奇しくも今回の選手が作ったTシャツ。前回の時と同じ「ホットピンク」のシャツ。これは以前も書きましたが偶然です。この子たちは鳥取中国大会の時には小学生。うちのチームの存在は知らないと思います。それでも「偶然」この色になる。あの時があったから今があるのだと思います。多くの卒業生の「想い」があってそれを知らないうちに選手たちが感じてくれている。見えない力となって少しずつ背中を押してくれたのではないかと感じています。もちろん、今いる選手がしっかりと力を出してくれたから獲得したインターハイです。しかし、それだけではない部分があると思っています。

「百花斉放」です。あの時にまいた「種」が長い時間をかけて芽吹き大きな花を咲かせた。卒業生はリレーに関してもすごく喜んでくれていましたが、個人種目での活躍も同様に喜んでくれていました。どれだけ時間が過ぎても後輩たちの活躍が気になりますし、自分たちのことのように喜んでくれます。気になってずっと速報を見ていたとのことでした。ありがたいことです。

やっとスタートラインに立てました。これからです。様々な方のおかげでここまで来ることができました。心より感謝します。これからも引き続き応援していただけると幸せです。応援されるチームとなれるようにしっかりと取り組んでいきたいと思います。

コメント
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