更新するほどの余力がなく。色々とあって。バタバタしながらやっています。疲れているのはいつものことですがもう少しエネルギーが欲しいですね。
木曜日。この日も検定課外があるので5時過ぎに練習開始になります。もうメニュー表を見ないと何をしたのかさえ思い出せないような状況。これでいいのかどうか・・・。補強に時間を割くことができません。最低限の量にして走る練習自体を増やしておきたいなと思っています。
バランス系は「片足支持」と「T字バランス」のみ。本当は身体が温まるまで色々とやるべきだと思うのですが。その後DM∞を。うちの練習自体はかなり走る量が少ない方だと思っています。全く走らないというのはやはりあり得ない。走り込みで走りを作るタイプではないので。
動きの確認に時間を割きたいのですがこれもやり過ぎると走ることができません。とはいえ、合宿などでは道具を使ってやっていなかったので感覚的に「ずれ」が生じています。そこを修正するには「必要最低限」のことはやっておきたい。難しいところです。
「道具」を使うことで「感覚作り」がしやすいと思っています。合宿ではそれができない部分があったので多少の「ずれ」があると。この部分は修正しておきたい。とはいえ時間がない。ここで重要になるのが「理解」と「意識」です。やるべきことを明確にして「意識」して練習ができれば短時間でも効果は違うと思います。繰り返し書いていますが「やるだけ」では効果は生まれません。何度言っても動きが変わらないのは「身体能力」という側面だけではなく「やろうとしているかどうか」が大きい。
最近改めて感じているのは「動きができていない」選手はそのことに気づかない。自分では「できている」と思っているからです。更には「動きを変える必要性」を感じていない場合が多い。そうなるとどのような練習をしても効果は出ないと思っています。逆に「速くなりたい」という気持ちがあれば最善の練習と思われない内容をやっていてもそれなりに走れるようになる。
台ドロップとハードルドリル、台片足ジャンプと片足交互ジャンプを。これもわかりにくいと思いますが「縦の動き」を意識した後に「水平方向への動き」を。簡単に走りの基本をやってから「加速段階練習」を。壁引き出しをやってからタイヤ押しを。ここ最近やっていないのでやはり確認だけはしておきたい。この動きも「やるだけ」では効果は出ません。改善されない理由は「練習メニュー」ではなく「意識」だと強く感じています。「責任放棄」と言われるのかもしれませんが。
これも練習では何度も言っています。「与える」ことと「自分でやること」に違いです。メニューを作成して提供することはできます。しかし、それをやる本人達がどのような意識で取り組むかによってその「成果」は全く違うのです。そこに対して「指導者の責任」という意見もあると思います。それぞれの学校で違うのかなという気はしますが。実際目の前で見てもらうと分かる部分はあると思います。同じ練習をしていても「差」がある。それが積み重なるとどうなるのか。
足運びの確認をしてからスティック5歩→チューブ5歩→前半マーク→スイッチングラン(タタタ)をやる。これは意図があります。前の記事にも書きましたが「落とす」意識で走ってしまう選手が出るので「足を前に送る」意識を生み出したいなと思っていたからです。蹴って進むのではなく「前に送ることで進む」という感覚を持ってやる。段階を追って持っていきました。
スイッチングラン(タタタ)で速く動くイメージを持つ。単純に速くではなく決められた距離の中で「速く」なので重心移動も生まれます。こういう練習を続けていくことで変化が生まれてくると思っています。
この意識をそのまま「40↑30→」に持っていく。これにより「切り替える」という言葉の意味が「前に送る」という動きにつながっていきます。中間などにマークを置くのは定番のメニューなのだと思います。意識づけです。しかし、そのまま「意識」をどうするのか。単純にマークを越えるだけではなく素早く前にという意識を持つ。これにより身体の後ろで回ることが少なくなります。やりたいことを徹底する。ポイントをそこに絞っての練習としました。まずまずかなと。
時間がないのでとにかく慌ててシャフト補強Aメニューをやってから終わった者から50mT走を3本と60mスプリントを1本。何人かは本当に良い動きをしていました。少しずつやっていることが形になってきているのかなと感じています。この時の走りがレースで出せるようにしていきたい。まだまだ練習の中でしかできないことなのかもしれないですが。
とりあえず記録しておきます。練習には波がある。それだけは確かです。見極めたいと思いますね。
合宿が終わり通常の学校生活が始まりました。この週から「検定週間」に入ります。商業系の生徒は毎日「17時」までは検定課外に参加することになります。これにより練習開始は「17時10分」を過ぎることになる。これまでと同じような流れでは練習が出来なくなります。
それが2週間続くことになる。やりたいことはたくさんあります。しかし、それをすべてやっていくわけにはいかない。日替わりで「優先事項」を決め取り組んでいく必要性があります。トレーニングの部分は最低限入れたい。とはいえ、「体幹強化サーキット」や「サーキット」を2サイクル実施するとそれだけで20分が経過してしまいます。全てはできない。1サイクルだけでもやっておくようにしました。
また、うちの今の流れの中で「走るための準備」の時間を作っています。「走練習」をする前までにどれだけ「無意識化」ができるか。それが出来なければ「走練習」の質が下がってしまいます。「使う部分の意識の徹底」をしていく中で「走練習」では必要な動きに集中できると思っています。
そのため「準備」も最小限にとどめ、「空き時間に各自で意識するように」とだけ伝えて進めていくことにしました。ここ最近は徹底して「準備」をやってきています。それなりに「固定」や「縦の動き」は身についているのではないかなと感じています。そうであれば「意識の差」や「感覚の差」は出るかもしれませんが「走りに落とし込む」部分にもっと時間を割くほうが良いかなと。
水曜日は「台&BOXジャンプ」を入れました。これは合宿ではできなかったからです。毎日練習から外せない種目と外せる種目があるかなと思っています。「バランス系」と「台ドロップ」に関しては毎日やりたい。ハードルドリルも同様。「走るために必要な準備」として外せない者があるかなと思っています。
その流れの中で「加速段階T走」も。合宿ではT走ができません。その代わりに坂道などを使うのですが。スパイクの履き替えなども含めて学校であればスムーズにできます。ここも重要かなと。重心移動や膝の引きだしを重視して数本ずつ。
水曜日の朝はミーティングをさせていました。その中で「バトンの精度を上げる」と書いていたので「10バトン」と「25並走」を実施。この部分は生命線です。11月以降ほぼバトンがきちんとわたりません。この状況でシーズンに入ったら「終わり」だと思っています。徹底したい部分をどれだけ徹底できるか。「足が速いだけ」ではリレーは戦えません。走力が上がったとしてもリレーはできない。この部分をもっと突き詰めてもらいたいなという気はしています。この日も渡りませんでしたが・・・。
女子の1組を男子と一緒に走らせることにしました。スピードを出すためにです。男子は負けられない、女子は追いつきたい。その中で「最大スピードを出す」ということができると思っています。できるだけ「質」を上げようと思えばやはり重要な要素なのかなと。
バトン走をやってからシャフト補強のAメニュー。時間が極端になくなってきたので「40m↑ー30m→」を。これは前半マークと中間マークをそれぞれ置いて実施。前の記事はこの「マーク走」の中での話です。本人たちが何を考えて何を感じながらやるのかで大きく効果が異なるという良い例だと思います。
なんとか2時間でここまでやり遂げました。電車組は後片付けを他の者に任せて急いで帰らせました。開始時間が遅くなるから終了時間が長くなるというのでは意味がなくなります2時間という限られた中でどこまでできるのか。ここが大切なのかなと。逆に2時間である程度できるようになれば組み立てさえ工夫すればもっときちんとできるという感じがあります。
基本の確認に時間が割けませんが出来る限りのことをやっていきたいと思います。動き自体はかなり改善されてきている感じはあります。これからです。
感じていることを。ここに関しては「主観」も入るのでなかなか表現が難しいというのがあるのですが。
「指導者」という表現をしていますが「コーチ」というほうがふさわしい部分があるのかもしれません。本来的にやりたいことは「速く走るため」に何をするかです。「コーチング」をしようと思えば「技術的な話」や「メンタルコトントロール」について話をしていくのが中心になります。「最後まで走る」とか「分からなかったら分かる人に聞く」という部分の話をするのは「指導」をしなければいけないという感覚があるからかもしれません。
陸上競技の指導が「教育として」存在するからかもしれない。スポーツとして「陸上競技」を捉えると「指導」ではなく「コーチング」なのかなという気がします。「適当にやっている」というのであっても「指導料さえもらえば関係ない」と割り切ってしまえばそこまで感情移入することはないかもしれない。競技成績が出なければ「別のコーチの指導を受ける」という流れになる。日本の文化ではそういう流れになりにくい。これは「部活動」の弊害なのかもしれないですね。
本当に書きたい内容と大きくずれてしまっていますが(笑)。
ある選手と話をしました。自分の走りについてどうかという感じです。練習で「中間マーク」をする。中間疾走の動きなので「前で動かす」ことと「切り替える」という「言葉」を使う。これは一般的な話かなと。その練習をしていてすべてが終わった後に選手自身が「感覚」について質問をしてきました。
「切り替える」ことを意識していたのだが「脚が遅れる」という感覚があったということでした。この選手は元々「落とす」という意識の中でこれまでやってきていました。私の指導の中では「落とす」というイメージはありません。「落ちてくる」というイメージです。非常に曖昧な表現になるのですが。
それが「中間マーク」の最後の1本で「膝を前に出す」という意識で走ったら「脚が遅れなくなった」と感じたそうです。これも感覚なのでうまく表現できない部分はあると思いますが。私は「前で動かす」「切り替える」という表現をしていました。この「言葉」で「速く落とす」と受け止めたのだと思います。
が、色々と考えていく中で「膝を前に」という意識にすると「腰が進んで足脚が遅れなかった」と感じた。非常に微妙な表現になるのですが。真剣に練習の話を聞いて「考える」ということができているからこのような流れになるのだと思います。
中学時代から「強く落とす」というイメージで走ってきた。入学当初、走りが大きく崩れていました。その時は「これまで強く落とす意識で走っていたが、高校では前にと言われているので感覚的に分からない」という話でした。中学時代にある程度走れる選手は「才能」でやっている部分がある。自分の感覚の中でやっていて「走れていた」のだと思います。それを否定する必要性もないので合わせてやっていました。
約2か月、徹底的に「走りの基本」をやっています。「固定」することで「力を逃がさない」という感覚を作り、その方向を変える。地面に伝えた力を活かして走りたいという考え方でやっています。その中で「落とす」という意識では上手く走れないのかなと感じています。
私は「落とす」ことに関しては一切触れません。「膝を前に出す」ことd「腰が引っ張られる」というイメージです。膝を出していけば自然と重心移動が起きる。ハードルドリルなどでも「接地」について話しますが「強く落とす」という表現はしません。「身体の真下」です。
「膝が前に出る」ことで自然と重心が前になります。前になることで「脚が落ちてくる」のだと思っています。意識して落とさなくても前に重心が進むので足を落とさなければ転倒してしまいます。自然に脚は落ちてくる。そこの位置に重心が乗りさえすれば止まることなく進んでいける。表現的に難しいなと思いますが。この話は合宿中にもしています。
ハードルドリルなどをする時にも「上げる脚を『はやく』」という表現をします。「タイミング」を「早く」すること。引き上げる「スピード」を『速く』することで走りに繋がっていくと思っています。ワンステップハードルも「スピード」を速くするのではなく「膝を前に引き出す」ことで進んでいく感覚を作らせています。誤魔化さないように徹底します。それは「落とす」ではなく「引き出す」という意識です。
「脚を前に前に送る」という「表現」をします。これは「蹴る」という意識を一切なくしたいからです。次から次に足を前に送る(引き出す)ことでピッチは高まります。これにより「切り替え」が遅くなることは少なくなると思っています。足を前に送ることで身体が前に進む。そうなると無意識の中で地面に力を加えることになります。「蹴る」という意識がなくても「力を加える」ことができる。
「蹴る」という表現を使うと最後まで地面に力を加え続けようとする感じがあります。接地した瞬間に力を出せばあとは「現象」として存在するだけの動きになる。「接地」だけを意識するのであれば「走る以外の動き」の中でその部分を習得させ、走るときには「脚を前に送る」ということでいろいろな動きは成立するのではないか。そう考えています。
今回選手自身が「言葉」にしていました。「膝を引き出すことで腰が進む」「足は自然に落ちてくる」「脚を前に送ることで遅れなくなる」という言葉。私が話をする内容の受け売りとは感じませんでした。自分自身が「走練習」をする中で「感じたこと」を表現してくれたのかなと。
これは「指導」ではなく「コーチング」だと思っています。「言葉」と「感覚」をすり合わせていく。単純に「与えられたメニュー」を消化することが目的ではなく、どうすれば「速く走る」ことができるかを求めていった結果だと。本来的にやりたいのはこういう部分かなと思っています。「速く走りたい」と願っている選手に対して、一番合ったものを提供する。「なんとなくやっている」という状況では何を提供しても効果は出ないのかなと。
「欲している」のであればこちらも「提供」できる。今やっていることを真剣に考え、吸収しようとしてくれれば自分でも信じられない結果につながるのではないかと思っています。実際問題「走り」を見る中で何人かは「シーズンとは別人」と感じるくらいの勢いがあります。まだまだ精度が低いので積み重ねていかなければいけないと思いますが。
選手と「競技」を通じて向き合うことで私自身が学ぶことがあります。これは大きいなと感じています。こういう時間であればどれだけのことがあっても苦痛とは感じません。楽しい。それが原動力になっていると思っています。
うーん。まとまりません。「言葉」と「感覚」といタイトルにしましたが内容が一致しているのかどうかは微妙。
また書きます。たぶん。
内容的にあまり面白いものにはなっていません。申し訳ないですね。かなりオブラートに包んで書いています。言葉を選びながら。
最終日。この日は「走練習中心」と決まっていました。選手にも話をしました。かなり量を走るというのは合宿の最初の部分で伝えていました。最終日は「走る」のだと。「走りこむ」ことで「足が速くなる」というのはないと思っています。実際の「技術的な部分」とは異なります。スピードレベルも落ちるので「費用対効果」だけを考えると「非効率的」な話になるのかもしれません。
しかし、「きれいな練習」だけではだめだと思っています。それこそ「根性論」と言われるかもしれません。科学的ではないという批判もあるでしょう。それでも「自分の中の限界値を上げる」という意味では大切な話だと思っています。「科学的な練習」をすれば本当に速くなるのか。もちろん、必要な要素だと思っています。毎日毎日がむしゃらに練習をすることは「非効率」です。動きの洗練もできません。
それでも時として「無理だ」と思う部分を超える必要があると思います。誤解なきよう書いておきますが「毎日走りこむ」という話をしているのではありません。うちの学校ではほとんど「走り込み」をしていません。「走りに必要な要素」を繰り返しやっていくことで「走りを作る」という感じがあります。意識して練習に取り組むことで「走るために必要な動き」を身につけていく。毎回その手の練習だけでは「走り」は作れないという感覚があります。時としては「走り込み」が必要。身体的な効果というよりは「心理的な部分」が大きく影響してきます。
最終日は基本的なことをある程度やってからひたすら走ることにしました。バランス系と「固定」や「縦の動き」、ハードルドリルを実施してから階段と坂を使った練習を。階段では「両足ジャンプ」「片足ジャンプ」「階段走」「階段走+坂道」「平地+階段走+坂道」という感じでひたすら身体を動かしました。内容としては「合理的」とは言えませんが。
競争形式でひたすら動き続ける。本数もそれぞれ4本ずつくらいはやったでしょうか。1時間半くらい休まずに走り続ける。階段走や坂道を組み合わせると「手を抜く」選手が出てきます。苦しくなるので当然かなと。「本数をこなす」という感じになってきます。先のことを考えて「余力を残す」という選手も出てきます。それは今回の狙いとは大きく違います。「後先を考えずに目の前のことに全力を尽くす」というのが必要ですが、「余力を残す」ことはその質が落ちるので効果は大きく下がります。
「限界値を上げる」というのがテーマです。「できる限りのことをやる」というのでは効果はないと思っています。今の力でそれなりに練習を消化するというのでは勿体ないなと思うのですが、それは伝わりにくい。
午後からもひたすらやる。坂道を使っておんぶ走の往復。手押し車も坂道で40m程度。バック走もやる。休まずにやり続ける。1周150m程度の場所があるのでそこを時計回りで4本、反時計回りで4本。7グループくらいになっていたので他のグループが走る時間がレスト。休みが長くなるので2本目からは2つのグループを一つにしてAグループが半分まで行ったら次のグループが出るという流れ。ひたすら走りました。これも量的にはそれほどではないのかもしれません。わかりませんが。
本気で走ればかなりの負荷だと思います。カーブがきついので走りにくいというのはあります。それでも「与えられた環境の中で最大スピードを出す」というのができるかどうか。全力で走る選手もいれば適度に抜いて走る選手もいます。指導者が全体で何度も何度も声掛けをします。質を上げるためにです。これでも上がらない者も出てくる。我々は無力ですね。
少しだけ休憩をはさんで40mの坂を8本。すべて全力で。前の練習の流れがあったので「40m手前で緩めたものがいる組はやり直し」としました。こういう形の練習は好きではありません。「最後まで走りきる」というのは当たり前の話です。が、それができないので「強制的にやる」ということにしました。かなり言っても「手前で緩める」者が出てくる。躊躇なくやり直しにしました。本当に「やり直し」になると思っていなかったのかもしれません。厳しい部分を持って取り組まなければいけないなと。
相手もなかなかのもの。「手前で緩めない」という部分に対して「最初から8割くらいのスピードで走る」という者が出てきます。追加条件で「全力で走っていない感じがあったら追加」としました。本来的な練習スタイルとは全く違いますが。そこに意味があるのかどうかはわかりません。手を抜かない選手は一切抜かない。抜く選手は・・・。ここはいたちごっこかもしれないですね。
そこからさらに1周300mのクロスカントリーコースを2人1組で走る。下りと上りが1セットです。時間が許す限り走るということにしていました。休憩は2分程度でしょうか。5~6セットはやったのではないか。数えていないので分かりません。途中うちの選手が一人「過呼吸」のような状態になりました。この時点で練習を抜けさせる。矛盾するかもしれませんが。その選手にとってはそこが「限界値」でした。正確にいうともっと早い段階で「限界値」は越えていました。
性格的に一切手を抜かないタイプ。1本1本全力です。150mの周回走の時点ですでに呼吸がかなり乱れていました。意図的に私は声をかけず。止めさせるのは簡単です。しかし、どこかで越えなければいけない。「練習を消化する」ことだけを考えて余力を残すよりも「使い果たすまでやる」というほうが間違いなく意味があります。限界値を超えてさらにやろうとして動けなくなる。そこで本当に終了です。十分だと思います。
「きれいな練習」をするというだけではない。そこは重要かなと思っています。タータンが硬いのでそこで走りこむことは故障を生みます。元も子もない状況になる。それを避ける中でどうやって「限界値を上げる」のか。見ていないところで緩めるのは簡単ですが「やり続ける」ことは本当に難しい。十分だと思います。
16時終了にしていました。シンスプリントなどの痛みがある選手は「下り坂」はできないので40mを走らせることに。「20本」という本数を設定しました。「冗談だろう」と思われたかもしれませんが。これも「限界値を上げる」というテーマです。「できない」と思っていたことに対して「できる」と思う経験が必要。16時時点で15本。残り5本は走り終わった選手たちも参加させて実施。かなり走っています。
本数と負荷としてはかなりだったと思います。「速くなるための練習」とは違うかもしれません。最後の1本だけ全力で走るという者も出ますがそれは仕方ないことなのかなと。うちの選手にとって色々と考えさせられる機会になったと思います。それぞれの選手にとって意味のあるものになったかどうか。ここも重要だと感じています。
指導について。しっかりと考えていきたい。時代の流れと共に色々と変化していくのかとしれません。10年前の合宿とは違う。それを受け止めながら自分のやるべきことを見出して行きたいと思います。
指導の内容があまり思い出せません。これはあまり良い事ではないなと感じています。うーん。
合宿について。3週間で4回の合同練習が実施されたことになります。支部練習会(練習回数2回)、宿泊なしの2日間の合同練習(練習回数4回)、年始に合同合宿1泊2日(練習回数4回)、今回が合同合宿2泊3日(練習回数6回)。自分のチームの練習もですが他校の選手と一緒にやる機会が多くなっています。その中で私自身が色々と感じる部分があります。
今回は「道具を使わない」というのがテーマ。実際は使うのですが人数が多くなってしまうので「台」は利用できないなと思っていました。「効果」を考えると「台」を使うほうが圧倒的に良くなると思っています。感覚づくりですから。しかし、前回の合宿で「台」の数が不足するので待ち時間が多くなりました。これは勿体ない。人数が多くなればなるほどこの部分が大きくなります。「意識して待つ」ことができる選手が集まればそれはそれで効果は高まると思います。しかし、人数が増えれば「そうでもない選手」が多くなる。これは勿体ないなと思っていました。個人的な感覚ですが。
練習の初めに「ポイントを明確にした練習をする」というのを挙げていました。これも分かりにくいかもしれませんが。ハードルドリル一つをとっても「効果のある練習」にするためには「ポイント」があります。股関節をうまく使えれなければこのドリルは一切意味がないといってもいい感じになります。「正確にやる」という部分が必要になる。が、説明をしているのに後ろのほうで話をしている者が・・・。これはどうなのか。「興味関心」がどれだけあるのかというのは大きいと思います。
アップの場面から数人は「やった感じにする」というのが見受けられました。ここは痛い。正確的に「きちんとやっていない者」が目につきます。「やっている者のみ」という気持ちで指導をするようにしていますがどうしても目が行く。本当にやろうとする選手の数が相対的に減ってしまうの薄まってしまうのです。これは良くない。どうするのかという話ですね。
今回は道具を使わずに「縦の動き」と「固定」をすることにしていました。時間的には余裕があるのでそこを徹底したいなと。「縦の動き」に加えて「直線的に足を運ぶ」という部分をやります。時間がかかります。それでも効果はあるなと感じています。最初のバランス系の練習の時点でかなり時間がかかりました。できません。できないのは仕方ないかなと思う部分があります。これも何度か練習中に指摘します。「できない」のであれば「聞く」というのが必要になります。
が、何度か指摘しますが「分からない者同士」が集まってやっています。それでは「正確性」が著しく欠落します。できない者同士が集まれば「ポイント」さえ理解できないままに進むからです。練習に関しては「やること」が大切ではありません。「何をするか」が重要だと思っています。「バランス系」に関しても「どこに意識を置くか」によって全く効果が違ってきます。片脚支持でも「上がっている脚の高さ」や「支持脚」「大臀筋」に意識を置かなければいけません。それができなければ「なんとなくやる」ことになります。
私は「無駄なことをしたくない」というのがあります。正確にいうと「やるからには効果を出したい」というのが根底にあります。「やるだけ」であったり、「理解の浅い練習」に関しては効果がないという考え。だからこそ「練習をする」に当たっては「理解をして欲しい」という言葉をかけます。多分、他の指導者よりもしつこく「練習の内容」「練習の狙い」を説明します。分からずにやっていると「身体を動かすだけ」になってしまいます。だからこそ私の練習スタイルは「理解」と「徹底」が基本になります。
その後、「固定」をしばらくやりました。各関節を固定する感覚を持つ。そこがどれだけ徹底できるか。「力を逃がさない」というテーマを掲げています。この部分に関しては夜議論になりましたが。それでも今考えていることを徹底していきたいと思っています。このコンセプトに共感してもらえる場合は一緒に練習をしても効果は上がると思います。が、「何をやっているのか?」という感じで取り組めば成果は上がらないと思います。ここは難しい部分です。
人数が多くなると道具の出し入れが「限られた人間」だけになります。準備をしなくても誰かがやってくれるからです。マネージャーが準備をしてくれる事も出てきます。私が指示を出した足長を把握する事、又はわかる人間に聞いて動く事ができるかどうか。ここも必要な能力だと思います。ここもかなりストレスを感じていましたが...。
とにかくしつこく「適当にやらない」「話を聞く」「分からないなら質問する」というのを言い続けました。これって「本質的な話」ではない。「最後まで走る」というのと同じ話です。技術的な話をしたいのに「取り組みの姿勢」が中心になる。繰り返しになりますが性格的なものがあります。「きちんとやっている者」にだけ目を向けておけば良いのかもしれません。が、ふざけていたり説明をしている間に話をしている人間がいたらそれは「雰囲気」が著しく悪くなります。それがどうしても許せない。大人気ないのかもしれませんが。
技術的な練習をやる時にはとにかく「意識する」ことが必要です。やればいい練習ではない。「練習をする」ことを良しとしない。今のある練習にしていきたい。ここだけは学校でも合宿でも同じだと考えています。
まとまりません。また書きます。多分。
更新滞っていました。土曜日から2泊3日で合宿がありました。そのため更新するほどの余力がなく。振り返りをその都度できると良いのですが。難しいですね。
あまりにも疲労しているので昨日のblogは本当に簡単なものになっていました。中身としてはほぼなし。が、感じたことを書いているだけ。親しい指導者が気を使ってくださったのか連絡をくれました。たまたまこのタイミングだったのかもしれませんが。申し訳ないなと思います。こういう性格なので「生き方」が下手です。分かっています。すみません。
今回の合宿、2泊3日ということもあり色々と考えることがありました。前回の合宿ではかなりの道具を使いました。今回はあえて「台」を使わずに練習をすることに。以前は「台」を使わないで練習をすることが大半でした。しかし、今の練習形態になってから「より効率よく練習をする」というテーマがあります。そうなると「感覚を作りやすい練習」のほうがいい。そう思って年末の合同練習と年始の合同合宿では「台」を持参して練習を進めていきました。実際に学校に戻ったときに「台」がなければできない練習です。今回はそこを踏まえて自分の中で「帰ってからできる練習」に。
その代わりに「ハードル」をできる限り多く持ってきてもらうことにしました。これは私の練習の中では外せない道具です。各学校でもハードルを使った練習はできると思います。いくつかパターンもありますが「補強」という部分も含めて実施したほうが良いだろうなと感じていました。タータンがアスファルト並みに固いので練習の組み立てとしては非常に難しいなという感じはありました。
そして前回は30人強だったのか70人くらいに人数が増えることに。こうなると「指導」が薄まります。1対30と1対70であれば当然のことながら関わる時間も減ります。これは私の中での大きな課題です。大人数であれば活気は出るかもしれません。それによるメリットもある。が、それ以上に「目的意識」が明確ではなくなります。「何を狙いとして練習をするのか」という部分が分からなくなる。
練習の初めの段階で簡単に話をしました「走るために必要な要素」を身に付けるための合宿として位置付けています。6回練習をする中で4回は「技術的なこと」をする。最終日の2回は「自分の中での限界値を上げる」という意味合いを持たせる。最終日は「走る」という練習がメイン。細かいことを度外視して「ひたすら走る」という練習にしようと思っていました。
練習に関してはずっと考えています。「練習をすればいい」という感覚で参加してほしくないなと思っていました。「6回練習をしたら終わり」という位置づけて参加している選手がどれだけいるのか。顧問が「参加する」というので参加している選手がどれだけいるのか。人数が多くなればなるほどこういう部分で「本来的な狙い」と離れていく危険性があります。
合宿の重要な要素として「技術的な変容」と「取り組みの姿勢の変容」、「集団練習での相乗効果」があると思っています。それぞれの学校で練習をしている。その中で技術的な練習をすることも多いと思います。うちはその部分が大きい。練習の大半は「基本的なこと」においている。うちの合宿参加のメリットとしては「教えることで自分の理解を深める」という部分があります。ここ数年、私がメインで指導することが増えています。うちの選手は他の指導者の指導を受ける機会が著しく少ない。そうであれば今やっていることの「定着」を図るために「他者に伝える」ことが求められる。そこに大きな意味があるかなと。
更には「集団練習での相乗効果」が大きいかなと。普段の学校の練習では「走り込み」という部分はほとんどありません。これはいいことなのか悪いことなのかを判断する必要があります。単独練習では「走り込み」が十分ではない。それを踏まえて「数の力」を利用して「走練習」をしっかりとやる機会になる。その場の雰囲気も大きく影響すると思っていますが。
ある指導者と話をしているときに「技術的な練習」について触れました。「技術的な考え方」の基本が一緒だから話ができるというのもあります。指導者によっては「やることがなくなるから走練習をさせる」というのもあるようです。私にはそういう考え方はありません。合宿であれば「基本的な動き」を徹底する絶好のチャンスです。4回の練習、ほぼ走らなくてもできる自信があります。それくらい「徹底」できるチャンスなのだから。「走れば速くなる」というのも一つの方法論だと思います。本当に必要な技術を身に付ける。そこが忘れられていないか。
年始の合宿に参加していない指導者が他の場所で「縦の動き」と「固定」に関してはやっておいたと言ってくれていました。そうなると次の段階に進みやすい。「スプリントに関する概念」が同じか近い状態でなければ「技術指導」というのは成立しなくなります。年末に一緒に練習をしてくれたチームは合同練習の翌日に「ミーティング」をしたそうです。その時に「週に2回はhoshoでやった練習を取り入れたい」という意見が出たと。ありがたいことです。そういう部分では「やっていることの理解」が浸透すると競技力自体が向上するのではないかなと思っています。
まとまりませんが。とりあえずこんな感じで考えて合宿に参加しました。また別に書くと思います。感じたことはまとめておきたい。今の気持ちを残しておく必要があるかなと。