kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

着実に練習を積む

2021-02-09 | 陸上競技

更新が遅れました。まー誰かに謝る必要性もない話ですが。自分が勝手に書いて自分で処理しているだけなので。記録として、頭を整理するためのものとして。この記録が誰かの役に立つ可能性があると信じながら。

 

土曜日。前日少しだけ話をしたので私は練習の様子を見守ることに。気になる部分はあります。が、それを私がどうにかするという話ではないのかなと。もちろんある程度のことはしますが、最終的には「自分がどうするか」だと思います。それ以上でもそれ以下でもない。話をして伝われば良い。伝わらなければそれで仕方ない。そう考えてます。

 

我々は「万能」ではない。誰かの人生を大きく変えていくことはできません。人にはそれぞれの価値観があってそれに従って生きている。間違った価値観だとしてもそれが将来的にどのように影響するのかは結局は「自己責任」だと思います。そのことに関してできることは限られる。私は私にできる範囲でやる。それ以外はない。

 

練習はバランス系をやってからサーキット。ドリル系をやってからDM投げ。最近はネットに向かって投げることが増えていたのですがこれは「1歩目の移動」しか作れません。進むとネットにぶつかってしまうので。そのあたりのことも考えながら。DMが後ろに飛んでしまうかもしれないがそれでも数歩は進む感覚を作りたい。瞬発的な動きが必要です。実際は1歩だけで終わることはない。投擲とは違ってくるのでこの部分も考えていきたい。どうやって「走り」につなげていくか。パーツパーツができるようになってもそれが実際の走りに結びつかなければ意味がなくなります。

 

そこからスタート腰押しと前半マーク。少し表情が曇っているなと感じる選手もいました。声かけはします。いろいろと思うことはあると思います。前日にも話しましたが。結局、誰かがきちんとやらなければ「本当にやりたい」と思っている者ほどストレスを感じます。そのストレスのことをどれだけ理解できるか。「きちんとやる者が報われる」という雰囲気の中でやりたい。その場限りの「やる気」では意味がなくなります。どうやって取り組むのか。他者をどう感じるか。重要。

 

そこから60mT×3-60m×2を2セット。水曜日と同じです。しっかりと走りたい。ハードル選手も同様に60mH×3-60m×2です。短い距離をしっかりと走ることが重要になるのかなと思っています。うちでは「走り込み」というのはほとんどありません。長い距離を何本も何本も走るというのは皆無。短い距離もそれほど走りません。他がどれくらい走るのかはわかりません。今のうちにとって必要な練習を重ねていく。それだけです。

 

走練習。これも水曜日と同じにしました。150mT-120mT -120m-120m。これがうちにおける一番長い距離。疲れてくると動きが保てなくなる距離です。水曜日の練習を見ていて男子は女子と同じだけの距離を走るのやめました。理由はいくつもあります。最後までスピードが維持できないのであれば「走るだけ」になってしまう。そうなると本当にやりたいことができなくなる。最後の120mを90mに変更。

 

距離が変わってくると「不平不満」が出る可能性があります。「男子だけ距離が短い」と。なぜ自分たちだけ距離が長いのか。こういう「不平不満」が出るときは間違いなく強くなりません。幸い、女子は「強くなりたい」という思いが強くあります。自分たちが走る距離が自分たちの練習です。ここに関しては何も言わずにやってくれます。これは大きい。男子は力を使い切るのか、気持ちが保てないのか正確には分かりませんが最後になるとスピードがかなり落ちます。それでは練習の意味がなくなるので「保てる範囲」でやることにしました。短くしたから「悪い」とも思いません。状況に応じての練習でいいと思っています

 

2セット目は150mT-120mT-120m-90mで。男子は最後を90m-90mに変更。1セット目で練習に参加していたmrtさんが150mT をやってダウンしていました。ある程度の負荷がかかるのは間違いない。女子は1本で力を使い切れない傾向があります。本当は1本走って終わりというのが理想なのでしょうが。それができない状況であればある程度本数を重ねる必要がある。「量」というきはありません。最後に150mT-120m-90m-60mを。男子は最後を90m-90m-60にしました。それでいいかなと。

 

最後に20分間フリー補強を。自分たちで考えて補強をする。普段メニューに入っていないものでも構わないと思います。自分が必要だと思ったことをどれだけやれるか。女子は懸垂逆上がりができるようになったと話していました。ここ最近は鉄棒をやっていません。懸垂逆上がりの練習をしなくてもそれができるようになっている。補強をしっかりと積んできた成果がこういう部分に出てくるのだと思います。

 

筋力的なものは一朝一夕でつくものではありません。時間がかかります。結果が出にくいので「面白くない」と感じるものもいるかもしれません。「筋肉ばかり付けても仕方ない」という考え方もあるのだと思います。そこまで肥大させる必要はないと思いますが「身体を動かすために必要なもの」としてとらえる必要があります。

 

11月から冬季練習を始めて3カ月。少しずつですが成果は表れていると思います。まだまだ力が足りないと思いますが秋口に比べるとずいぶん走れるようになってきている。その中でどうやってもうワンランク上を目指すのか。練習は正直です。きちんと練習を積んでいくことで間違いなく変わってきます。これをどれだけ継続できるか。ここが重要だと思っています。

 

まずまず。そんな感じです。もっと速く走れるようになってもらいたいなとは思います。少しずつ。

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悲壮感はいらない

2021-02-07 | 陸上競技

金曜日。他の人の力を借りながら。私の言葉がきちんと届かないのであれば他の人に話をしてもらうことも必要。迷惑をかけることになるのは分かっているが。それでも「同じことの繰り返し」をどこまで続けていくのか。その場限りの話をどれだけしても意味がない。個別に話すことも必要になる。それでも結局は「何が大切なのか」が分からなければ「繰り返される」ことになる。強い無力感も感じながら。

 

この日は40分授業の5時間。そのあと大掃除。推薦入試のために学校全体を掃除します。その後、生徒は校舎内立ち入り禁止。コロナの関係もあり消毒も必要になります。72時間以上経過するとウイルスが死滅するという話なので土曜日、日曜日、月曜日と3日間校舎内に基本生徒が入れなくなります。「万が一のことがあったら」という判断だと思います。活動はしにくい。難しい話ですね。

 

練習に関してはある程度時間の確保ができるのでそれなりに。本当にどこまでやるのかという感じがあります。怒られるから練習をするというのは違うと思います。誰のためにやるのか。何を目指してやるのか。ここが大きな部分。本当は練習開始時に話をしようと思っていたのですが別の業務があるので自分たちで始めさせました。

 

バランス系、上半身下半身、DM∞、ハードル股関節。走る練習が増えてくるとどうしても補強が減ってしまいます。この両立をしたい。が、バランスが非常に難しい。走練習をしっかりやろうと思えば時間が足りなくなる。ここを見極めていく必要がある。この日は加速段階の練習をメインに据えていたので加速段階T走をやってから加速ドリル。私がグランドに着いたときにはここをやっていました。

 

スタブロからの出。腰が進みません。DM投げをやっているのですがスタンディングからの動きには少しずつ変化が見えてもスタブロからの出はまだまだ変わりません。もちろん簡単にできるとは思っていませんが、もう少しつながりが生まれないといけない。少し時間をかけてDM投げとスタブロからの数歩をやりました。ブロックが押せない。膝の引き出しだけでは進めません。この部分をどのように身につけていくか。難しい。

 

ある程度やってからバトン走。表情が曇っている選手もいます。これではいい練習にはなりません。気持ちを切り替えるということも重要。が、そこが簡単にできない。「練習をしなければいけない」というような表現をしていました。残りの時間を考えたら「やらなければいけない」と感じるようです。これは良くないなと思っていました。

 

シャフト補強を終えて最後に話をしました。「感謝する」という話をする者が何人かいます。が、それは「他者から強制される」ものではない。謝ることに関しても感謝することに関しても喜ぶことに関しても「やりなさい」と言われてやるのでは「本当の意味」は発生しない。

 

何か問題が発生する。この時に誰が一番被害者になるか。「一生懸命にやりたい」と思っている者です。そのことを感じ取れるかどうか。怒られたから、注意をされたから落ち込む。涙を流す。別にそこから何かを生み出すのであればそれでいいですが。雰囲気で涙を流したり、過呼吸になるのは避けるべきだと思っています。そこから何かを生み出すことはないからです。悲壮感が漂う練習は効果はない。

 

前任校の話を少ししました。全員でマイルでインターハイにいくことを最大目標にしていた。その時の練習は今でも想像を絶するレベルでした。必死。でもその中で「自分が強くならなければインターハイにいけない」というのを何度も何度も口にする雰囲気がありました。そのときはその雰囲気に私自身が酔っている感じがあったと思います。実際は「悲壮感」がチーム全体を覆っていた。「前向きに強くなる」というのではなく「自分が強くならないといけない」と義務のようになっていた。これではいい練習にはなりません。

 

前の記事にも書きましたが、「やりたくないならやらなければいい」のです。「強くならなければいけない」という義務感でやるのではない。「強くなりたい」と思って取り組めるか。そこの部分は大きいかなと思っています。同じ練習をするのでも「嫌だけど走らなければいけない」と思うのか「これをやったら強くなれる」と思ってやるのか。

 

雨が降ったら練習が休みになる。これで喜ぶ部活動もあります。私からすれば「練習ができなくなった」と残念がるくらいの「想い」が必要だと思っています。「練習がしたい」と思っているのか。「嫌だけどやっている」のかの違い。やりたくないのならやっても意味がない。「やりたくないな」と思ってグランドに立っている者がいれば「本気でやりたい」と思っている選手の足を引っ張ることになる。自分たちの行動をしっかりとみなおしてみること。ここが重要だと思っています。

 

「やらなければいけない」という考え方を捨ててもらいたい。速く走れると「楽しい」から走るのです。原点はそこにある。もちろん、速くなるためには避けて通れない部分もあります。面白おかしい「楽しい」ではなく、日々変わっていく自分自身を「楽しい」と思えるかどうかです。

 

悲壮感はいらない。泣きながら練習するくらいならやらないほうがいい。もっと前向きに物事と向き合いたい。そう思います。

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誰のためにやるのか

2021-02-07 | 陸上競技

木曜日。この日は一切練習に関わらず。本当に「意味があるのか」を考えていました。自分自身の中で消化しきれない部分があります。感情的になる気はありません。前時代的な指導をするつもりもない。

 

人にはそれぞれ「言い分」がある。それは「自分の立場から見た正しさ」でしかないことがある。都合の良いように考えるとすべては「正しい」ことになる。が、それが客観的に見れるかどうかは重要。

 

私は「感謝」されるために部活動をやるつもりはない。恩着せがましくやることに意味はない。が、「やってもらって当たり前」という感覚は全く持って違うと思う。こういう感覚の中で生活をすると「やってもらえない」ことに対しての不満が出る。「自分自身がどうするか」という感覚の中で生活ができるか。

 

良くある話。何かを指摘すると「~君もやっていない」という返答。自分自身の問題と向き合わずに「他の原因を挙げる」ことになる。反省したり改善するのは自分自身だが「問題点」に目を向けず「正当化」することがある。これではほとんど成長はない。結局、自分の非を認めて次に何をするべきかを考えないから。

 

最近特に思う。「やりたくないならやらなければいい」ということ。部活動やスポーツは他の誰かから強制されてやるものではない。やりたくなければやらなければいいだけの話。集団に所属するのであれば「一定のルール」が存在する。そこを度外視して「権利」だけを主張するのは違う。それぞれの集団において約束事があると思う。その「約束事」を守れないのであればななかなか集団活動はできない。

 

「個性を尊重する」という話。集団の中で「個性」を大事にする。当然必要なこと。が、その「個性」を尊重することによって他の「個性」が発揮できなくなることがある。「きちんとやりたい」という想いを持っている人間がいる。が、「適当にやりたい」と思う人間もいる。その「適当にやりたい」という意見を尊重することによって「きちんとやりたい」という個性は埋もれてしまう。何を優先するのかは大切なことだと思う。

 

教育として。「きちんとやっている人間を正当に評価する」必要がある。ここに対しては考え方は変わらない。これに対して否定的な意見もあるだろう。それぞれの立場からそれぞれのことを言う。これも当たり前なのかもしれない。

 

強くなる選手と強くなれない選手。大きな差がある。ここをどう感じ取るか。一生懸命にやったら確実に強くなるというわけではない。努力の方向が違えば結果にはつながらない。「考え方」というのは様々な場面ででてくる。グランドの上だけきちんとやればいいというものではない。時間を守ることであったり、指導を受けて不貞腐れたりしないというのは必要条件だと思う。それができなければ結局、学ぶものはない。

 

思うことはある。全ては書かない。が、本当の意味で「活動する」とか「成長する」というのはどういうことなのか。支えあう中でしかできないことがある。「自分のことだけを考える」ような生活をしていたら世の中はどうなってしまうのか。考えさせられる。

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何を目指すのか

2021-02-07 | 陸上競技

思うことを。

 

こうやってblogを書いている。ここに関しては様々な考え方があると思う。まーそれはそれでいいんだと思う。別に何かを強制されるわけでもない。ノイジーマイノリティ。サイレントマジョリティ。それぞれが存在する。「自粛警察」のように「自分が正義」だと信じ切っている場合、周りが何を言っても意味がなくなる。元々聞く気がないのだから。「正しい」と盲信しているのだからそこに届くことは少ない。仕方ない。

 

色々な場面で「部活動」に対しての批判がある。こうなれば社会体育として存在するほうがいいだろうと思う。批判の中には「教員が授業だけに集中できるように」という意見もある。うがった捉え方をすれば「勉強さえ教えておけばそれでいい」という感じになるのだろうか。

 

そうなると「塾」と大差ない。別に勉強さえすればそれでいいじゃないか。自分がやりたいようにやればそれでいいじゃないか。それも一理あるのだと思う。別にそれはそれでいいと思うが。部活動自体が「悪」だという表現も見る。本当にそうなのか。分からない。

 

私自身は別に「部活動」にとらわれる必要はないと思っている。「部活に入っていると進路に有利」というのも以前はあったのかもしれないが、実際はどうなんだろうか。結局は「何を学んだか」ではないか。

 

「勉強」をしっかりやる。暗記型の授業展開からの脱却は必要になると思う。今の時代、本当に調べたかったらスマホで調べたほうが圧倒的に早い。モノを覚えるということに対してのハードルは著しく低くなっていると思う。コミュニケーション能力云々という話も出るがそれは「座学」だけでは身に付かない。「思考判断」という要素を数値で測るのは難しいのではないか。「文章を読み解く」ことと「実践的に活動できる」ことは全く別物だと思う。

 

商業の授業で「電子商取引」という科目がある。これを導入しようとしたときにはまだインフラ整備も不十分だった。それが「最先端」という感じで導入を考えたのかもしれない。が、実際教科書ができて授業をするという段階になると「遅れている」という感じになる。こういう部分は日進月歩。文字にして示している間にそれは「遅れ」になる。そこを考えると本当に何を教えるのか、伝えるのかは考えるべきだと思う。

 

「教科教育」みたいなことがあれこれ言われる。その教科を使って何を考えるか。そちらのほうが大切だと思う。コロナの影響で「学校行事」が極端に減っている。それでも時間は過ぎていく。問題はないのかもしれない。が、「実際に活動する」ことでしか分からないこともある。リーダーとなって計画を立てていくことや周囲とコミュニケーションを取りながら物事を組み立てていく。先を見越した行動や他者への配慮。こういう部分は「座学」だけでは身に付かない。

 

あらかじめこちらが準備をしておいてそれに乗っかるだけで「学校行事」をするのは好きではない。「生徒がやっている」という感じに見えるが台本と流れをこちら側が準備しているので生徒は考えて何かをすることが極端に減る。それなら失敗してもいいかきちんとやってみるほうがいい。去年よりも今年、今年よりも来年のほうが良くなる。それが理想だが実際は生徒は入れ替わるのでそう上手くはいかない。それを経験することも「勉強」なのだと思う。

 

部活動批判は出る。それはそれで仕方ないと思う。が、「競技だけ」を求めるつもりはない。それ以外にもっともっと大切なことがある。それが分かるようになるかどうか。与えられることは「当たり前」ではない。全てが自分の思い通りになることもない。「努力」をすれば必ず結果が出るという理想論は世の中にあるが、実際は違う。その部分も経験する必要がある。

 

教科の勉強をする。これも学校の持つ意義の1つだと思う。しかし、それだけがメインになることが本当に正しいのか。そこで一番力を発揮する人もいるだろう。が、その人も塾の先生のように「受験対策」に特化しているかどうか。それぞれに「求められること」と「必要なこと」がある。「PCを使っての最新の授業」は持てはやされる。もちろん、時代に応じて必要になるだろう。が、それが「主」ではない部分もある。実際に手を動かしたり苦労しながらやっていかないとできないこともある。

 

世の中は「バランス」だと思う。人はどちらか一方に振れやすい。片方が正しくて片方が間違っているという考えかたになりやすい。実際は「どちらも利点がある」と思う。それを度外視し続けていたら結局、どちらかが疎かになる。「善」と「悪」はそれぞれの「見方」次第。ある人にとっては「正しい」ことがある人にとっては「間違っている」ととらえられる。だから振れ幅が大きくなる。

 

部活動。本当に不要なのか。ここは考えていきたい。人それぞれ考え方はある。良い面も悪い面もある。それだけは忘れたくない。

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ハードルインターバルについて考える

2021-02-05 | 陸上競技

思うことを。

 

自分自身、いろいろと考えることがある。今の現状に対して。このままでいいのか。何かが変わらなければいけないのではないか。そう思いながら生活している。モヤモヤが頭の中にずっとある感じ。だからとって現状を打破するために何をすればいいのか見えてはこない。

 

ハードルのインターバルをどうするか。別に24時間競技のことを考えているわけではない。ふと考えただけ。実際に選手が11.5mで5歩で走っている。これがどうなのか。150mHの時には11.5mで実施すると届かなくなるので11mに戻した。それでも9台目や10台目は厳しい。

 

こんな時に人はどう考えるのだろうか。「距離を決めた」のでその距離で押し通す人もいるだろう。押し通すというか「他の人がやっているからこの距離」という感覚でやる人もいるのかなと思う。これを10mで実施する人もいるだろう。何故10mなのかは分からない。そこに「意図」があるのかどうか。ここは重要。

 

冬に入ってかなりハードルを跳ぶようになった。シーズン中はほとんどやっていない。選手から「跳びたい」という申し出は何度かあったが「分かった」と返事をして「今日は走ろう」という回答をする。技術的な練習をしたくなる。誰もそうだと思う。しかし、その前段階でやるべきことがある。ハードリングが上手くても走れなければ勝負にならない。ここが「競技」なのか「楽しさ」なのかかもしれない。「ハードルを跳ぶのが好き」という選手にとっては「速く走ることよりもハードルのレースに出ることが好き」という部分のほうが大きいのかもしれない。一応確認をすると「速くなりたい」ということなので説明をして跳ばなかった。

 

秋には土の上で8mで3歩が届かなかったので7.5mくらいで実施していた。シーズン後半には何とか8台目くらいまではレースで3歩で走れるようになった。8mで3歩で届くようになっている感じはあった。が、冬季練習で3歩で走る意味はそれほど大きくないかなと思っているのでひたすら5歩で走っている。3歩で8mなので5歩だと11mくらいかなという感じで11m設定。この距離でしっかりと走れれば「8.5mを3歩」というのは苦にはならないと思う。余裕が出てきたので11.5mに伸ばした。

 

前の記事にも書いたのだが、60mの距離であればこれでも届く。しかし、150mになると届かなくなる。スピードレベルが落ちてくるからという当たり前の理由。ハードルを低くしているので「遠くから遠く」というのができれば可能なのかもしれないが厳しいので11mに戻した。

 

このことについて「どうかな」と思うところがあったので親しい指導者に連絡を取ってみた。私が以前渡した資料に「5歩11m05」と書いているようだった(笑)。これはヨンパの走りをする中で設定した距離。歩数によってストライドが違ってくるのでハードルインターバルを17歩で走るのであればその時のストライドは「1.8m」になる。そこから計算していくことで「12m25」くらいが適切なストライドになる。もちろん、土の上なのでずいぶん変わってくるとは思うが。19歩で走る選手であればストライドは「1.6m」となるので5歩ハードルは「11.05m」くらいになる。タータンの上での感覚なのでうちのグランドで走るときにはもっと詰める方がいいと思う。

 

17歩で「1.8m」、19歩で「1.6m」とたった20cmの差でしかない。しかし、これを5歩にすると「1m」になる。だから適切な5歩ハードルのインターバルも1m近く変わってくる。スピードが上がれば踏切位置も遠くなるのでそれも含めて「計算上の値」はある程度変わってくる。単純に「5歩ハードル」といってもヨンパのための「5歩ハードル」は細かい部分がちがう。

 

ある選手にとって適切なハードルインターバルであっても別の選手には適切ではない。長すぎたり狭すぎたりする。これは100mHでは起きない現象になる。基本8.5mを3歩という制約があるので距離設定を変更する必要性はない。ヨンパはそれぞれによって歩数が違う。歩数が違えば適切なハードルインターバルも違う。ここは重要なのではないかと思っている。

 

正直、この手の話に興味をもって対応してくれる人は皆無に近い。だから「興味関心」がある親しい指導者にしか相談しない。「そんなことどうでもいい」と思う人が大半だから。

 

知らない人は棒高跳びのポールの長さや硬さが違っているというはどうでもいい。棒を使って跳んでいるというだけしか分からないから。自分の力にあったポールを使わなければ競技にならないというのは「素人」にはわからない。しかし、突き詰めていくと「この高さを跳ぶには」という話になる。「ポールが立たない」から「もっと柔らかいものにする」とかいっても大半の人はわからない。だからこんな話はしない。多分、ポールの指導者が集まったらこのあたりの話が「日常会話」なのだと思う。マニアックな人にしか分からない世界がある。


話を戻す。ハードルインターバルをどれくらいに設定するか。基本自分で考えているそれぞれの距離がある。が、目の前で見ていて「無理だな」と思うときには即座に縮める。意味がないから。単純に走れば良いというわけではなく「何故その練習をするのか」が重要になる。「刻む意識で走る」という指導がある。が、それは「ある一定以上の競技力がある」というのが前提。大半の選手は刻むどころか「届かない」のだから。トップ選手の感覚は普通の選手には当てはまらない。インターバルを詰めて速く動くことだけができてもそれはレースに直結しない。


普通に走れる距離を設定しておいて少しずつ伸ばす。そこは大きいかなと。指導するときに話をするが「まずはインターバルを走る」ことが大切。バウンディングのようになって大きくなりすぎると間違いなく遅くなる。行けるところまで3歩で行ってそこから切り替えるというのも一つの戦略かもしれないがそれなら4歩で走った方が速いかもしれない。教科書的な指導というのがどのようなものか分からないが、選手にはあった動きをさせるというのは必要だと考えている。


そういえばかなり前に陸上の専門誌にkrk君のが私の名前を挙げてくれていた。kd先生がありとあらゆる部分で指導されたからこそ彼は大きく羽ばたいた。kd先生と出会っていなければどんなことになっていないたのか(笑)。その中で少しでも役に立てたのであれば良かったなと思う。なかなかスーパーな選手に関わることはできないので貴重な経験だった。が、彼と同じことを他の選手に求めるのは無意味だと思う。色々なことが違う。krk君ができていたから他の選手もこれができたら速くなるなんてことはない。もっと基本的な部分。そこを詰めていく必要がある。


なんとなくそんなことが頭の中に浮かんできた。興味のない人には一切面白くない話。競技指導に関して色々とやりとりできる指導者とはこの辺りで話ができるから楽しい。ハードルに関してあれこれ考える。別にずっと考えているわけではない。ふと考えただけ。


考えていきたい。それだけ。

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復調の兆し

2021-02-04 | 陸上競技
水曜日。この日は走練習を中心にしようと考えていました。朝は長距離マネージャーと一緒にグランド整備。150mを走るためにグランドがデコボコになっているところを最大限整備しておきたいなと。土を入れるだけなので硬くならない。それでも段差があると捻挫の危険性もある。最大限のことだけはしておきたいなと。練習環境を整える。7時過ぎから1時間程度やったでしょうか。

午後は走練習。ここはどうしてもやっておきたいなと。先週は水曜日に突然雨が降ってきて長めの距離を走れませんでした。土曜日は走ろうと思っていたのですがグランドが凍結していてそこから溶けていって全く走れない状態。きちんとやりたい練習ができていませんでした。代わりになる練習はやっていますがあくまで「代わり」でしかない。やっておきたいなと思う練習がきちんと消化できない。何とか対応したいなと考えていました。

バランス系をやってから上半身下半身。この間に私はマネージャーと2人で150mを作っておきました。練習を効率良く進めていくために。普段の練習の場所はポイントを打って距離を測るのを簡単にしています。うちにはトラックがありません。そのため毎回距離測定をしなければいけない。最近はその中にハードルも入れているので準備に手間取ります。とにかく予定通りに終わらせる。そのためにメニュー調整をしています。前の記事にも書きましたが「時間内に終わる」という部分がかなり曖昧になってきています。終わらせるためにメニューを減らさないといけないというのも本末転倒な感じがあります。考えさせられます。

この日は上半身下半身が終わったからすぐにハードルドリル。これまではここにハードル股関節なども入れていましたが走る時間の確保のために外しました。本当はやりたい。が、もっとやりたいメニューのためにどうやって時間を作るか。こちらも考えさせられます。

そこからDM投げをやって腰押し。二次加速スティックは省略。前半マークをやりました。ちょっとここの記憶が曖昧になっています。どちらかをやってどちらかはやっていない。そんな感じで減らしています。多分前半マークだったはず。このときに「一次加速から二次加速の所の走り方が分からない」と聞いてくる選手がいました。与えられたメニューを消化するだけではなく「どうしたら走れるか」を考える。この辺りを徹底するためにこの冬は練習を繰り返しています。単純に走るだけではあまり効果はないのかもしれません。こういう部分にきちんと応えたいと思います。それが存在意義なのかなと。

かなり省略してからショートスプリントへ。前回は40×2-50×2-60×2を2セット。これを60mT×3-60m×2へ変更。本数的には減っています。歩いてスタート地点に戻りますがこれは前回も同じ。距離の長さも影響するかもしれませんが最大でも必要時間は前回のメニューと同じかなと考えていました。

この中で走りを見ていると1月初めに動きが崩れて走れなくなっていた選手の動きがひさびさに良いなと。よく質問してきます。それが少しずつ形になっていく。ひたむきに競技と向き合っていく中で何とか動けるようになってきたのかなと。冬季練習を本格的に初めて3ヶ月が経過したというのもあると思います。少しずつですが身体が変わってきたのだと思います。これまでフォロースイングが遅れていたのが、スムーズに前に進むようになってきました。遅れている時は足音がドスドスしていますがそれが減っている。もう少し見ながら改善できたらなと思います。

この間にハードル選手は60mH。この冬は比較的跳んでいます。この時のメインはハードルインターバルを走ること。そこだけに重きを置いています。選手は細かい部分を気にします。が、私は関係ないと話しています。まずは走れること。走りとハードリングを擦り合わせていくだけです。ハードルを跳んでいたらある程度上手くなります。土の上で走るのでロスもあります。関係なく走る。走練習とハードルを組み合わせていく中でスプリントは間違いなく上がります。

T走が終わったのは先週と同じくらいだったでしょうか。かなり種目を減らしています。それでもこの時点で同じになるというのはどういうことなのか。考えなければいけないと思います。いつもより早く回したという感覚はあるとあると思いますが本当に無駄な時間はなかったか。スタート地点に戻ってから再スタートするまでに微妙に時間がかかります。この積み重ねは大きなロスにならないか。与えられた時間をもっと有効に使わなければいけない。もったいないなと感じます。

そこから予定通り走練習。150mT-120mT-120m-120m。ここでもこれまでは最後の方で動きが崩れて無理やり進もうとしていた感じがありました。それがこの日はある程度我慢ができるようになってきている。バタバタ感が減っています。スピード維持も含めてかなり良くなっているなと感じました。これがこの日だけの話なのかこれこら先も続くのか。休憩時間は腹筋と背筋。

2セット目は150mT-120mT-120m-90m。これもスピード維持ができるようになってきました。何が理由で走れるようになっていたのか。ここは私自身が考えなければいけないのかもしれません。遅れていたフォロースイングがきちんと切り替えられるようになってきたというのはあるかもしれません。純粋に速く走ることを考えながらやっていくことで変化に繋がったのか。根性論で物事を語るつもりはありません。それでも積み重ねてきたことが少しずつ実を結ぶ姿をみると嬉しく思います。

1週間走らずにスピンバイクを漕ぎ続けていた選手も本当にひさしぶりに150m。本人は200mをメインにしたいと話していますからこれくらいの距離はきちんと走り切らないといけない。久々の走練習でしたが維持できていたかなと。どのように物事に取り組むか。ここで結果は大きく変わってくるなと改めて感じました。しんどいところで我慢して取り組めるかどうか。逃げずに向き合えるか。こういう選手は少しずつですが力が付くなと。また、なかなか思うように走れなかった選手も何とか走れるようになってきました。まだまだ足りない部分はありますがきちんと練習を積んで来たことで明らかに我慢ができるようになってきている。こうやって成長していく。様々な場面で見られると思います。貴重な経験です。

3セット目は150mT-120m-90m-60m。良い走りができるようになってきました。

ハードル選手は150m Hでもハードルインターバルを伸ばしていました。が、届きません。元に戻しました。本当はここで逆脚練習を入れると良いのでしょうが。慌てずにやっていこうかなと。今の段階で逆脚を使うと一気にスピードが鈍ります。もう少し別の形で逆脚練習をしたい。その方が効果的かなと。krk君のようにスムーズに逆脚ができる選手であればランダムに置いても対応できると思います。が、うちの選手ではまだ無理。工夫しながらやっていきます。最後のスプリントはかなり良くなっていました。期待。

練習はきちんとできました。良かったのではないかなと。

色々あります。考えさせられます。復調の兆しがあった。ここが本当に嬉しい。まだまだまだやらなければいけないことがあります。少しずつ少しずつ。
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アクアリウム生活

2021-02-04 | 陸上競技
魚たちのことを。

昨年、ある期間に思い立って魚を飼うことにしました。これは色々な人の気持ちが落ち着く部分がある。前もめちゃくちゃ嫌なことがあったのを機に教室で魚を飼い始めました。生徒が興味関心を持って見続ける。これだけで癒しになります。

これも更新していなかったのですが、単体で飼育していたベタが⭐︎になりました。多くの人が通過する時にかにかけてくれていたので大きなショックを受けました。傷心。

そのまま水槽を放置しておくのもどうかなというのもあってそこからしばらくして熱帯魚を飼うことにしました。こちらはかなり強い生体なので安心して見守れます。単独飼育ではなくなるのでなんとなく気持ちも楽になります。もちろんお世話はしますが。




それほど大きな水槽ではないので小型の熱帯魚を入れました。一般的なネオンテトラ。熱帯魚といえばグッピーかネオンテトラというイメージがあります。混泳できる種類を選びました。ある程度群れて泳ぐのでその辺りも踏まえて。


さらにプラティという種類の魚も。ミッキーマウスプラティです。尻尾のところにミッキーマウスのような形があるので可愛らしい。色がいくつかあるので白と赤を入れています。見栄えが良い。

壁面や底面の掃除のために別の魚も。



これはアルジイーターという種類。ショップで愛嬌のある顔付きだったので惹かれました。後になって調べてみると大きくなるとあまり苔を食べなくなるようです。そして気性も荒くなる。うーん。これを2匹購入したのですが水槽の中に入れてみるとどうも種類が違う気がしてきました。




色合いが違うだけなのかもしれませんが。この子が底面にいるともう1匹に追いかけ回されます。可哀想。縄張り意識があるのか。自然界としてこういう力関係が存在するのか。分かりませんが見守っています。

今のところこのくらいでやっていこうかなと。あまり種類を増やすとごちゃごちゃして訳が分からなくなるので。前任校で飼っていたときにはペットショップで気に入ったものをあれこれ購入していました。こうなると見にくい。

シンプルにいけたらいいなと考えています。ぼちぼち飼育していきます。


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バトン走をする

2021-02-04 | 陸上競技

火曜日。この日は前日の雨によりグランド状態が微妙でした。私は朝からグランド整備。大きな水たまりができている部分がるのでそこの水の排水。グランドがくぼんでいるのでその部分はまた別の機会に砂で埋めようと考えていました。普段走るスペースにも水たまりができていたので排水して土を入れました。雨で流れてしまう部分もあるのですが少しずつ対策をしておかないといつまでたってもグランドがよくなりません。

 

朝練はドリル。何度か書いていますがこれは「自分が必要だと思うことをやる」という時間にしています。考えてできるか。周りに合わせてやるか。ここも大きな「差」になります。どうしても話をしてしまう者も出てきます。こうなると「時間は有効に使えていない」ということになります。わざわざ朝から体を動かす。午後の練習ではドリルに時間を割けないのでここでやっています。一律の練習にしてもよいのですがそれでは「自由度」が低くなります。自由度を高めるためには「自分が必要だと思うことをやる」という時間が必要になります。が、この前提に「必要だと思う」という部分があります。この部分がなければ「参加している」というだけになります。「自由度を高める」というのはこういう弊害がある。

 

これを「弊害」としてとらえるか。一律の一方的な練習になるとスムーズになるかもしれません。しかし、「考えない」選手にとってはこちらのほうが楽ですが、「やりたいこと」がある選手にとってはこれはマイナスになります。全員が全く同じ内容をやるという部分には限界があります。それぞれのhしりの特徴も違えば必要なことも違う。組織的にやることで「没個性」になってしまう。画一的、強制的にやらせることで「強化」はできるかもしれませんが、それ以上のことはありません。10年後に何も残らないかもしれない。もちろん、「考えずになんとなくやる」という部分であればこれも10年後には何も残らない。教育活動として何をするのか。考えさせられます。

 

午後は1時間程度会議。それが終わってからグランドへ。少し思うこともあってほとんど声をかけずに最初は見ていました。いつもいつも私が細かい指示を出して何かをするというのがいいとは思いません。決められたメニューが提示されているのであればある程度は意識するポイントは明確になっています。この冬はそれもあってある程度の「流れ」を示しています。細かい部分は若干変わりますがそれでも「流れ」はあります。慣れてくると「やるだけ」になってしまう。ここも考え物ですが。

 

バランス系をやってからサーキット。ドリルは最小限にしてDM投げと腰押し。前回実施した時に最後までメニューの消化ができませんでした。本来は「無駄な時間を削って間に合わせる」ことが必要です。そうでないと「作業率」が下がるからです。作業効率を保つというのは「内容」が減ってしまったら意味がなくなります。ある一定量を決められた時間内に終わらせることが重要。時間を延ばしたり、量を減らすことでは「作業率」の確保にはならないのです。それでも中途半端に練習が終わってしまうことがあるのでこちらも「やりたいこと」を残しながら対応しなければいけません。

 

いつも通りの流れにトーイングを入れてからバトン走。今はしゅう2~3回はバトン走を入れています。人数が少なくなるとこれが成立しなくなるのですが・・・。最大スピードの中でバトンを渡す。これの繰り返しです。「渡すこと」も重要ですがそれよりも重要なのは「速い選手に合わせる」ということです。競馬のことはよくわかりませんが「併せ馬」というのがあります。単独で走るのではなく他の馬と走ることで速く走れるようになろうというもの。競争というのではなく「バトン走」という形で実施しています。バトンを渡すためにはスピードを保たなければいけない。これが落ちてしまうと目標とする場所でのバトンパスができません。場所を決めてそこまでスピードを出します。走力差もあるので差を決めながら。

 

これを10バトン、25並走、60バトンという形でやっていきます。今は2本ずつです。トータルで4本ずつ走ることになります。課題とする部分に関しては話をしています。が、どうしてもバトンが渡らないとスピードを緩める者が出る。さらには手を上げた時にスピードが落ちてしまう者も。いろいろな局面でのバトン練習になります。同じ課題を何度も指摘しなければいけない選手も出てきます。「課題意識」をもって取り組めるかどうか。指摘されたことをきちんと理解しているかどうか。多くの条件が入ってきます。

 

60mバトンは最大スピードの維持がメイン。離れてしまうと絶対にわたりません。速い選手と一緒に走ることで自分のスピード感覚が変わってくると考えています。60mを普通に走って競争するよりもこちらのほうが効果的に最大スピードの維持ができると思っています。渡らないこともあります。その時は次にどうするかを考える。「バトンを渡す」というのは「手段」の一つであって「最大目標」ではない。渡すことがメインになってしまうと距離が詰まった時にスピードを緩めることになります。前に追いついてしまったら抜き去ればいい。その時のスピード感覚が重要だと思っています。「待つ」必要はない。

 

シャフト補強をしてからホッピングとスピードバウンディングで終了。時間的にシャフト補強で終わってしまうかもしれないと考えていたので「できればホッピングとスピードバウンディング」という書き方をしていました。「量」が減ったこともあり何とか時間通りに実施できました。この部分をもう少し増やしていければいいのですが。こちらも適切な判断をしながらやっていけたらとは思っています。

 

記録しておきます。記録。

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しつこく挑戦する

2021-02-03 | 陸上競技
エビ生活。

かなり順調にいっていたのですが何故か分からず12月に一気に水槽の中が崩れました。様子を見ながら対応していたので特別手を加えたということはありません。理由が分からない。レッドビーは全滅しました。抱卵個体も。チェリーシュリンプも稚エビが孵化してこれからという時にポツポツ☆になる。かなり気持ちが折れました。

残ったのはチェリーシュリンプが1匹。個体差があるのかもしれません。同じ環境下でも生存できる個体がいる。分かりません。そのため2月になるまで水槽を放置。生体は生き延びたチェリーシュリンプだけ。水の循環だけはしていました。微生物が発生している感じだけはありました。それと同時に緑の藻が発生。エビがツマツマすることもないので過剰に発生している。特別なことをやるのは避けようと思っていたので放置。




この状態で2月になったので新しい生体を購入。これで本当に上手くいくのか分かりませんが。ネットで30匹を購入。4匹おまけでついています。トータルで34匹。周りからは「またか?!」と言われますが。何とかしてこの水槽でレッドビーを育てたい。その気持ちはこの1ヶ月維持し続けてきました。

発泡スチロールに入ってきました。これを別の小さな水槽に移す。ここから点滴法で水合わせをしていきます。温度合わせもしたほうがいいのかもしれませんが、長い時間かけて水合わせをしていくので温度を合わせる意味はほぼないなと判断。




まず最初は送られてきた飼育水に一粒ずつ水を入れていきます。一気に水質が変わるとそれだけでショックを受けます。弱い個体なのでできるだけ刺激を与えない。




今ある水槽から一滴ずつ。かなりの時間をかけます。エビが気付かないレベルでの水合わせ。熱帯魚ではここまで細かくやりません。メダカもほとんどやらないのでは?それでも☆にならないくらい強いの。品種改良を重ねて今の色合いになったレッドビーシュリンプは本当に弱い。自然界には存在しない形にしてなっているので仕方ないのかもしれません。メダカもかなり品種改良が進んでいます。この辺りはどうなんだろうか疑問はありますが。

2時間以上一粒ずつ。1秒に1粒くらいのスピードです。本当にゆっくり。それが終わってから水槽内の水を少し捨ててまた水合わせ。10のうち2〜3が親水槽の水になったくらいでしょうか。そこから少し水を落とすスピードを上げる。1秒間に2粒くらいか。これで子水槽の水が倍になるくらいまで入れていきます。これが2時間強くらいでしょうか。

今度はまた水を捨てて水を3分の1くらいにしてから同じように親水槽の水を入れていく。2時間くらいでかなりの量になります。これである程度は水に対応できる状況になったのではないかなと。時間はかかりますがとにかくここは重要。

前回の水槽でエビが壊滅した理由はここではないと思っています。水槽の中で抱卵するまで生存していたからです。他の理由が何かあるのだと思いますがここは未だに不明。もっと観察していく必要があるのだと思います。奥が深すぎる。

そこから今度はエビを親水槽へ引っ越し。水ごとではなく生体だけを網で掬って移動。数も多いのでかなり時間がかかりました。比較的安価で購入した個体なので小さな個体もいます。仕方ない話です。近くのペットショップで購入するよりも3分の1くらいの値段になります。今はある程度数を増やしてその中で飼育について学びたいなと思っています。




ひたすら移動させた状態。まだ壁面は何もせずの状態で。緑の藻は汚れではないので見た目だけの問題です。元気になるとこの藻をツマツマして食べていきます。




上から撮影するとこんな感じ。比較的綺麗に見えます。

水槽は前面だけブラシで掃除。掃除しなくても良かったのですが生体が全く確認できないので。この辺りは私のエゴなのかもしれませんが。単純に抱卵個体からハッチアウトして稚エビが育てばいいというわけではないので。育っていく姿を見て確認したい。多くの人が興味関心を持ってくれているので見てもらいたいというのもあります。

アクアリウム。これは人の気持ちを落ち着かせる部分があります。見て癒される。多くの人が通りがかった時に見てくれる。それによって会話も増える。重要な要素です。

しつこいですがまたエビ生活を再開します。今度こそという気持ちが強くあります。何とかしたい。もちろんきちんと育てる気があります。お世話は引き続きやっていきます。

また近いうちに別水槽のことも書きます。こちらの水槽にも色々なことがありました。





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取捨選択

2021-02-02 | 陸上競技

思うことを。

 

色々な場面で選択を迫られる。これは誰にでもある。機会費用。何かを得れば何かを失う。複数の選択肢のうち1つを選ぶことで「利益」を得ることができるが、他の選択肢を選んだ時に得ることができた「利益」は失うことになる。当然の話。世の中では「全てを得る」ということはできない。得ることができなかった「利益」に関して「後悔する」というのは数えきれないくらいある。選択するというのは常にリスクを伴う。「良い所だけ得る」というのは不可能に近い。

 

「選択」と「集中」。これも重要になる。自分自身の「強み」になる部分を見極めて「選択」し、そこに自分の持っている「力」を注ぐ。分散している「力」を「集中」させることによって自分の良さを最大限に発揮して競争に勝ち上ろうというもの。こんなことをわざわざ書く必要がないくらい「当たり前」の考え方になる。「器用貧乏」という言葉がある。色々なことができる。だから色々なことに手を出すが結局は中途半端に終わってしまう。そうであれば「不器用」であっても一つのことをやり抜く姿勢がある方が上手くいくのではないか。そんな気さえしてくる。

 

世の中には様々な情報がある。色々なタイプの人がいる。その全てに対して「同じ力」を使うことはやはり適切ではない。「情報」に関しては「最新のもの」が良いとされる傾向がある。「新しいこと」を知っていることがステイタスになる。そう考えている人もいる。実際、「最新の練習」みたいなものは持てはやされる。それが実際に「効果があるのかどうか」が実証される前に「強い選手がやっていて速くなった」というような「不確実な情報」が一人歩きする。


様々なところにおいて「取捨選択」が必要になる。ここに関しては世の中においては当然のこととして扱われる。こうやって文字に書いていたら批判されるのかもしれないが。世の中は平等ではない。ある情報を得てそれを遂行する者は別の情報を得て行動した者が同じ結果を得ることはない。綺麗事ではない。怪我をして走練習ができない者が走る練習をした者と100%得られることはない。だからこそ別の形で「プラス」になるようにすれば良い。走練習をしている者とは違う部分の練習がきちんと積めればそれは「機会費用」としては適切ではないかと考える。「走れないからやらない」というのは最悪の選択だと思う。


自分の中で「選択」と「集中」を大切にしていかなければいけないなと考えている。何もかもやろうとするのは難しい。キャパの問題もあるので全てをやろうとしてしまうとロスするものが増える気がする。我々は聖人君子ではない。100%正しいといえることはない。世の中に何一つ間違っていないという人は皆無になる。それぞれがそれぞれの基準に従って行動する。全てをパーフェクトに出来る人は存在しない。だからこそ「考え方の方向性」を持ってやっていかなければいけない。


限られたエネルギーと資源をどのように使うか。そこを考える必要が何をするにもあると思う。全てをやり尽くそうというのは不可能。理想論と現実を混同してはいけない。最新の理論といわれるものに傾倒することで本質的なものを失ってしまう。新しいモノがいいかどうかは分からない。誰かが何かを提言したらそれにすぐに飛びつくというのも違う。その辺りのことも自分で取捨選択できるようにならなければいけない。


投資詐欺などで年利率20%や15%などの「おいしい話」に乗ってしまう。自分は騙されないという感覚があるのかもしれない。世の中にそんなに簡単に儲かる話はない。あるならその話を持ってきた人が他の人に黙って自分で出資する。私なら間違いなくそうする。他の人に利益を分け与えるという親切なんて通常はあり得ないのだから。リスクを伴わない話はやはり怖い。それを分からなければ次も同じことをしてしまう。


取捨選択をする判断材料は何か。そこは自分自身の中にしかないと思う。人を疑って何かをするというのは面白くないが、大抵そんなに楽して儲かる話はない。持っている資産を上手く運用しようと思うがあまり冷静さを失ってしまうのかもしれない。適切な判断をする能力は必要不可欠。


自分の持っているモノをどこにどのように使うか。ここは難しい。常にそれは考えていかなければいけない。


まとまらない。思うことをひたすら記録しておく。

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