照る日曇る日第889回

岩波新書による「シリーズ日本中世史」の最終巻。戦国の世が信長、秀吉、家康の天下人によって統一され中世が幕を閉じるまでを描いている。
本巻では「琉球」や「対馬」、「アイヌ」が本土の権力者にきちんと正対して戦ったり外交手段を駆使してきたことが具体的に述べられていて参考になる。列島には複数の民族と政治権力がいまなお存在している歴史的な所以が明らかにされている。
第2章「銀と鉄砲とキリスト教」で触れられている倭寇の実態もじつに興味深い。彼等は中国、日本、東南アジア諸国をまたにかけ、国家や民族の「境界域」に生きた自由と貿易と武力の集団であった。
第4章「16世紀末の大東亜戦争」における秀吉の粗雑な海外認識と世界制覇構想、イトレルにも似た狂気の武力進出の経緯にも改めて驚かされる。
こういう独裁的な天下人にとって、部下や民草は単なる将棋の駒のような存在であるが、とりわけ他国の民草への想像力を欠く点において政治家としての致命的な欠陥を内蔵しており、結局は2度に亘る朝鮮侵略が一族の死滅に直結していくのである。
こういう自己中心的な感性は、どこか現在の宰相にも共通しているようでないやら恐ろしい。
本書を含めて本シリーズのこれまでの4冊はそれぞれに面白かったが、4人の著者による時代区分の方法論や論述の力点、殊に文体があまりにもてんでばらばらで、全体的な統一感がまるでないことに驚く。
いったいこの節の新書の編集担当者は、どういう仕事をしているのだろうか。通史がこういう散漫な展開に終わるなら、いっそ同じ著者に委ねたほうがいいのではないだろうか。
月火水木金土日の繰り返しに耐えきれないで我らは狂う 蝶人