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kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

考える2

2015-05-16 | 陸上競技
前の記事に関する部分を補足。というか間違いなく言葉足らずだと思うので。

世の中には「ハロー効果」という言葉があります。これは「ある一つの分野で成功している人は他の分野も素晴らしくできるように見える」というものです。分かりやすく言えば「競技力」があれば、勉強も日常生活も競技への取り組みもすべての面でしっかりとできると思われる、という感じでしょうか。実際問題、大きく異なる場合が多いのですが・・・。それでもそういう風に感じられる。外側から見れば「競技成績」を判断され「素晴らしい人間だ」と評価を受けるかもしれません。

が、本当にそうでしょうか?よく選手に話すことですが「私が現役時代の競技成績は今の自分には関係ない」という部分です。私が現役時代どれくらい走っていたか、どれくらいの成績を残していたかは今は関係ありません。過去の話です。そこに到達する段階で多くのことを学ぶことがあった。そして、多くの方との出会いの中で「考え方」を学ぶことが出てきた。もちろん、まだまだ人間的に未熟です。もっともっと学ぶことはあります。実際、「誰かから指導を受けた」ということはほとんどありません。指導者も不在でしたから自分で考え、自分なりのやり方で取り組んできました。その部分が原点なのかもしれません。

そう考えると今選手に求めることと比べると矛盾しているのかもしれません。長い目で見たときに「いつか気づけばよい」という部分が必要になるのかもしれない。高校3年間だけではなく、卒業していつの日か気づくかもしれないという部分も忘れてはいけないのかもしれない。ここは本当に難しい部分だと思います。「強制的にきっかけを与える」のと「自然に気づくまで待つ」という両極の話でしょうから。ここで議論をしても絶対に結論は出ない気がします。振れ幅が大きすぎる。どちらか一方ではなくどちらもが必要なんだと思います。

これまで私が指導してきた選手達、卒業してから「先生と一緒に競技ができて良かった」「部活で学んだことが力になっている」と大半の子が言ってくれます。ありがたいことです。が、これはあくまで私の「過去の経験」から来るものであり、これから先も同じやり方で上手くいくのかは全くの別問題だと思っています。実際選手にとってプラスになっているという自信はあります。しかし、それが全てではない可能性もある。そういう視点も持ち続けないといけない気はしています。

前の記事、「部活動においての指導」です。極論から言えば「練習中は技術指導だけ」が理想です。そういう環境の中で指導ができればあっという間に強くなると思います。他の部分は度外視して「競技に専念する」という指導。技術指導をしていけばほかの部分も自然とできるようになる。なぜなら「取り組む姿勢」がきちんとできなければ強くなる可能性が低くなるからです。目の前にめちゃくちゃおいしい料理が出される。が、お腹が全く空いていない人間にとってはそれが美味しいかどうかというのはあまり関心がありません。すでに「食欲」という欲求は満たされているのですから。それ以上のことを必要としない。お腹が空いていれば「どうすれば食べられるだろう」と考えるようになる。欲していれば確実に行動が変わるのです。

練習という部分。これと同じだと思っています。「本当に強くなりたい」という気持ちがあれば自然と行動が変わります。そう思わない選手はどれだけ話をしても練習をさせても変わりません。「強くなりたい」と自発的に思えるのを待つのかこちらからアプローチして「もっと強くなりたい」という気持ちを起こさせるのか。ここも微妙な話ですね。わざわざこちらか「意欲を引き出す」ということをしなければいけないのか?と感じる指導者もいるでしょうね。強くなりたいのであれば日常生活がきちんと送れて当たり前。だからこちらから指摘する必要はない。これも極論ですが「理想」だと思います。ここまで持ってくることができれば本物なのかもしれません。私のようなレベルの指導者ではそこまで引き出せませんが・・・。

私のアプローチの仕方は今のところ「細かい部分をきちんと指導する」という形です。積み上げつための土台をきちんと作っていってその上に様々なものを構築する。「プラス思考」で「競技をするなら自分でできるようになる」と考えるか、「マイナス思考」で「競技をするために基礎的な部分から教えていかなければいけない」と考えるのかの違いだと思っています。

私は後者。マイナス思考からのスタートです。長所を伸ばしていく指導もしますがどちらかというと「穴を埋めていく」作業が中心だと思います。だから指導部分も細かい。技術的なことに関してもひたすら細かく言います。これがいいのかどうかは分かりません。選手のタイプにもよると思います。

ざっくり書きました。伝わりにくいですよね。すみません(笑)

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考える

2015-05-16 | 陸上競技
ここ最近は練習の内容よりも「考えていること」を書く方が圧倒的に増えています。これは良いことなのかどうなのか。練習以外の時間に「考え方」について話をする機会が増えているというも大きな要因だと思っています。これまでの視点では捉えきれなかった部分について自分なりに考え、答えを見つけ出す。その作業が面白い。というか、原点に帰る部分があるのかなと思っています。

前の記事にも書いた気がしますが、基本的に私は「目の前のことを全力でやる」というのが当然のことだと思ってきました。それを自分自身もやりますし、選手にも生徒にも求める。手を抜いて何かをやる中で獲るものは少ないと思っているからです。この価値観、実際にやった選手などは共感してもらえます。周りでダラダラ過ごしている生徒よりは間違いなく成長の幅が大きい。が、実際はどうなんでしょうか?求められていない可能性もある。部活動などは「同じ方向を向く」という部分が何よりも大切だと思っています。その感覚でいました。

そういえば、以前ある人に「陸上競技部が全力で練習をする部活だったら困る」と言われたことがあります。「運動がしたいという生徒が集団スポーツには入りにくいが、個人種目の陸上だったら入れる」とのこと。「今のように一生懸命やる部活だったら入りにくい」と言われました。これは完全に「価値観の相違」です。「個人種目だから適当にやる人間が入れる」と言われたようでかなり憤慨した記憶があります。個人種目は一生懸命にやってはいけないのか?逆にいうと「一生懸命競技をする選手」と「とりあえず健康づくりのために体を適度に動かしたい生徒」が同じ集団に属して活動ができるのか?理解できませんでした。これが「クラス」であれば当然起きうる状況だと思います。多種多様な生徒の集まりがクラスだと思っているからです。部活動は??これは部活動の在り方に関わる部分かもしれません。

基本的にグランドでは「競技の指導」だけをしておきたいと思っています。これはずっと言い続けていることです。が、ある意味理想。本当にそのようなことができるのか?答えはNOだと思います。競技に関しての指導だけでは今のところ選手は育ちません。1週間前にその手の話を少ししたのですが、その時は明確に答えを出しませんでした。理想としては「グランドは競技の指導をする場所」だと思っています。そういうレベルでなければ正直勝負するという話にはなりません。「技術指導」に専念できるという状況になれば一気に選手は強くなります。これは師匠ともよく話をするのですが。そのレベルに到達しなければ戦うという水準に達しません。これまでの経験上、競技力が上がるにつれて人間的な成長もしてきました。大半の選手は・・・ですが。が、その際に「技術指導だけをしたか」というとそこは違う気がしています。

競技指導をしておけば「強くなりたい」と本気で思う者の行動は変わります。これも間違いない事実。が、そこに到達するまでには多くの段階があるのです。チームとしてある程度成熟してくれば自然とそこの段階に達します。が、最初の段階では間違いなく「テコ入れをする」という時間が必要になります。自分たちの感覚に合わせておけばそのうちできるようになる。できるようになればいいでしょうが、そこまでにロスが大きくなる。前任校の最初は技術指導をしようと思っていましたが、そんなことよりも「物事に取り組む姿勢」と「基本的生活習慣」を指導する必要がありました。時間を守る、休む時には連絡をする、決められたメニューをきちんとやる、移動を早くするetc.・・・。この部分が土台にあるのだと思います。この土台がなくなってしまったらその上に積み上げていくのは難しくなります。最初から土台ができている選手が入ってくればいいのですが、これまで見てきた中でそんな選手は一人もいませんでした(笑)。

「そこまで本気で競技をやる必要はない」と思っている選手であればこちらがどれだけテコ入れしても伝わらないと思います。なぜなら「強くなるために必要だからしっかりとやる」という感覚自体が不足しているから。何か一つに「真剣になる」ことで間違いなくほかの部分も変わってきます。そこまで持っていくためにはやはりある程度は「強制」と言われる部分が必要になるのかなと思っています。最初は「これは怒られるから早くやらないといけない」という部分からのスタートなのかもしれません。これが時間の経過とともに「早くやらないと練習時間が少なくなる」という感覚に変わる。ここまで持っていくためにはそれなりのエネルギーを必要とする。

そして、育った選手が引退したらまたも同じように「テコ入れをする」という作業が必要になります。積み上げていったらもう大丈夫というものでもない。育った選手が巣立てばやはりそこに頼っていた部分があるからまた「指導」が必要になる。そこが当たり前のようにできるようなチーム状況になれば「技術指導」に専念できると思っています。ここは本当に難しい部分ですが。

このことに関しては考え方も様々だと思います。本当に「競技だけすればいい」という人もいるでしょう。生活などは適当でも競技で結果を残せばいいという感覚の指導者も存在するでしょう。私のスタンスは若干違うかなと。これも受け入れられるものかどうかは分かりませんが。もう少し詳しく書きたいのですが長くなるのでまた別の機会に・・・。
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