内容的にあまり面白いものにはなっていません。申し訳ないですね。かなりオブラートに包んで書いています。言葉を選びながら。
最終日。この日は「走練習中心」と決まっていました。選手にも話をしました。かなり量を走るというのは合宿の最初の部分で伝えていました。最終日は「走る」のだと。「走りこむ」ことで「足が速くなる」というのはないと思っています。実際の「技術的な部分」とは異なります。スピードレベルも落ちるので「費用対効果」だけを考えると「非効率的」な話になるのかもしれません。
しかし、「きれいな練習」だけではだめだと思っています。それこそ「根性論」と言われるかもしれません。科学的ではないという批判もあるでしょう。それでも「自分の中の限界値を上げる」という意味では大切な話だと思っています。「科学的な練習」をすれば本当に速くなるのか。もちろん、必要な要素だと思っています。毎日毎日がむしゃらに練習をすることは「非効率」です。動きの洗練もできません。
それでも時として「無理だ」と思う部分を超える必要があると思います。誤解なきよう書いておきますが「毎日走りこむ」という話をしているのではありません。うちの学校ではほとんど「走り込み」をしていません。「走りに必要な要素」を繰り返しやっていくことで「走りを作る」という感じがあります。意識して練習に取り組むことで「走るために必要な動き」を身につけていく。毎回その手の練習だけでは「走り」は作れないという感覚があります。時としては「走り込み」が必要。身体的な効果というよりは「心理的な部分」が大きく影響してきます。
最終日は基本的なことをある程度やってからひたすら走ることにしました。バランス系と「固定」や「縦の動き」、ハードルドリルを実施してから階段と坂を使った練習を。階段では「両足ジャンプ」「片足ジャンプ」「階段走」「階段走+坂道」「平地+階段走+坂道」という感じでひたすら身体を動かしました。内容としては「合理的」とは言えませんが。
競争形式でひたすら動き続ける。本数もそれぞれ4本ずつくらいはやったでしょうか。1時間半くらい休まずに走り続ける。階段走や坂道を組み合わせると「手を抜く」選手が出てきます。苦しくなるので当然かなと。「本数をこなす」という感じになってきます。先のことを考えて「余力を残す」という選手も出てきます。それは今回の狙いとは大きく違います。「後先を考えずに目の前のことに全力を尽くす」というのが必要ですが、「余力を残す」ことはその質が落ちるので効果は大きく下がります。
「限界値を上げる」というのがテーマです。「できる限りのことをやる」というのでは効果はないと思っています。今の力でそれなりに練習を消化するというのでは勿体ないなと思うのですが、それは伝わりにくい。
午後からもひたすらやる。坂道を使っておんぶ走の往復。手押し車も坂道で40m程度。バック走もやる。休まずにやり続ける。1周150m程度の場所があるのでそこを時計回りで4本、反時計回りで4本。7グループくらいになっていたので他のグループが走る時間がレスト。休みが長くなるので2本目からは2つのグループを一つにしてAグループが半分まで行ったら次のグループが出るという流れ。ひたすら走りました。これも量的にはそれほどではないのかもしれません。わかりませんが。
本気で走ればかなりの負荷だと思います。カーブがきついので走りにくいというのはあります。それでも「与えられた環境の中で最大スピードを出す」というのができるかどうか。全力で走る選手もいれば適度に抜いて走る選手もいます。指導者が全体で何度も何度も声掛けをします。質を上げるためにです。これでも上がらない者も出てくる。我々は無力ですね。
少しだけ休憩をはさんで40mの坂を8本。すべて全力で。前の練習の流れがあったので「40m手前で緩めたものがいる組はやり直し」としました。こういう形の練習は好きではありません。「最後まで走りきる」というのは当たり前の話です。が、それができないので「強制的にやる」ということにしました。かなり言っても「手前で緩める」者が出てくる。躊躇なくやり直しにしました。本当に「やり直し」になると思っていなかったのかもしれません。厳しい部分を持って取り組まなければいけないなと。
相手もなかなかのもの。「手前で緩めない」という部分に対して「最初から8割くらいのスピードで走る」という者が出てきます。追加条件で「全力で走っていない感じがあったら追加」としました。本来的な練習スタイルとは全く違いますが。そこに意味があるのかどうかはわかりません。手を抜かない選手は一切抜かない。抜く選手は・・・。ここはいたちごっこかもしれないですね。
そこからさらに1周300mのクロスカントリーコースを2人1組で走る。下りと上りが1セットです。時間が許す限り走るということにしていました。休憩は2分程度でしょうか。5~6セットはやったのではないか。数えていないので分かりません。途中うちの選手が一人「過呼吸」のような状態になりました。この時点で練習を抜けさせる。矛盾するかもしれませんが。その選手にとってはそこが「限界値」でした。正確にいうともっと早い段階で「限界値」は越えていました。
性格的に一切手を抜かないタイプ。1本1本全力です。150mの周回走の時点ですでに呼吸がかなり乱れていました。意図的に私は声をかけず。止めさせるのは簡単です。しかし、どこかで越えなければいけない。「練習を消化する」ことだけを考えて余力を残すよりも「使い果たすまでやる」というほうが間違いなく意味があります。限界値を超えてさらにやろうとして動けなくなる。そこで本当に終了です。十分だと思います。
「きれいな練習」をするというだけではない。そこは重要かなと思っています。タータンが硬いのでそこで走りこむことは故障を生みます。元も子もない状況になる。それを避ける中でどうやって「限界値を上げる」のか。見ていないところで緩めるのは簡単ですが「やり続ける」ことは本当に難しい。十分だと思います。
16時終了にしていました。シンスプリントなどの痛みがある選手は「下り坂」はできないので40mを走らせることに。「20本」という本数を設定しました。「冗談だろう」と思われたかもしれませんが。これも「限界値を上げる」というテーマです。「できない」と思っていたことに対して「できる」と思う経験が必要。16時時点で15本。残り5本は走り終わった選手たちも参加させて実施。かなり走っています。
本数と負荷としてはかなりだったと思います。「速くなるための練習」とは違うかもしれません。最後の1本だけ全力で走るという者も出ますがそれは仕方ないことなのかなと。うちの選手にとって色々と考えさせられる機会になったと思います。それぞれの選手にとって意味のあるものになったかどうか。ここも重要だと感じています。
指導について。しっかりと考えていきたい。時代の流れと共に色々と変化していくのかとしれません。10年前の合宿とは違う。それを受け止めながら自分のやるべきことを見出して行きたいと思います。