あまでうす日記

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神奈川近代文学館で「100年目に出会う―夏目漱石」展をみて

2016-05-25 16:59:39 | Weblog


蝶人物見遊山記第205回



いつ訪れてもガラガラの当館ですが、没後100年を記念して去る5月22日まで開催されていた漱石展は私と同年輩の後期高齢者がかなり見受けられました。おそらくみな漱石の愛読者なのでしょう。

会場はお馴染みの漱石山房の書斎の再現からはじまりほぼ時系列に忠実に漱石の生涯と作品にまつわる展示を延々と並べていくのですが、さすがに偉大なる国民作家の足跡だけあってひとつひとつが興味深い。

小中学時代の成績表や赤の入った漢詩の習作、子規が赤を入れた発句の下書き、「道草」の素材となった義父の証文、小ぶりのフロックコートとシルクハット、倫敦から娘たちに出した愉快な絵葉書、中川選手の元原稿を徹底的に修正した「文学論」の荒々しい原稿、細字で几帳面に手帖に記された日記、そして「吾輩は猫である」から絶筆の「明暗」に至るまでの小説の生原稿、その折々の記念写真まで、その夥しい資料の数と内容には圧倒されました。

 その中で注目すべきは、彼が倫敦留学に際して作らせた長さ8センチ、幅4センチほどの婦人用かと思われる細みの名刺です。

 表はやや筆書風に傾いた欧体楷書で「夏目金之助」、裏面はそれに合わせた英字で「Mr.Kinosuke.Natsume」と印字されているのですが、その微妙な小ささとレイアウト、繊細な美しさを持つ書体は、彼の有名な俳句「菫程な小さき人に生まれたし」を想起させずにはいません。

 たった1枚の小さな名刺が、漱石という人の生の本質にまっすぐつながっているのです。

 展示の終わり近くには、有名な彼の南画がぶら下っていますが、精確さを求めるあまりほとんど顕微鏡的な細密画に近づいていくその異様な筆致を辿っていると、彼の神経の病的な異常さが生々しく感受され、あまり長く見詰めてはいけないような気持ちになってくるのでした。


       円よ上がれ株価よ下がれ安倍蚤糞を粉砕するべく 蝶人
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