続きを。
個人のレースもありましたがこちらも「完全燃焼」とはいかず。力が出し切れたかと言えば違う気がします。それでも「結果」を受け止めてそのときに何を感じるか。重要なことだと思います。
全てが終わって少し残って話をすることに。3年生から下級生に向けての話です。これまでは5月の県総体のときに話をしていましたがこんな状況なので県選手権のあとになりました。
男子選手。春先に「引退」することを考えた。が、やはり「陸上競技が好き」でこのまま引退する気にはなれなかったと。1年生で入ってきたときには400mを60秒くらいで走っていました。それが2年生には52秒。決して器用な選手ではありません。手と足が一緒になったりすることは多々ありました。しかし、地道に練習を続ける。「途中何度も辞めようと思った」という話をしていました。この時は「注意を受ける」ことがかなりあった。自分のことで注意を受けることもあれば下級生のことで注意を受けることもある。嫌になったのだと思います。
その時を振り返って「辞めようかどうか悩んでいる時間が無駄だったと思う」と。その時間をきちんとした練習の時間に充てることができればまた違った結果になっていたのではないかということでした。こうやって辞めずにこの舞台に立てる。それを嬉しく思うと話していました。それだけで十分ではないか。そう感じていました。
また別の男子。2年生のときに県総体に出場できない。そこで「やり投げ」を始めると申し出てきました。何とかして自分の力で県総体に出たい。そういう想いがありました。これもまた不器用な選手です。何度か師匠のところに連れて行って練習を見てもらったことがあります。上手くできません。それでもトレーニングと練習を重ねていって「形になってきたかな」という感じでした。上手くいけば中国大会も見えるのではないか。が、コロナの影響と故障で試合に出れず。
話の中で「何かを得ようと思えば何かを我慢しなければいけない」というのがありました。以前卒業した選手が卒業式の後に話していた内容です。それを受けて「陸上競技を中心に生活をしよう」と考えるようになったと。日常生活の部分で指導を受けることもありましたが、競技に対してかなり向き合えるようになっていました。重要なことだと思います。選手として最後を迎えることができませんでしたが、こうやって毎日のように練習に来てくれた。後輩の指導もしてくれていました。
思えばこの子たちには「先輩」といえる上級生がいませんでした。男子は1年で入って聞いてすぐに3年生が引退。その後は自分たちでやってきました。上級生が皆無。何を教えてもらうこともない。自分たちで何かをやってそれが間違っていて怒られる。この繰り返しでした。一時期「上級生」らしき者がいた時もあります。が、これはなかなかでした・・・。実際に競技をするうえで「自分たちでやってきた」と言い切れるレベルだと思います。
上級生がいれば・・・。また違った結果になっていたかもしれません。うちには「入部」してくる者は毎年います。残念ながら最後まで続ける者は半分以下でしょうか。「指導体制が悪い」といわれた甘んじて受け入れましす。「楽しく」「ルールなく」「適度に」という運営方針でやれば誰一人辞めることはないと思います。それが「正しい活動の在り方」だとするならばうちの活動は批判されてやむなし。
「中学校のときの様子を見て入ってきた」と言われることもありました。「違い」がかなりあります。中学の陸上部とうちの活動はずいぶん違うと思います。だからこそ最初の段階で「かなり厳しい」という話をします。それでも入ってきて最終的に「顧問と合わない」と言われる。仕方ない部分でしょうか。担任などをしていて「本当に嫌いだ」と言われることはこれまでありませんでした。内心思っている生徒はいたかもしれませんが。が、「部活動」になると「指導が悪い」「対応が悪い」と言われる。さらには「合わない」とまでも。
本当にそうなのでしょうか。「視点」がどこにあるかではないか。「自分だけ」で自分のやっていることが正しいとっ判断しているのではないか。多くの選手が「やっていてよかった」と最後に言います。途中でドロップアウトしていく者は「最悪だ」というでしょう。受け入れられない部分があればそれは「こちらの指導が悪い」という判断になるのかもしれません。
が、こうやって「やってきてよかった」と言ってくれる存在がある。注意を受けることも多かったと思います。それでも「やっていてよかった」という言葉には重みがあります。こういう言葉を聞けるとやってきてよかったと思いますね。
まとまりません。また書きます。