あまでうす日記

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池澤夏樹個人編集・河出書房新社版「日本文学全集12」を読んで

2016-08-15 11:44:11 | Weblog


照る日曇る日第888回 


本巻は松尾芭蕉、与謝蕪村、小林一茶の3歌人の代表作をそれぞれ松浦寿輝、辻原登、長谷川櫂の3人が註解し、掉尾は丸谷才一、大岡信、高橋治による「とくとく歌仙」が飾るという特大サービス号で、その内容は比類なく充実しており、恐らくはこれまでの本全集の白眉ではないだろうか。

松浦選手による「おくのほそ道」及び芭蕉百句の注解は、かの安東次男選手の名評釈とがっぷり四つに組んだ超力作で、やや衒学的に傾き過ぎるきらいはあるものの、評者の教養と知性を思う様に発揮した滋味深い内容で、平成俳句会も漸く終焉に近き今日この頃、いきなり超人芭蕉翁が甦ったような気さえする格調の高さである。

続く辻原選手の「夜半亭饗宴」は、与謝蕪村の生涯の銘句を、春に始まって春に終わる円環状に配置した苦心の連作であるが、著者の蕪村への愛情と尊敬の温かいまなざしが一句一句の鑑賞に滲み出ている姿が、殆ど感動的ですらある。

天明三年1783年12月25日未明に蕪村は不帰の客となったが、その遺作「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」のあとに、「いざや寝ん元日は又翌(あす)の事」をそっと並べ置く辻原選手の鋭敏な感性にいたく共感する読者も多いことだろう。

近代俳句の祖は、芭蕉、蕪村、子規ではなく小林一茶その人であると力説する長谷川選手は、これまでの徳川の大御所時代と明治維新の文化史的位置づけについても独自の創見を随所で披歴しながら、古典や教養とは無縁の革命的俳諧師として自立した一茶俳句の再評価を促している。

名代の3奇人が丁々発止と応酬する「とくとく歌仙」も興味深いが、畏友夫馬基彦氏の参画を逸したのは、折角の名企画に画竜点睛を欠いたいささかの恨みが残る。

   うつゝなきつまみごゝろの胡蝶哉 蕪村
    夏の暮れ緑小灰蝶をつまみたり 蝶人
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