土日に県選手権が実施されました。これに関しては少し触れましたが、男子2名が100mで準決勝に進出。これが一番の結果です。女子は思うように走れず、さらに体調不良者が出たためリレーは棄権。仕方ない部分です。これからどうやって戦っていくのかを考えていかなければいけないと思います。今の時点では「レースに参加することができない」というところでしょうか。出場して終わってしまうというのは少し寂しい。そこにどのような感情を抱くかは選手次第だと思います。
少し話がそれますが。前任校で指導していた大学生が約4年ぶりに県選手権で優勝しました。高校2年生で200mでインターハイ出場し、山口国体にも参加。その後故障と動きの崩れにより思うように走れませんでした。大学2年間はほとんど記録が出せず。やっとここにきて走れるようになってきました。辛い場面を何度も乗り越えてきたからやっとここにたどり着いたのだと思います。途中で投げ出していたら復活はなかったと思います。多くの先生方から「よく走れたね」と言っていただきました。私は何もしてません。本人が這い上がってきたのだと思います。OG対決も見られましたが、この春卒業した選手は思うように走れません。アップにつきあったりして少しずつ改善するきっかけをつかんでもらえたらと思いましtが、やはりまだまだ。全盛期の走りとは別人です。環境が変わり思うようにできない部分があるでしょう。これまで以上に多くの誘惑もあるでしょうし。勝負をするなら真剣にやらないといけません。いくつか約束をしました。この約束を守ってもらえれば変わってくると思います。力は抜群にある。最後は本人が「全てをかける」ところまで行けるかどうかです。
いつも思うのですが「強ければ良いのか」というのは選手として忘れてはいけないポイントになると思います。中学生、高校生は周りからチヤホヤされるとどうしても勘違います。特別扱いをされると自分が偉くなったような感覚に陥るです。しかし、しょせん陸上競技の場面だけの実力。それだけで大きな評価を受けて自分が素晴らしい人間だと勘違いしないようにしなければいけません。そこを諭せるのが指導者の役割だと思っています。好きなようにさせるのではない。基本的なことができて初めて価値があります。一部分だけを過大評価してしまうと選手のためになりません。こういう部分も少しずつ少しずつ教えていく必要があると思っています。強くなれば注目を集める。そうなると少しのことでも批判されやすくなります。「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」ですね。力が付けばつくほど謙虚にならないといけないと思います。
戦うことを求める。これが良いことかどうかはわかりません。「勝利至上主義」で生きているわけではない。しかし、「勝利」を目指すことでしか見えないことがあると思っています。中途半端な努力で何かを獲られるほど甘くはない。やるだけのことで何を獲るのか?部活動としての限界はあると思います。一生懸命やっていく。その一生懸命は人によって違ってきます。周囲から見て「んー」という感じでも本人は「一生懸命」なのかもしれません。ここをどこの価値観に合わせるのか?それなりの「一生懸命」に価値があるのか。それを決めるのは私ではないのかもしれない。価値観という抽象的な概念の中で人とかかわることの意味ですね。
少しずつ表情が変わる。それが本人たちにとってどういう意味を持つのか。自分自身に負けないようなチーム作りは必要だと思っています。そこには絶対に温度差が生じます。上述のように人それぞれの価値観の中でやっているからです。統一することが可能なのか。また、統一する意味があるのか。表面的に何かをやることは無意味だとずっと思っています。やるからには「全力で」「本気で」「一生懸命に」がいいと思っています。それは私は・・・ですが。
なんかまとまりない文章ですね。すみません。思いつくがままに書いておきます。
少し話がそれますが。前任校で指導していた大学生が約4年ぶりに県選手権で優勝しました。高校2年生で200mでインターハイ出場し、山口国体にも参加。その後故障と動きの崩れにより思うように走れませんでした。大学2年間はほとんど記録が出せず。やっとここにきて走れるようになってきました。辛い場面を何度も乗り越えてきたからやっとここにたどり着いたのだと思います。途中で投げ出していたら復活はなかったと思います。多くの先生方から「よく走れたね」と言っていただきました。私は何もしてません。本人が這い上がってきたのだと思います。OG対決も見られましたが、この春卒業した選手は思うように走れません。アップにつきあったりして少しずつ改善するきっかけをつかんでもらえたらと思いましtが、やはりまだまだ。全盛期の走りとは別人です。環境が変わり思うようにできない部分があるでしょう。これまで以上に多くの誘惑もあるでしょうし。勝負をするなら真剣にやらないといけません。いくつか約束をしました。この約束を守ってもらえれば変わってくると思います。力は抜群にある。最後は本人が「全てをかける」ところまで行けるかどうかです。
いつも思うのですが「強ければ良いのか」というのは選手として忘れてはいけないポイントになると思います。中学生、高校生は周りからチヤホヤされるとどうしても勘違います。特別扱いをされると自分が偉くなったような感覚に陥るです。しかし、しょせん陸上競技の場面だけの実力。それだけで大きな評価を受けて自分が素晴らしい人間だと勘違いしないようにしなければいけません。そこを諭せるのが指導者の役割だと思っています。好きなようにさせるのではない。基本的なことができて初めて価値があります。一部分だけを過大評価してしまうと選手のためになりません。こういう部分も少しずつ少しずつ教えていく必要があると思っています。強くなれば注目を集める。そうなると少しのことでも批判されやすくなります。「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」ですね。力が付けばつくほど謙虚にならないといけないと思います。
戦うことを求める。これが良いことかどうかはわかりません。「勝利至上主義」で生きているわけではない。しかし、「勝利」を目指すことでしか見えないことがあると思っています。中途半端な努力で何かを獲られるほど甘くはない。やるだけのことで何を獲るのか?部活動としての限界はあると思います。一生懸命やっていく。その一生懸命は人によって違ってきます。周囲から見て「んー」という感じでも本人は「一生懸命」なのかもしれません。ここをどこの価値観に合わせるのか?それなりの「一生懸命」に価値があるのか。それを決めるのは私ではないのかもしれない。価値観という抽象的な概念の中で人とかかわることの意味ですね。
少しずつ表情が変わる。それが本人たちにとってどういう意味を持つのか。自分自身に負けないようなチーム作りは必要だと思っています。そこには絶対に温度差が生じます。上述のように人それぞれの価値観の中でやっているからです。統一することが可能なのか。また、統一する意味があるのか。表面的に何かをやることは無意味だとずっと思っています。やるからには「全力で」「本気で」「一生懸命に」がいいと思っています。それは私は・・・ですが。
なんかまとまりない文章ですね。すみません。思いつくがままに書いておきます。