照る日曇る日第887回
文豪夏目漱石と関わりのあった有名無名の人々や家族による思い出話をどっさり集めた文庫本で、五輪の狂騒を避けた盛夏の緑陰の読書にはぴったりである。
いずれも短い文章ばかりであるが、若くして逝った偉大なる作家、教師、先輩、父親への人それぞれの敬愛の念が共通しており、やはり只者にあらざる稀有の存在であったことがうしろだてられている。
文は人なり、とはよくいったもので、大塚保治、寺田寅彦、和辻哲郎、菊池寛、中勘助、戸川秋骨、平田禿木、松根東洋城、滝田樗陰、馬場孤蝶などの短文には、彼ら自身の人柄もくきりと刻印されていて興味深い。
修善寺大患の折に急遽駆けつけた医師森成麟造の思い出話は、手に汗握る大迫力で、漱石が仮死状態に陥って脈拍がパッタリ止まってしまったくだりには、思わずこちらの心臓も止まってしまいそうになる。あの時漱石は、本当に九死に一生を得たのである。
漱石の長男、夏目純一はよく父親から殴られた。「それは君が可愛いからだ」と和辻哲郎から慰められたが釈然としなかった純一が、千谷七郎の「漱石の病跡」を読んで漱石が躁鬱病だったと知り、「あんなに可愛がってくれた人がふとしたときに乱暴する」理由が分かったので「ひじょうに嬉しかった」と告白するくだりを読んで、思わず涙が出てしまった。
ところで本書の巻頭は、高浜虚子が昭和2年6月に「改造」に書いた「「猫」の頃」という小文であるが、後輩のくせに冒頭で漱石と呼び捨てにしているからして、なんとなく愉快ではない。
自分が漱石にすすめてホトトギスに初めて「猫」を載せたときは、「冗文句」を好きに削除訂正させてくれたので、引き締まった文章になったのに、2回目以降は、漱石が一躍文壇の“時の人”になりあがったので、素人の無駄な文章を玄人の自分が「煎採」して完璧な文章にする機会を逸してしまった、などとほざいている。
そして「自分の我儘な心持では、漱石はいつまでも大学の教師で、ただ余技として文章を書き俳句を作る人であってほしかった」と結ぶのは、ちと身の程知らずの傲慢なる暴言ではなかろうか。生前の子規に対する傲岸偏屈といい、この俳句会の大立者は、なんとなく陰険で、嫌な感じの人物だったようだ。
本当においしいのかどうかは知らんけどうまいうまいと騒いでいる番組 蝶人