kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

中国大会2日目

2014-06-23 | 陸上競技
土曜日、中国大会2日目。勝負の日です。1年前からメンバーを固定してこの日のためにやってきました。当時は12秒30が1人いて次は12秒96。3人目は13秒8、4人目は14秒5という状況。それでもこのメンバーでインターハイを目指すと決めてバトン練習をやってきました。周りから見たら「何を言っているんだ」という感じだと思いますが(笑)。メンバー固定、練習の中心はリレー。完全にショートスプリントに移行しました。走る量も極端に減り、マイルは絶対に出ないという雰囲気になりました。それでも良いなと。

その勝負の日。3走からのメールを見て愕然(笑)。ケアをさせていたのですがイスに座っていたらハムストリングが全く伸びなくて立つことも出来なかったとのこと。走る段階ではない。その様子を知ったので慌てて師匠にメール。治療をお願いしました。更には親しい女性の先生にもお願い。周りから図々しいと思われていると思いますが、選手のために私ができることといえばこれだけです。アップを7時からするつもりで早く競技場に行きましたが、50分程度治療していただき結局アップは8時前から。今だから書けますがかなり危機的状況でした。

準決勝が終わってから師匠なアドバイスをもらいました。2走と3走のバトンについてです。勝負をかけるのですからある程度覚悟を持ってやらなければいけません。そのためにバトン調整が必要となるので絶対にやらなければいけません。朝の練習で確認。今回は一番内側のレーンとなりましたからカーブがきつい。逆転に1走は上に浮くタイプなのでこちらの方が上手く行くのかもしれません。

練習途中で小さなエースが「今日は4継一本しか走らないつもりで行く」と言っていました。実は前日、宿舎に戻った時に他の3人のメンバーにロビーで小さなエースがボソッと話しました。「正直、4継以外は何も考えていない」「個人はどちらでも良いけど、絶対に4継は行く」と。ここに対する想い入れは誰よりもあると思います。私以上かもしれないですね。「今日めちゃくちゃ走れているから絶対に何とかする。」と宣言していました。キャプテンとしてストレスを感じながらもここまで来た。間違いなく今まで見てきた選手の中で一番人間的な成長をしていると思います。好き嫌いが誰よりもはっきりしていますが、周りを見たり他の子を助けたりとすごい成長をしています。今のチームがあるのはこの子がいてくれるからと自信を持って言えます。「個人よりもリレー」とブレずに言い切ります。こんな選手がチームの中心にいてくれる。安心できます。

それでも3走、かなり微妙。我慢していますが完全にバランスが崩れています。朝の練習が終わった時点で涙目。というかすでに泣いています。何をやっているのか??自分の行動や表情がどれだけ周りに不安を与えるのかを考えないといけない。「お前が走るしかない」と言い続けました。一本走ったらハムストリングをゆるめる。その繰り返しでした。練習が終わり師匠に頼りました。ひたすら手を当ててもらい回復を図る。ギリギリまでできることをやり続けました。この時間帯、他の3人は何を思っていたでしょうか。不安もあったはずです。それでも小さなエースが雰囲気を作ってくれていたことでしょう。信頼していました。

アップに行く前に3走が「膝の裏、テーピングで固めてください」と申し出て来ました。そちらの方が安心するからとのこと。3走がきちんとつないでくれればうちには大きなエースがアンカーにいます。信頼できる存在です。本人が安心することでしっかりと大きなエースにつないでくれる。そう思いました。若干膝が曲がらない部分もあったと思いますが、本人が希望したのでテーピングしました。アップでも微妙。バランスが悪い。しかし、リレーは1人で走るわけではない。他の3人がなんとかしてくれる。そう信じて走るしかないのです。ここまで来たら私は何も言いませんでした。最後、やるのは選手です。信じて待つしかない。あれこれ言って選手が考え過ぎないようにする。これだけで十分かなと。

決勝。私は1人でバックストレートから見ていました。まー今だから言いますが、このコーナーで見るのはすごく嫌でした。昨年、県総体でまさかの失格をした時私はこのコーナーで見ていました。縁起をかつぐつもりはありませんがなんとなく、嫌だなと。それでも最後のフィニッシュを一番わかりやすい所で見たい。アンカーに渡ってから大きなエースが何とかしてくれるという姿を見たい。そのためにはこの位置が一番良いポイントでした。

選手がレーンに立ち一本走ります。この時に3走が痛みを見せない走りをしました。これは行ける!という手応えがありました。レースが始まる前、走順に次の選手の名前を呼びます。目の前で小さなエースが他の誰よりも大きな声で「M、いきまーす!!」と叫びました。競技場に響き渡る声。そのまま次の走者へと声がつながります。一番緊張する特別な場面、そこでうちは「いつも通り」ができたのです。うちらしく明るく楽しみながらやっている。緊張はしていたと思いますがそれ以上に良い表情をしている。すごいことです。

レース、2レーン。ここまで来たら何レーンでも関係ありません。「アンカーまでに離されないで行けたら勝てる!」という話だけはしていたと思います。1走、一番内側からしっかりと前について行きます。これまでで一番の走りだったと思います。1走がレースの流れを作るのです。そのまま小さなエースへ。とにかくめちゃくちゃ速い。直線ですから前と間が詰まるというのはスピードレベルが違うからです。前を行く2チームを完全に抜き去りました。ここにかける想いの強さが走りに出ていたのだと思います。3走とのバトンは変更していましたが、ここも上手く行きました。距離があったのですが小さなエースが追いついてくれました。3走もこれまで一番の走り。先程まで歩くのもバランスが悪かったのですがここでの走りは問題なし。後ろから追われることなく前に進んでいました。アンカーに渡った時点で確実に後ろに2チームいます。この辺りから手がしびれて大変でした(笑)。とにかく叫んでいました。

前がどうこうとかは全く記憶にありません。後ろに何チームいるかだけ。2チームいれば6位ですからインターハイに届きます。アンカーに大きなエースを配置しています。昨年の中国新人を見る限り、どこのチームも3走まで逃げていくパターンが多かったと思います。アンカーに12秒1台の選手を配置できるチームは多くない。うちはアンカーまでにきちんとついて行ければ絶対に勝てるという自信がありました。この時点で負けるこ考えられない。それを実際のレースでやってくれました。とにかく叫んでいました。フィニッシュした時には間違いなく後ろに2チームはいる。速報が出ないのでどうなっているか分かりません。待ち時間、手足がシビれて大変でした(笑)。

電光掲示板に結果発表。48秒29で4位!これまで何度も跳ね返されてきたリレーでのインターハイが決まった瞬間でした。涙が止まりません。タイムも大幅ベスト。すごいことです。本当に良い選手に恵まれたと思います。この子達との出会いがあったから私自身も成長できました。最後まで自分達らしい競技をしてくれていました。それが今回の結果につながった。二人のスーパーエースを擁してここまで来れた。中学時代に12秒台で走った選手は1人もいません。全中経験者も0。それでも一生懸命にやっていけば、強い目標意識を持って取り組んでいけば変われる。こんな普通のチームでも花型種目の4継でインターハイを勝ち取れる。自信になります。

選手も保護者も涙を流していました。リレーメンバーの保護者は全員観戦に来られていました。歴史的な瞬間に立ち会ってもらうことができて本当に良かったと思います。私の力は微々たるもの。選手を褒めてやってください。本当に感動しました。こんなドキドキを経験できることはありません。選手がいてくれるからここまで来れた。卒業生の想いがあったからここまで来れた。全てはつながっている。言い続けて来ましたがここで証明できたと思います。

ここまで支援して下さった師匠や先輩、同年代の仲間達の存在があったからリレーでインターハイに進むことができます。これは私だけでなく選手も同様でしょう。多くの人の支えがあったからここまで強くなれたのです。1人でここまで来たわけではない。卒業生、先輩、保護者、中学時代の指導者、応援してくれる他校の選手。うちのリレーの時に他校の選手が「shoko、ファイト!!」と色々な所で声を出してくれました。応援されるチームになる。いつの間にかそんなチームになっていました。これは選手達の明るさと一生懸命さがあったからだと思います。この子達と一緒に競技ができて幸せです。

書きたいことはたくさんあるのですがまとまりがなくなるのでまた別に書けたらと思います。本当にありがとうございました。
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中国大会1日目

2014-06-23 | 陸上競技
中国大会の前日までのことは省略させてください(笑)。何とかこの舞台に立てるかどうかというのが大きなことでした。まー印象的だったのが前日の昼食です。13時から練習をする予定としていたのですが12時前に昼食を食べました。その写真がこれ(笑)



手前の食事の量が分かってもらえるでしょうか?今から練習しようというのにこんなに食べるのか?考えられません。さらに隣の子の量が多かったということで半分もらって食べていました(笑)。この風景を見る前に親しい人から「選手を信じて緊張感を楽しんでください。あの子たちならやってくれますよ!」というメールをもらいました。この写メを送っておきました。本当に今から戦うのか?という感じですが(笑)。

競技場について練習をすることに。繰り返しになりますが3走の足の状態がかなり微妙。厳しい状況です。走れるとは思うのですがMAXではないなという感じ。それでも県総体よりはずいぶんましになってきている感じがありました。私としてはできることをすべてやる。それだけです。またも図々しく知り合いの先生にケアをお願いしました。それによりアップができる状況。まー良かったかなと。

大会当日、朝から動きました。バトンの感じは安定。良い感じです。足長は変更なし。3走もまずまず走れています。両エースはかなり良い動きをしていました。「めちゃくちゃ走れている」という感じ。「速い」と改めて感じました。この2人を擁するリレーでどこまで戦えるのか。大きなことですね。

予選は昼。これは48秒台で走れば間違いなくラウンドを進みます。が、リレーで「流す」ということは絶対にありません。バトンの感覚が全く違ってきますから。うちのようにメンバーに代わりがいないところは誰かを変えて予選を走るということはしません。というか、根本的に4継でメンバー変更することはありません。マイルとは違います。100m1本走っただけでその次のレースに影響するというのは考えられません。ミスをすること考えるとメンバー変更をすることはない。レース自体は前半からまずまずの流れ。1走から2走へは無難に。2走から3走へはかなりバトンが流れました。本人の話によると出た瞬間に「届かない」と感じたようですぐに声をかけたとのことでした。練習の成果です。3走から4走へはきちんと渡って大きなエースが追い上げてくれました。48秒69で2着となり準決勝進出。実は4継でラウンドを進んだのはこれが初めてです。インターハイを目指していたのでここは通過点なんですけどね(笑)。小さなエースが「私走れていませんでした」と言っていました。伸びる部分は多大にありました。

準決勝は夕方。予選通過は全体の6番目でした。まだまだ微妙。準決勝はタイム的には3番目。着順で入って決勝につなげていきたいと考えていました。インレーンよりはカーブが緩い外側の方がいいだろうと思っていました。1チームはアンカーを変えていました。高跳びで日本選手権で入賞している選手がアンカーに入りました。これだけでどれだけタイムが短縮されるのか分かりません。それでもうちはやるしかない。自分たちのレースをするだけです。1・2走はかなり安定していました。1走がここにきてかなり調子を上げています。自信も持っている感じでした。カーブなので内側から詰められるのが普通なのですが全くでした。外側とは少し詰めたのかなという感じ。そのまま2走へ。小さなエースは激走。前を行く47秒台の記録を持つチームに追いついています。誰よりも4継にかける思いが強い選手です。大事な時に走ってくれます。
3走へのバトンもかなりスムーズ。良い感じです。私はバックストレートで見ていたのですが3走、後半微妙な走りでした。この1週間なんとか走れるようにするという感じで持ってきました。それでも「不安要素」ではあります。本人もそのあたりは感じていたでしょう。アンカーに渡った時には3番目。前とは少し差がありました。うちのアンカーは大きなエースです。絶対的に自信を持って配置しています。が、もう1チームアンカーに強烈な選手を配置していました。アジア選手権の日本代表になるような選手です。その選手よりは少し前。すごくいい勝負を知れくれたのですが最後にかわされました。記録的には48秒44のチームベスト。が、着順では4着となりました。

次の組の様子を見ることしかできませんでした。何とかプラスの1番目で決勝へ。しびれました。この時点で全体の7番目。6番目とは0.02秒差。2チームが47秒台。それ以後は48秒13、48秒21、48秒32、48秒42、48秒44、48秒52。ほとんど差がない状態です。どこかがバトンを失敗すればそこで終わり。自分たちのレースができたチームがインターハイに届く。恐ろしい話です。

が、うちの3走なかなか戻ってきません。迎えに行ってみると足を引きずりながら帰ってきています。レース途中で「脚がピキッとなった」とのこと。これまでとは微妙に違います。それでもこの子しかいない。師匠にケアをお願いしました。その後、宿舎に戻り治療器を当てる&1年生にマッサージをさせるということで時間を過ごさせました。肉離れであっても走るしかない。かなり危機的な状況ではありました。最後は「気持ち」の部分です。

私にできること。卒業生に現状を報告しました。0.02秒差で7番目。みんなの「力」を貸して欲しい。応援をお願いしました。離れていても「想い」は届く。そう信じていました。4年前、この地で7位となりマイルでのインターハイ出場を逃しました。その時、一人だけインターハイに進んだ選手から返信が来ました。「昔の私たちを思い出します。あの日の悔しさは今でもすごく覚えています。あの頃から4年経ち再び同じ状況に後輩たちが立ってくれて、先生が連れてきてくれて本当に嬉しいです。まだまだ油断はできませんが私はインターハイに行けると信じています。。後輩たちが行くことによって私たちの悔しい思い出も変わるのではないかな?って私は思います。あの日があったから後輩たちに花が咲いたと思いたい。いつもの明るさで気負わず冷静に頑張ってください」と送ってくれました。

これに関してはすごく思うことがありますが選手には伝えませんでした。今の選手は自分たちのやるべきことをやればいい。それが全てにつながります。眠れない夜を過ごしました(笑)。
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