照る日曇る日第864回
昭和5年製造の「乱菊物語」と昭和7年製造にかかる「盲目物語」の豪華2本立てに「吉野葛」のおまけがついた本巻もなかなか読みでがあるずら。
「乱菊物語」は、時代は永正から大永頃(後柏原帝の足利義澄、義植、義晴時代)、舞台は瀬戸内海、播州一国が中心で、播州皿屋敷のお菊伝説を骨子とし、将軍、大名(赤松、浦上、小寺、浮田等)や遊女、僧、海賊などが陸続と登場する。
史実に拠るというよりは、筆と興に任せて書きに書きまくる波乱万丈の海洋ピカレスクロマンで、こういう血わき肉躍る冒険空想小説は、いじけた私小説と阿呆糞自然主義が専売特許のこの国では著者以外の誰も試みなかったと申してもよろしいでしょう。
つまり面白い。著者みずからが宣言しているように「八方へ手をひろげて」いったのだが、あまりにも広げ過ぎてしまい、とうとう空中分解して前篇だけで唐突に終了してしまったのは痛恨の極みであった。
こいつの後編を書くのは、谷崎が分身の術を使って六つ子に書かせない限り無理だったろうな。まあそんな荒唐無稽を平然と読ませるロマンという名にふさわしい小説です。
「盲目物語」は一転して数奇な運命にもてあそばれた薄幸の戦国武将の妻、お市の方の生涯を、そのおつきの盲目の按摩が、一人語りで滔々と見事に語りつくして圧巻というほかはない。名人の至芸とはこれであろう。
ここで美しきヒロインのお市の方とは、すなわち新婚の夫人であり、盲目の按摩とは最愛の松子夫人の奴隷、と化した谷崎自身なのだが、そのことをわざわざ著者自らが注釈するのを聞くと、いささか鼻白むものがありますなあ。
デザートの「吉野葛」は冒頭でいったん衒学的なイントロを鳴らしておいて、本論に入ると別な主題で耳目を惹きつけて一気にフィニッシュまでもっていく手腕に唸らされます。
ともかくみなさん、物語作家の第一人者というたら今も昔も大谷崎なのです。
無くなると聞けば急に食べたくなるあの明治のサイコロキャラメル 蝶人