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kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

自分の中での「普通」

2020-01-25 | 陸上競技

思うことを。

 

金曜日、親しい指導者と食事に行くことに。本当に親しいのかはよく分かっていませんが比較的頻繁に食事には行くようにしています。前回は11月だったか。rkn高校に行った復伝をするように言われて食事をしながら。半強制的に参加させられた感じがありました(笑)。今回は「一緒に行こう」と言われたので断る理由もなく一緒に。

 

私はblogにはそれなりに「競技のこと」を書きますJが「日常会話」の中ではあまりその部分は話しません。まー職場でこの手の話をしても興味を持つ人はいませんし。マニアックな話に興味関心を持ってくれるのは長距離顧問と若い運動部の指導者の2人くらいでしょうか。競技場面においてもそこまで突っ込んだ話はしません。理解してもらうことは不可能に近いので。

 

私は自分自身が「普通」だと思っています。競技をやろうと思えば今の自分の知識や考え方でも足りないなと常に感じています。その基準値が他者と異なる可能性がありますが自分の中では「普通」です。しかし、自覚症状はあります。私の競技に対する考え方や取り組みは周りの人とは異なると思っています。「異端」なのかどうかは分かりませんが、今の私を受け入れてくれる人はそれほど多くないと思っています。それでも自分の中では「私は普通」と感じているのです。

 

なぜなら基準は常に「自分の中にある」からです。他の人から見て「基準値以上」だったとしても私の中では「普通」であったり「足りない」部分だったりする。どこに軸足を置くのかで話が変わってくるからです。一緒に食事をした指導者にも「私は普通だ」と話をしました。競技をするという部分に関しては私でも「足りない」と感じることが多い。

 

やっていることに対して自分がどのように感じるか。満足するのかという話になるのだと思います。力のある選手が入学してくれば「ある一定の成果」は出ます。強い選手が集まれば「強豪校」となり、「すごい指導だ」と評価される。それはそれでいいと思います。実際にどのような指導をしていたとしても走るのは選手です。結果が出て指導者が評価される。そこに「満足」を得る人もいるのだと思っています。

 

私自身は「どこまで突き詰められるか」を考えていきたいと思っています。「普通」の選手がどこまでできるか。中学時代に実績がない選手でもきちんとした練習を続けていけば走れるようになる。そういう部分を突き詰めたいなと思っています。そんな話を延々としていました。もちろん、「普通の選手」が私がやろうとしている「普通の練習」ができるかどうかは分かりません。そこまで本気になってくれるのかもわかりません。周りの指導の熱と比べると「異常値」ととらえられるかもしれない。結局は私自身の問題だけではないというのが大きいと思います。出会いがなければ先には進めない。

 

自分自身がなにをするのか。今いる選手と一緒にどこを目指すのか。ここが自分の中で明確になってくるといいなと思っています。これまでやってきたことに関してはある程度の「手応え」はあります。良い方向に向かっている気がしています。これも「正解」はない。誰かのやってきたことを後ろからついていくだけの形ではない。これはリスクもあると思います。それでも「より良いモノ」を作り出そうと思えば自分自身の中で「創意工夫」ができなければいけない。

 

0から作り出すことは難しい。やはりベースになる部分がある。そのベースをしっかりと理解して形にしていく。模倣することがスタートです。コピーをすると少しずつ劣化していきます。前の記事にも書きましたが「本来的な狙い」が変わっていくからです。マネだけをしていると「劣化版」にしかならないので「オリジナル」を越えることはできない。別に越えなくてもいいのですが、やるからには「一番いい方向」を見つけたい。それを形にしたい。そう思ってやっていくことに意味があると思っています。

 

こうやって考えているのが自分の中では「普通」なことです。そこまで考えなくてもいいじゃないか、めんどくさい奴だなと思われる。それでも全然かまわないなと思っています。自分の中の「普通」を大きく変えていく必要性が今はないから。迎合して周囲に合わせて自分のやりたいことを見失うほうが面白くない。どうせやるなら「突き詰める」ほうが面白い。そういう部分に興味関心を持ってくれる人と話をするほうが楽しい。

 

大きく偏りはあると思っています。「興味関心」があるという部分が自分の中では少ない。それでも「今をどうするか」だけは考えていきたい。目の前にあることに対して真剣に考えたい。そこから見えてくることがある。自分が「正しい」と思っているわけではありません。私にとって私の考え方や競技に対する想いは「普通」だと思っているだけです。そう思わない人がいてもそこを責めるつもりはありません。「価値観」自体が違うのだから。「視点」が違う人と同じものを見て同じように感じることは不可能。

 

4時間近く一緒に食事をしていました。これは貴重な時間だったと思います。本音で話ができる数少ない人かもしれません。特に飲みに誘ってくれる人が少ない私のような人間からすればこれは貴重なのかもしれません。ありがたいことです。

 

まとまりのない内容になりました・・・。記しておきます。

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トレーニングの意味と継続

2020-01-25 | 陸上競技

思うことを。

 

実は金曜日に再び他の部活動が練習に来ました。私自身は検定課外があるので1時間はそちらの対応。最初の1時間は検定課外がない選手に指導をさせました。どれだけきちんとできるのかわかりませんが・・・。私が指導をしなければできないというのでは「練習の理解」を選手自身ができていないということになる。自分たちでどれだけできるのか。重要な話だと思います。

 

1時間経過して練習に行くと「体幹強化サーキット」が終わったところでした。いや、流れが悪すぎる。もっと早くできたはずです。何人かは12月に実施している内容です。まー覚えてはいないと思いますが。こういう部分がどれだけ身についていくのか。

 

他の競技では「トレーナー」と契約して「身体づくり」をするところもあるようです。バスケットやサッカーなどでは高校生であってもトレーナがいる学校がある。うちのようなチームではそんな負担はさせられません。細々と練習をするのが精いっぱい。ある程度のこと(!?)は自分でできると思っています。私の感覚的にはいつも「自分が普通」と思っています。突き詰めて協議について話す機会はほとんどありませんが。お金を取ることはしていませんが結構効果のある練習を提供できるのではないかと思っています。

 

技術系の競技。バスケットやサッカーなどはやはり「技術」が必要になるのだと思います。どの種目でも同じかもしれませんが。そうなるとどうしても「技術練習」に割く時間が多くなります。地味なトレーニングをするよりはドリブルやパスの練習をするほうが「楽しい」と思うので。陸上競技は競技中に多くの道具を使いません。どちらかというと「クローズドスキル」だと思っています。「相手とのやりとり」というよりは「自分がどう動くか」というほうが比重が大きい。そうなると「基本的なことを繰りかえす」という部分が多くなる。面白くないですね。派手さがないので。

 

球技などはどうしても「技術練習」の時間が長くなる。本当にそれでいいのかは分かりません。私の感覚的には「基礎体力」は必須だと思っています。「技術」を支える体力要素がなければ大成はしない。バスケットやサッカーでは「技術」があっても一定以上の運動量が確保できる選手でなければ試合では活躍できないと思っています。どうしても「目の前の技術」に力を入れたがる。そのほうが面白いですからね。選手は「楽しい」ほうを選びやすい。ここを指導する側がどのようにとらえるか。

 

「サークル」としての球技であればそこまで求める必要はありません。「競技」をしようと思えばやはりある一定以上の「トレーニング」が必要になってくると思っています。「勝負」をしようと思えば「身体づくり」は必須だと思います。高校生では支部大会があり県総体がありインターハイがある。「サークル」として活動するのであればこういう規模の大会は必要ないのだと思います。「勝敗を決する」という部分であれば「勝つためにどうするか」を考えていく。「勝利至上主義」だとは思っていません。「最大限に力を発揮する」という部分のためには「必要なこと」はやっていかなければいけないと考えています。

 

もちろんスポーツ自体は「楽しい」ものだと思います。趣味として楽しむのか競技として楽しむのかも違ってきます。体力的な要素は技術を支える重要なものです。どうしてもそこに目が向きにくい。「トレーニングをする」といって「腹筋背筋」だけをやっているというのでは「軸感覚」も育ちません。「上手くなるため」にはこういう部分が必要になってくるのだと思います。

 

で、話を戻す。前回に引き続きトレーニングをすることに。多い選手で今回で3回目。前回比較的厳しめに話をしています。他の場所で練習をするという意味を考えてもらわないといけない。これまでやった種目に加えBCTやシャフトトレーニングなども実施。時間の関係ですべてはできませんでしたが。「練習の紹介」という意味もありますが「競技特性に応じたトレーニング」であって欲しいと思っています。うちの練習とは全く別にやっていますからメニュー作成のための時間とってやっています。この部分も感じ取ってもらわないといけない。

 

「正確にやる」という話を何度かしました。トレーニングの肝はここにあります。BCTも「適当にやる」というのであれば効果は出ません。この手の練習は「意識するポイント」が分かっていなければできないのです。「やるだけ」の練習にならないようにしてもらいたい。当然のことですが。

 

一番注意してもらいたいのは「分かったつもり」になること。申し訳ないですが私自身もスプリントやトレーニングに関しては未だに勉強中です。まだまだ学ぶことは多いと思っています。こうやって「練習に参加する」ことで「この練習は分かった」と思ってしまう人が出てきます。本当は全然わかっていないのに。師匠がよく言っていたのですが「ある指導者が強豪校に練習を見学に行った。2日ほど見たのでもう砲丸投げに関しては分かった」と口にしていたようです。すごい話だと思います。「天才」だとしても2日間練習を見ただけでその専門種目自体が分かることはない。

 

私が他校を見学させてもらう。この時には本当にひたすら聞きます。しつこいなと思われるくらい質問をします。元々自分がやっている練習にあてはめながら考えるようにしているので「ヒント」を探しながら見るという感覚でやっています。そこに「答え」があるとは思っていないので、学校に戻ってまた振り返りながら進めていきます。全てを取り入れるという話ではない。

 

一番危険なのは「分かったつもり」になって練習をしていくこと。これは無意味に近いと思います。「意識するポイント」が明確でない練習をする必要性は0だと思っています。こうやってうちでやっている練習を伝える。それを鵜呑みにして「分かったつもり」でやることは無意味に近いかなと。何も生み出しません。そして数回やっただけでは絶対に身につかない。「継続してやる」ことが重要になる。続けてもらえるかどうかで「効果があるかどうか」を判断してもらいたい。1週間程度で効果が出るようなトレーニングはありません。筋力が一瞬で上がるというのであればそれは「魔法」です。絶対にない。

 

教えることが無駄にならないようにしてくれたらいいなと思います。トレーニングは地味できつい。それでも「楽しさ」を見出せたらと思ってやっています。面白くはないですが。意味のある時間になったでしょうか。見守っていきたいと思います。

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