これも微妙な例えなのでどこまで伝わるか分かりません。選手に少し話をした内容をここに記しておきたいと思います。
短距離と長距離の温度差が生まれてきているという話が内部から出てきたようです。それは私には分かりません。短距離がどのように変わってきたのか、長距離がどう変わろうとしているのか。そしてその変化は本当に必要なのか。誰の基準で判断するのかという話だと思います。必要と思えば何かしら変化していなければいけない。不要だと思えばその場に留まればいい。誰かに強制されるものではないでしょうね。前日にもう一人の顧問の先生と話をしました。私自身のやり方についてです。私はこういう性格ですから「やり切れない選手の気持ちを完全に感じ取ることができない」という自覚があります。やり切れない子を引き上げていくのが教育だと思っていますが、本当はそこに留まる事で本人は良いのではないか?別にそこまでしてやりたいと思っていない子もいるだろうから。それを無理やりこちらの価値観に当てはめて引き上げようとするのはエゴではないか?そんな気持ちがありました。
が、顧問の先生と話をしていて「変わるべきだ」と感じてもらっているようでした。私のやり方、考え方にある程度の賛同をしてもらえているようです。安心しました。だから、先日「長距離の前でも話をしてほしい」という依頼があったのだと思います。キッカケを与える事ができるかどうかなんだと。そのキッカケを感じ取れるかどうか。私の課題は「やり切れない選手が存在する」という事をきちんと理解する事ですし、もっと言えば「やり切れない選手が増えつつある」という事実を受け入れないといけないのだと思います。そこをどうするか?昨年度までのやり方を全否定するつもりはありません。私が否定しつつある感じがするので顧問の先生には申し訳ないなという気持ちが強くありました。夜の席で謝罪しました。「気にする事はない。私も楽しい。」と言ってもらえたのは救いです。
で、話を元に戻します。そんな話をしていたのでタイミングをみて全体に話をする事にしました。こういう話を聞くタイミングを逃す子は結局何変わり切れないというのだけは確かですね。思った事、選手が感じているかもしれない話をしておこうと思ったので。
この日、コンビニでミネラルウォーターを買いました。大した話ではありません。選手にその水を見せました。一つは500ml、もう一つは2lです。同じ種類の水です。これを見せて「値段はいくらだと思うか?」という質問をしました。多分、なんの話か分からないというのは分かっていました。この人は何を言っているの?という戸惑いはあったと思います。実はこの水、500mlは100円、2Lは98円でした。どちらが安い、高いという話ではなくほぼ同じ値段でしたら。
この事を競技局面における自分たちの取り組みに置き換えてみる事にしました。あなた達がこれまでやってきたのは500mlのペットボトル。見たら分かるように水が一杯入っている。これ以上水を入れる事はできないという状態。しかし、同じ値段で2Lの水が買える。中身は全く同じ。そして量は4倍。私はこの2Lの水になってもらいたいと思っています。昨年までの取り組みは500mlなのです。このペットボトルしか持っていなかったから「一杯になっている」と感じていたはず。しかし、私は2Lのペットボトルを持ってきた。同じ水でも本当はその4倍入るのです。500mlが最高の量だと思っていたのに本当は2L入る。それを示された時、やはり戸惑いは生じると思います。別に500mlでも良いからです。わざわざ2Lの水を入れ入れる必要はない。そう感じている者にはどんな話をしても伝わらない。そこはちょっとスルーでいいと思っています。冷たいかもしれませんが。
この子たちがやってきた事を否定するつもりはありません。しかし、本当はもっともっと広い世界がある。自分達で決めつけた大きさが最大ではないのです。小さいペットボトルのまま活動するのか、それとも大きなペットボトルの存在に気づくのか。値段は同じです。つまり、同じ高校生なのです。同じなら小さな世界で自己満足で終わるより、もっと大きな部分を見て行く方が将来的にはプラスになると考えています。繰り返しになりますが私が思うだけであってその事が正しいかどうかは別問題です。これまでの自分達の取り組みを全て否定されていると感じる選手もいるでしょう。が、このペットボトルの話で少しは伝わるのではないかと思っています。水を入れるペットボトルの大きさが根本的に違うのです。だから「少ないよね」という話になる。2L入るのに自分は500mlで一杯だと思っているから。
この子たちの可能性はもっともっとあると思います。しかし、それを感じ取れるかです。自分は500mlだと思っている子に本当は2L入るんだよ!と話しても信じられないかもしれない。だから、そういう話をする機会を持っていかないとダメなのかなと。自信を持てない部分があるでしょうから。
この逆のパターンもあるかもしれないなと思っています。これまで2Lのペットボトルに水を入れていた。実は少しずつペットボトルが小さくなっていっていて、気がついたら500mlに大きさが変わっている。自分はその中に水が一杯入っていると安心をする。が、気がついたら容量そのものが小さくなってきている。それは客観的に指摘されて初めて気づく。気付いてまた2Lに戻そうとするか、「いや、自分の水は一杯に入っている」と正当化するか。
数多くの部活動があります。それぞれがそれぞれの場所で取り組みをしています。が、我々が見ていかなければいけないのは「水が入れば良い」というだけではなく「本当はもっと入るんじゃないか」という部分。更にいうなら水道水や水たまりの水で一杯にするのではない。きちんとしたミネラルウォーターで一杯にしたい。質の問題です。どうせやるなら一杯の水を入れる。その水は適当に汲むのではなくきちんとしたミネラルウォーターを入れたい。その感覚だと思っています。
なかなか抽象的で分かりにくい話ですかね?ここまで詳しくは話をしていません。ペットボトルの大きさの話だけです。それでも分かりにくいかなという気はします。ここに書いてどれだけの人にわかってもらえるでしょうか?まー全て自己満足ですかね。長々と申し訳ありませんでした。
短距離と長距離の温度差が生まれてきているという話が内部から出てきたようです。それは私には分かりません。短距離がどのように変わってきたのか、長距離がどう変わろうとしているのか。そしてその変化は本当に必要なのか。誰の基準で判断するのかという話だと思います。必要と思えば何かしら変化していなければいけない。不要だと思えばその場に留まればいい。誰かに強制されるものではないでしょうね。前日にもう一人の顧問の先生と話をしました。私自身のやり方についてです。私はこういう性格ですから「やり切れない選手の気持ちを完全に感じ取ることができない」という自覚があります。やり切れない子を引き上げていくのが教育だと思っていますが、本当はそこに留まる事で本人は良いのではないか?別にそこまでしてやりたいと思っていない子もいるだろうから。それを無理やりこちらの価値観に当てはめて引き上げようとするのはエゴではないか?そんな気持ちがありました。
が、顧問の先生と話をしていて「変わるべきだ」と感じてもらっているようでした。私のやり方、考え方にある程度の賛同をしてもらえているようです。安心しました。だから、先日「長距離の前でも話をしてほしい」という依頼があったのだと思います。キッカケを与える事ができるかどうかなんだと。そのキッカケを感じ取れるかどうか。私の課題は「やり切れない選手が存在する」という事をきちんと理解する事ですし、もっと言えば「やり切れない選手が増えつつある」という事実を受け入れないといけないのだと思います。そこをどうするか?昨年度までのやり方を全否定するつもりはありません。私が否定しつつある感じがするので顧問の先生には申し訳ないなという気持ちが強くありました。夜の席で謝罪しました。「気にする事はない。私も楽しい。」と言ってもらえたのは救いです。
で、話を元に戻します。そんな話をしていたのでタイミングをみて全体に話をする事にしました。こういう話を聞くタイミングを逃す子は結局何変わり切れないというのだけは確かですね。思った事、選手が感じているかもしれない話をしておこうと思ったので。
この日、コンビニでミネラルウォーターを買いました。大した話ではありません。選手にその水を見せました。一つは500ml、もう一つは2lです。同じ種類の水です。これを見せて「値段はいくらだと思うか?」という質問をしました。多分、なんの話か分からないというのは分かっていました。この人は何を言っているの?という戸惑いはあったと思います。実はこの水、500mlは100円、2Lは98円でした。どちらが安い、高いという話ではなくほぼ同じ値段でしたら。
この事を競技局面における自分たちの取り組みに置き換えてみる事にしました。あなた達がこれまでやってきたのは500mlのペットボトル。見たら分かるように水が一杯入っている。これ以上水を入れる事はできないという状態。しかし、同じ値段で2Lの水が買える。中身は全く同じ。そして量は4倍。私はこの2Lの水になってもらいたいと思っています。昨年までの取り組みは500mlなのです。このペットボトルしか持っていなかったから「一杯になっている」と感じていたはず。しかし、私は2Lのペットボトルを持ってきた。同じ水でも本当はその4倍入るのです。500mlが最高の量だと思っていたのに本当は2L入る。それを示された時、やはり戸惑いは生じると思います。別に500mlでも良いからです。わざわざ2Lの水を入れ入れる必要はない。そう感じている者にはどんな話をしても伝わらない。そこはちょっとスルーでいいと思っています。冷たいかもしれませんが。
この子たちがやってきた事を否定するつもりはありません。しかし、本当はもっともっと広い世界がある。自分達で決めつけた大きさが最大ではないのです。小さいペットボトルのまま活動するのか、それとも大きなペットボトルの存在に気づくのか。値段は同じです。つまり、同じ高校生なのです。同じなら小さな世界で自己満足で終わるより、もっと大きな部分を見て行く方が将来的にはプラスになると考えています。繰り返しになりますが私が思うだけであってその事が正しいかどうかは別問題です。これまでの自分達の取り組みを全て否定されていると感じる選手もいるでしょう。が、このペットボトルの話で少しは伝わるのではないかと思っています。水を入れるペットボトルの大きさが根本的に違うのです。だから「少ないよね」という話になる。2L入るのに自分は500mlで一杯だと思っているから。
この子たちの可能性はもっともっとあると思います。しかし、それを感じ取れるかです。自分は500mlだと思っている子に本当は2L入るんだよ!と話しても信じられないかもしれない。だから、そういう話をする機会を持っていかないとダメなのかなと。自信を持てない部分があるでしょうから。
この逆のパターンもあるかもしれないなと思っています。これまで2Lのペットボトルに水を入れていた。実は少しずつペットボトルが小さくなっていっていて、気がついたら500mlに大きさが変わっている。自分はその中に水が一杯入っていると安心をする。が、気がついたら容量そのものが小さくなってきている。それは客観的に指摘されて初めて気づく。気付いてまた2Lに戻そうとするか、「いや、自分の水は一杯に入っている」と正当化するか。
数多くの部活動があります。それぞれがそれぞれの場所で取り組みをしています。が、我々が見ていかなければいけないのは「水が入れば良い」というだけではなく「本当はもっと入るんじゃないか」という部分。更にいうなら水道水や水たまりの水で一杯にするのではない。きちんとしたミネラルウォーターで一杯にしたい。質の問題です。どうせやるなら一杯の水を入れる。その水は適当に汲むのではなくきちんとしたミネラルウォーターを入れたい。その感覚だと思っています。
なかなか抽象的で分かりにくい話ですかね?ここまで詳しくは話をしていません。ペットボトルの大きさの話だけです。それでも分かりにくいかなという気はします。ここに書いてどれだけの人にわかってもらえるでしょうか?まー全て自己満足ですかね。長々と申し訳ありませんでした。