前の記事に関する部分を補足。というか間違いなく言葉足らずだと思うので。
世の中には「ハロー効果」という言葉があります。これは「ある一つの分野で成功している人は他の分野も素晴らしくできるように見える」というものです。分かりやすく言えば「競技力」があれば、勉強も日常生活も競技への取り組みもすべての面でしっかりとできると思われる、という感じでしょうか。実際問題、大きく異なる場合が多いのですが・・・。それでもそういう風に感じられる。外側から見れば「競技成績」を判断され「素晴らしい人間だ」と評価を受けるかもしれません。
が、本当にそうでしょうか?よく選手に話すことですが「私が現役時代の競技成績は今の自分には関係ない」という部分です。私が現役時代どれくらい走っていたか、どれくらいの成績を残していたかは今は関係ありません。過去の話です。そこに到達する段階で多くのことを学ぶことがあった。そして、多くの方との出会いの中で「考え方」を学ぶことが出てきた。もちろん、まだまだ人間的に未熟です。もっともっと学ぶことはあります。実際、「誰かから指導を受けた」ということはほとんどありません。指導者も不在でしたから自分で考え、自分なりのやり方で取り組んできました。その部分が原点なのかもしれません。
そう考えると今選手に求めることと比べると矛盾しているのかもしれません。長い目で見たときに「いつか気づけばよい」という部分が必要になるのかもしれない。高校3年間だけではなく、卒業していつの日か気づくかもしれないという部分も忘れてはいけないのかもしれない。ここは本当に難しい部分だと思います。「強制的にきっかけを与える」のと「自然に気づくまで待つ」という両極の話でしょうから。ここで議論をしても絶対に結論は出ない気がします。振れ幅が大きすぎる。どちらか一方ではなくどちらもが必要なんだと思います。
これまで私が指導してきた選手達、卒業してから「先生と一緒に競技ができて良かった」「部活で学んだことが力になっている」と大半の子が言ってくれます。ありがたいことです。が、これはあくまで私の「過去の経験」から来るものであり、これから先も同じやり方で上手くいくのかは全くの別問題だと思っています。実際選手にとってプラスになっているという自信はあります。しかし、それが全てではない可能性もある。そういう視点も持ち続けないといけない気はしています。
前の記事、「部活動においての指導」です。極論から言えば「練習中は技術指導だけ」が理想です。そういう環境の中で指導ができればあっという間に強くなると思います。他の部分は度外視して「競技に専念する」という指導。技術指導をしていけばほかの部分も自然とできるようになる。なぜなら「取り組む姿勢」がきちんとできなければ強くなる可能性が低くなるからです。目の前にめちゃくちゃおいしい料理が出される。が、お腹が全く空いていない人間にとってはそれが美味しいかどうかというのはあまり関心がありません。すでに「食欲」という欲求は満たされているのですから。それ以上のことを必要としない。お腹が空いていれば「どうすれば食べられるだろう」と考えるようになる。欲していれば確実に行動が変わるのです。
練習という部分。これと同じだと思っています。「本当に強くなりたい」という気持ちがあれば自然と行動が変わります。そう思わない選手はどれだけ話をしても練習をさせても変わりません。「強くなりたい」と自発的に思えるのを待つのかこちらからアプローチして「もっと強くなりたい」という気持ちを起こさせるのか。ここも微妙な話ですね。わざわざこちらか「意欲を引き出す」ということをしなければいけないのか?と感じる指導者もいるでしょうね。強くなりたいのであれば日常生活がきちんと送れて当たり前。だからこちらから指摘する必要はない。これも極論ですが「理想」だと思います。ここまで持ってくることができれば本物なのかもしれません。私のようなレベルの指導者ではそこまで引き出せませんが・・・。
私のアプローチの仕方は今のところ「細かい部分をきちんと指導する」という形です。積み上げつための土台をきちんと作っていってその上に様々なものを構築する。「プラス思考」で「競技をするなら自分でできるようになる」と考えるか、「マイナス思考」で「競技をするために基礎的な部分から教えていかなければいけない」と考えるのかの違いだと思っています。
私は後者。マイナス思考からのスタートです。長所を伸ばしていく指導もしますがどちらかというと「穴を埋めていく」作業が中心だと思います。だから指導部分も細かい。技術的なことに関してもひたすら細かく言います。これがいいのかどうかは分かりません。選手のタイプにもよると思います。
ざっくり書きました。伝わりにくいですよね。すみません(笑)
世の中には「ハロー効果」という言葉があります。これは「ある一つの分野で成功している人は他の分野も素晴らしくできるように見える」というものです。分かりやすく言えば「競技力」があれば、勉強も日常生活も競技への取り組みもすべての面でしっかりとできると思われる、という感じでしょうか。実際問題、大きく異なる場合が多いのですが・・・。それでもそういう風に感じられる。外側から見れば「競技成績」を判断され「素晴らしい人間だ」と評価を受けるかもしれません。
が、本当にそうでしょうか?よく選手に話すことですが「私が現役時代の競技成績は今の自分には関係ない」という部分です。私が現役時代どれくらい走っていたか、どれくらいの成績を残していたかは今は関係ありません。過去の話です。そこに到達する段階で多くのことを学ぶことがあった。そして、多くの方との出会いの中で「考え方」を学ぶことが出てきた。もちろん、まだまだ人間的に未熟です。もっともっと学ぶことはあります。実際、「誰かから指導を受けた」ということはほとんどありません。指導者も不在でしたから自分で考え、自分なりのやり方で取り組んできました。その部分が原点なのかもしれません。
そう考えると今選手に求めることと比べると矛盾しているのかもしれません。長い目で見たときに「いつか気づけばよい」という部分が必要になるのかもしれない。高校3年間だけではなく、卒業していつの日か気づくかもしれないという部分も忘れてはいけないのかもしれない。ここは本当に難しい部分だと思います。「強制的にきっかけを与える」のと「自然に気づくまで待つ」という両極の話でしょうから。ここで議論をしても絶対に結論は出ない気がします。振れ幅が大きすぎる。どちらか一方ではなくどちらもが必要なんだと思います。
これまで私が指導してきた選手達、卒業してから「先生と一緒に競技ができて良かった」「部活で学んだことが力になっている」と大半の子が言ってくれます。ありがたいことです。が、これはあくまで私の「過去の経験」から来るものであり、これから先も同じやり方で上手くいくのかは全くの別問題だと思っています。実際選手にとってプラスになっているという自信はあります。しかし、それが全てではない可能性もある。そういう視点も持ち続けないといけない気はしています。
前の記事、「部活動においての指導」です。極論から言えば「練習中は技術指導だけ」が理想です。そういう環境の中で指導ができればあっという間に強くなると思います。他の部分は度外視して「競技に専念する」という指導。技術指導をしていけばほかの部分も自然とできるようになる。なぜなら「取り組む姿勢」がきちんとできなければ強くなる可能性が低くなるからです。目の前にめちゃくちゃおいしい料理が出される。が、お腹が全く空いていない人間にとってはそれが美味しいかどうかというのはあまり関心がありません。すでに「食欲」という欲求は満たされているのですから。それ以上のことを必要としない。お腹が空いていれば「どうすれば食べられるだろう」と考えるようになる。欲していれば確実に行動が変わるのです。
練習という部分。これと同じだと思っています。「本当に強くなりたい」という気持ちがあれば自然と行動が変わります。そう思わない選手はどれだけ話をしても練習をさせても変わりません。「強くなりたい」と自発的に思えるのを待つのかこちらからアプローチして「もっと強くなりたい」という気持ちを起こさせるのか。ここも微妙な話ですね。わざわざこちらか「意欲を引き出す」ということをしなければいけないのか?と感じる指導者もいるでしょうね。強くなりたいのであれば日常生活がきちんと送れて当たり前。だからこちらから指摘する必要はない。これも極論ですが「理想」だと思います。ここまで持ってくることができれば本物なのかもしれません。私のようなレベルの指導者ではそこまで引き出せませんが・・・。
私のアプローチの仕方は今のところ「細かい部分をきちんと指導する」という形です。積み上げつための土台をきちんと作っていってその上に様々なものを構築する。「プラス思考」で「競技をするなら自分でできるようになる」と考えるか、「マイナス思考」で「競技をするために基礎的な部分から教えていかなければいけない」と考えるのかの違いだと思っています。
私は後者。マイナス思考からのスタートです。長所を伸ばしていく指導もしますがどちらかというと「穴を埋めていく」作業が中心だと思います。だから指導部分も細かい。技術的なことに関してもひたすら細かく言います。これがいいのかどうかは分かりません。選手のタイプにもよると思います。
ざっくり書きました。伝わりにくいですよね。すみません(笑)