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照る日曇る日第865回&バガテル―そんな私のここだけの話 op. 229
序論の田中容子氏の「自閉症スペクトラム障害に対する有効な治療は存在するか?」は、1943年のカナーの「小児自閉症」、44年のアスペルガーの「自閉的精神病質」報告にはじまるこの障がい研究の、誤算と過誤に満ち、さしたる実りなき不毛の歴史を駆け足で振り返っているが、「当面は過去に犯した過ちを繰り返すことのないように自省しながら日々の地道な関わりを続けるのが最良の策」というまとめには苦笑するほかない。
これに比べると大倉勇史氏の「診断から治療までの流れ」は豊富な事例を列挙しながら年齢や症例別の具体的なケーススタデイをレポートしているので、障がい者の親としてはよく分かる。
その結語には、「高収入を得るための職場ではなく、能力を最大限生かせるための職場が必要」とあるが、まったく同感。余談ながら最近、障がい者一人ひとりひとりの障がいに向き合わず、まるで労働工場のように生産性や売上、利益の向上に腐心する社会福祉とは名ばかりの本末転倒した施設が増えてきたように思う。
「薬物療法」の最新情報をレポートした宇佐美政英氏は、薬物療法には長所と短所があるのでしっかりと見極め、過分な期待をしないで上手に付き合うことを薦めているが、私の周囲を見渡してもその通りだなあ、と頷ける。しかしながら文中2か所に出てくる「病態」という用語は疑問。自閉症は「病気」ではなく「器質の障がい」であるから不適切といわざるをえない。
生地新氏の「自閉症スペクトラム症を持つ人への心理療法」では、彼が実践している「支持的心理療法」と「精神分析的心理療法」の概略を述べているが、著者が告白しているように、それなりの価値はあるとしても、日暮れて道遠しの状況であろう。
伊地知信二氏他二名が「自閉症治療から学ぶべきこと」なる共同論文を書いているが、我われ素人にはよく分かない生硬な表現が乱発され、繰り返し読んでもいったい何が言いたいのかよくわからない個所が多く、全体的にはあまり信用できない印象だけが残った。
最後に掲げられた「これからの子育て」九カ条のような平易な文章で、もういちど全面的に書き直してもらいたいものである。
最後の木村一優氏の「入院治療」で明らかにされているように、現在我が国では依然として自閉症に対応する専門的な病院がないので、いざとなれば一般の精神科病院を利用せざるをえない。
著者は「課題は多くとも医師、看護師と十分に話し合っていける可能性はある」「自閉症だとしても、本質的にはすばきことは同じなのですから」というのだが、「可能性はある」とか「同じなのですから」と書かれた文字を見つめているうちに、だんだん疑惑の黒雲が頭をもたげてくるのはなぜだろう。
以上5つの記事をかいつまんで自己流に紹介してきたが、もっとも重要かつ致命的なことは、それらの著者たち自身が認めているように、自閉症という障害の根本原因は(「脳の器質的障害」と称されてはいるものの)、症者発生以来半世紀以上が経つのに依然として解明されず、絶望的なまでに深い闇と霧に包まれていることである。
その間医師や研究者がやってきたことは、母源病や砂糖病、ウイルス説をはじめとする荒唐無稽を含めた様々な仮説の提案と検証、そして症状の定義と内容の限りなき「書き換え」であり、肝心かなめの障害の本質の摘出と喝破どころか、それからのますますの逸脱と漂流であった。
その拠って来る原因の究明がなされないのに、その症状の根本治療など医学的にはありえない。
にもかかわらず、階下の盲人に向かって2階から目薬を流すような怪しげな対症療法や金儲け本位の「自閉症ビジネス」、はては怪しげなる新興宗教の暗躍は、当事者としてまことに情けないが、専門家たちがうえに述べたような状況がこの障がいの偽らざる実態であるから仕方がない。
偉そうに専門家などと称していても、所詮は盲人が巨象のあちこちを手探りしながら分かったような御託を並べているにすぎない。嗚呼なんと虚しく哀しいことよ。
障ぐあいの本質などはさておきていたずらに屋上より垂らす怪しげな眼薬 蝶人
*ご参考までに
http://www.autism.or.jp/autism05/hajimete.htm
http://www.autism.or.jp/autism05/handan.htm
http://www.autism.or.jp/autism05/201409-honda.htm