
照る日曇る日第886回
1903年毎明治36年に沖縄で生まれた詩人山之口獏、本名山口重三郎選手は、貧乏で、貧乏で、貧乏であった。そのことは彼の詩集の大半のテーマが貧乏(第2位は結婚)であることからも窺い知れる。
しかし3度の食事に事欠くほど貧乏であったにもかかわらず、彼が書く貧乏の歌のなんとあっけらかんと明るいことよ!
「なんとかならぬかとたのんでみるのだが、質屋はかぶりを振って(中略)
いきものなんぞおあずかりしたのでは餌代のかかって商売にならぬと来たのだ」
そして詩人が明かりをつけると、風呂敷から転がり出たのは、ぬあんと、彼の娘と女房なのであった!
彼は貧乏の詩を書き続けることによって、貧乏から脱却は出来なかったけれども、詩作で貧乏を乗り越え、ついでに生活ということを浄化し、その勢いを駆って、なにやらこの世ならぬ尊い存在、ある意味では宇宙的な存在へと化けてしまったような気がする。
彼が生涯を通じて故国琉球のありようを憂い、その将来について深く思いを致していたことも忘れてはなるまい。
この国には優れた女性がいっぱいいるのに最低の屑ばかり選んだ安倍蚤糞 蝶人