音楽千夜一夜 第362回

久しぶりにワルター選手のいろんな曲、すなわちベートーヴェン、ブラームス、モザール、ブルックナー、マーラーの交響曲などを聞いてみましたが、聞き進むにつれて、時代の音楽的進化ということについて思いを新たにさせられました。
彼の音楽そのものの価値は、もちろん彼が死んでしまった時点からまったく変わらず、とりわけモザールの交響曲のNYフィルとのモノラル録音なんかは、つい最近亡くなったばかりのアーノンクールの、感動のひとかけらもない虚ろな最新録音と比べても、圧倒的に深い感銘を与える名演奏と断言できるでしょう。
さりながら、これと具体的に指差すことは致しませんが、かつては天下の名演奏と絶賛されたそのほかの曲を久しぶりに聞いて、「なあんだ、これってこの程度の演奏だったのかあ。これに負けない演奏なら他にも仰山あるぞえ」と我知らず呟いてしまうような、いわば想定外の失望と落胆があちこちにあったのも事実です。
これはなんのかんのというても過去半世紀以上を閲するあいだに、音楽の奏法や技術の進歩、解釈と楽器の改善改良が進んだ結果、わが頑迷なる左脳にも、かつての名品が相対的に時代遅れで陳腐なものに感じられてきた、ということだと思われます。
私は昔からすべてにおいて超保守的な人間でして、クラシック音楽の演奏についても現代の若手指揮者の演奏よりも60年代から70年代のかつての巨匠の演奏を好み、高く評価してきました。
その点はこれからも変らないでしょうが、それらの古き良き時代の名演奏のなかにも、いつのまにか台湾栗鼠に喰われて中身が腐って空洞化している巨樹のような過去の遺物が混じっていることを認めざるをえません。
さらばワルター! 嗚呼、なんちゅう悲しいことずら。
デロンギのエソプレッソマシン30周年断線しつつもまめに仕える 蝶人