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kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

限られた時間の中で

2020-01-17 | 陸上競技

合宿が終わり通常の学校生活が始まりました。この週から「検定週間」に入ります。商業系の生徒は毎日「17時」までは検定課外に参加することになります。これにより練習開始は「17時10分」を過ぎることになる。これまでと同じような流れでは練習が出来なくなります。

 

それが2週間続くことになる。やりたいことはたくさんあります。しかし、それをすべてやっていくわけにはいかない。日替わりで「優先事項」を決め取り組んでいく必要性があります。トレーニングの部分は最低限入れたい。とはいえ、「体幹強化サーキット」や「サーキット」を2サイクル実施するとそれだけで20分が経過してしまいます。全てはできない。1サイクルだけでもやっておくようにしました。

 

また、うちの今の流れの中で「走るための準備」の時間を作っています。「走練習」をする前までにどれだけ「無意識化」ができるか。それが出来なければ「走練習」の質が下がってしまいます。「使う部分の意識の徹底」をしていく中で「走練習」では必要な動きに集中できると思っています。

 

そのため「準備」も最小限にとどめ、「空き時間に各自で意識するように」とだけ伝えて進めていくことにしました。ここ最近は徹底して「準備」をやってきています。それなりに「固定」や「縦の動き」は身についているのではないかなと感じています。そうであれば「意識の差」や「感覚の差」は出るかもしれませんが「走りに落とし込む」部分にもっと時間を割くほうが良いかなと。

水曜日は「台&BOXジャンプ」を入れました。これは合宿ではできなかったからです。毎日練習から外せない種目と外せる種目があるかなと思っています。「バランス系」と「台ドロップ」に関しては毎日やりたい。ハードルドリルも同様。「走るために必要な準備」として外せない者があるかなと思っています。

 

その流れの中で「加速段階T走」も。合宿ではT走ができません。その代わりに坂道などを使うのですが。スパイクの履き替えなども含めて学校であればスムーズにできます。ここも重要かなと。重心移動や膝の引きだしを重視して数本ずつ。

 

水曜日の朝はミーティングをさせていました。その中で「バトンの精度を上げる」と書いていたので「10バトン」と「25並走」を実施。この部分は生命線です。11月以降ほぼバトンがきちんとわたりません。この状況でシーズンに入ったら「終わり」だと思っています。徹底したい部分をどれだけ徹底できるか。「足が速いだけ」ではリレーは戦えません。走力が上がったとしてもリレーはできない。この部分をもっと突き詰めてもらいたいなという気はしています。この日も渡りませんでしたが・・・。

 

女子の1組を男子と一緒に走らせることにしました。スピードを出すためにです。男子は負けられない、女子は追いつきたい。その中で「最大スピードを出す」ということができると思っています。できるだけ「質」を上げようと思えばやはり重要な要素なのかなと。

 

バトン走をやってからシャフト補強のAメニュー。時間が極端になくなってきたので「40m↑ー30m→」を。これは前半マークと中間マークをそれぞれ置いて実施。前の記事はこの「マーク走」の中での話です。本人たちが何を考えて何を感じながらやるのかで大きく効果が異なるという良い例だと思います。

 

なんとか2時間でここまでやり遂げました。電車組は後片付けを他の者に任せて急いで帰らせました。開始時間が遅くなるから終了時間が長くなるというのでは意味がなくなります2時間という限られた中でどこまでできるのか。ここが大切なのかなと。逆に2時間である程度できるようになれば組み立てさえ工夫すればもっときちんとできるという感じがあります。


基本の確認に時間が割けませんが出来る限りのことをやっていきたいと思います。動き自体はかなり改善されてきている感じはあります。これからです。

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「言葉」と「感覚」

2020-01-17 | 陸上競技

感じていることを。ここに関しては「主観」も入るのでなかなか表現が難しいというのがあるのですが。

 

「指導者」という表現をしていますが「コーチ」というほうがふさわしい部分があるのかもしれません。本来的にやりたいことは「速く走るため」に何をするかです。「コーチング」をしようと思えば「技術的な話」や「メンタルコトントロール」について話をしていくのが中心になります。「最後まで走る」とか「分からなかったら分かる人に聞く」という部分の話をするのは「指導」をしなければいけないという感覚があるからかもしれません。

 

陸上競技の指導が「教育として」存在するからかもしれない。スポーツとして「陸上競技」を捉えると「指導」ではなく「コーチング」なのかなという気がします。「適当にやっている」というのであっても「指導料さえもらえば関係ない」と割り切ってしまえばそこまで感情移入することはないかもしれない。競技成績が出なければ「別のコーチの指導を受ける」という流れになる。日本の文化ではそういう流れになりにくい。これは「部活動」の弊害なのかもしれないですね。

 

本当に書きたい内容と大きくずれてしまっていますが(笑)。

 

ある選手と話をしました。自分の走りについてどうかという感じです。練習で「中間マーク」をする。中間疾走の動きなので「前で動かす」ことと「切り替える」という「言葉」を使う。これは一般的な話かなと。その練習をしていてすべてが終わった後に選手自身が「感覚」について質問をしてきました。

 

「切り替える」ことを意識していたのだが「脚が遅れる」という感覚があったということでした。この選手は元々「落とす」という意識の中でこれまでやってきていました。私の指導の中では「落とす」というイメージはありません。「落ちてくる」というイメージです。非常に曖昧な表現になるのですが。

 

それが「中間マーク」の最後の1本で「膝を前に出す」という意識で走ったら「脚が遅れなくなった」と感じたそうです。これも感覚なのでうまく表現できない部分はあると思いますが。私は「前で動かす」「切り替える」という表現をしていました。この「言葉」で「速く落とす」と受け止めたのだと思います。

 

が、色々と考えていく中で「膝を前に」という意識にすると「腰が進んで足脚が遅れなかった」と感じた。非常に微妙な表現になるのですが。真剣に練習の話を聞いて「考える」ということができているからこのような流れになるのだと思います。

 

中学時代から「強く落とす」というイメージで走ってきた。入学当初、走りが大きく崩れていました。その時は「これまで強く落とす意識で走っていたが、高校では前にと言われているので感覚的に分からない」という話でした。中学時代にある程度走れる選手は「才能」でやっている部分がある。自分の感覚の中でやっていて「走れていた」のだと思います。それを否定する必要性もないので合わせてやっていました。

 

約2か月、徹底的に「走りの基本」をやっています。「固定」することで「力を逃がさない」という感覚を作り、その方向を変える。地面に伝えた力を活かして走りたいという考え方でやっています。その中で「落とす」という意識では上手く走れないのかなと感じています。

 

私は「落とす」ことに関しては一切触れません。「膝を前に出す」ことd「腰が引っ張られる」というイメージです。膝を出していけば自然と重心移動が起きる。ハードルドリルなどでも「接地」について話しますが「強く落とす」という表現はしません。「身体の真下」です。

 

「膝が前に出る」ことで自然と重心が前になります。前になることで「脚が落ちてくる」のだと思っています。意識して落とさなくても前に重心が進むので足を落とさなければ転倒してしまいます。自然に脚は落ちてくる。そこの位置に重心が乗りさえすれば止まることなく進んでいける。表現的に難しいなと思いますが。この話は合宿中にもしています。

 

ハードルドリルなどをする時にも「上げる脚を『はやく』」という表現をします。「タイミング」を「早く」すること。引き上げる「スピード」を『速く』することで走りに繋がっていくと思っています。ワンステップハードルも「スピード」を速くするのではなく「膝を前に引き出す」ことで進んでいく感覚を作らせています。誤魔化さないように徹底します。それは「落とす」ではなく「引き出す」という意識です。

 

「脚を前に前に送る」という「表現」をします。これは「蹴る」という意識を一切なくしたいからです。次から次に足を前に送る(引き出す)ことでピッチは高まります。これにより「切り替え」が遅くなることは少なくなると思っています。足を前に送ることで身体が前に進む。そうなると無意識の中で地面に力を加えることになります。「蹴る」という意識がなくても「力を加える」ことができる。

 

「蹴る」という表現を使うと最後まで地面に力を加え続けようとする感じがあります。接地した瞬間に力を出せばあとは「現象」として存在するだけの動きになる。「接地」だけを意識するのであれば「走る以外の動き」の中でその部分を習得させ、走るときには「脚を前に送る」ということでいろいろな動きは成立するのではないか。そう考えています。

 

今回選手自身が「言葉」にしていました。「膝を引き出すことで腰が進む」「足は自然に落ちてくる」「脚を前に送ることで遅れなくなる」という言葉。私が話をする内容の受け売りとは感じませんでした。自分自身が「走練習」をする中で「感じたこと」を表現してくれたのかなと。

 

これは「指導」ではなく「コーチング」だと思っています。「言葉」と「感覚」をすり合わせていく。単純に「与えられたメニュー」を消化することが目的ではなく、どうすれば「速く走る」ことができるかを求めていった結果だと。本来的にやりたいのはこういう部分かなと思っています。「速く走りたい」と願っている選手に対して、一番合ったものを提供する。「なんとなくやっている」という状況では何を提供しても効果は出ないのかなと。

 

「欲している」のであればこちらも「提供」できる。今やっていることを真剣に考え、吸収しようとしてくれれば自分でも信じられない結果につながるのではないかと思っています。実際問題「走り」を見る中で何人かは「シーズンとは別人」と感じるくらいの勢いがあります。まだまだ精度が低いので積み重ねていかなければいけないと思いますが。

 

選手と「競技」を通じて向き合うことで私自身が学ぶことがあります。これは大きいなと感じています。こういう時間であればどれだけのことがあっても苦痛とは感じません。楽しい。それが原動力になっていると思っています。

 

うーん。まとまりません。「言葉」と「感覚」といタイトルにしましたが内容が一致しているのかどうかは微妙。

 

また書きます。たぶん。

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何をするか

2020-01-17 | 陸上競技
色々と考えることがあります。ここに関しては本当に難しいなという感覚が。価値観が多様化している現在、一つの基準で物事に対応するのは非常に難しい。私の考え方自体が世間一般から大きく外れている可能性もある。その中でどう考えていくか。

「やるべきことをやる」という部分。ここに対して私の中では譲れない部分があります。「競技の指導だけ」ができれば理想なのかもしれません。しかし、それは不可能。分かり切っています。競技指導だけで何かできるという話ではないからです。教科指導をベースにしながら「大切なもの」を伝えていく。ここは譲れない部分かなと。

検定課外が始まる。これにより練習時間は2時間できないレベルになります。ここは選手にとって正念場だと思います。限られた時間の中で何をするのか。何ができるのか。ここはしっかりと見極めたい。取り組みの姿勢を見直す貴重な期間になると考えています。

「資格取得」はある程度の意味があると思っています。が、本当に資格を取ればそれで良いのか。強制的に課外を行って「勉強漬け」にしてひたすら勉強させる。自発的に勉強をするのではなく「仕方なくやる」中でパターンを覚えていき「理解していない」中で得点だけ取れる。やらされているからなんとなくできるだけ。本当の意味での勉強にはなっていない。そこに対する葛藤がありました。

「やりたい」と望んでいない者に対してこちらが強制的にやらせる意味が見出せないからです。無理矢理やらせる。最初の段階では意味はあると思います。どちらかというとそちらのやり方の方が「一時的な伸び」は早い。しかし、それが「本当の力」になっているかどうかは別問題。何かあったら他者が助けてくれる。与えられることが当たり前になっていて与えられなければ「なぜやってくれないのか」という不平不満を述べる。それは本当に教育として価値があるのか。

練習も同じだと思います。本気で取り組もうと思えば様々なことが変わります。強くなるために自ら行動するようになる。「速ければ良い」というのであれば何でもありだと思います。「きちんと練習をする」というのを求めること自体が「練習を強制する」ことなのかもしれませんが。

自ら欲しているかどうか。ここに対する判断はしていきたいと考えています。人は不満を抱えて生きていきます。自分がそれほど「強くなりたい」と思っていなくても「指導をされない」ことに対しての不満は持ちます。技術的な変容がほとんどない状態でも「自分も指導を受けたい」と望む。矛盾していることに対して考えることは少ない。こういう意味での平等は求める。

部活は一つのツール。他の部分も全ては「伝えたいこと」を伝える手段でしかない。そこに関しては外せないと考えています。私自身キャパが小さいというのはあると思います。全てを許容する部分が必要なのかもしれない。

が、私にはできないなと感じています。全てを許容するという懐の深さがない。大らかに見守るスタンスで取り組めれば違うのかなと。私に足りない部分はそこかなと。ここも自分の中で処理していただいてなければいけない。

まとまりません。感じていることだけは残しておきます。
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