あまでうす日記

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大江健三郎著「大江健三郎全小説5」を読んで 

2018-11-25 14:46:15 | Weblog


照る日曇る日 第1167回



「空の怪物アグイー」「個人的な体験」「ピンチランナー調書」「新しい人よ眼ざめよ」の全4冊を2段組1本に凝縮した本書は解説も含めて640頁の大著で、なかなか読み応えがあります。

しかしせっかく全小説を採録したというのに、前の2冊は60代、中の1冊が70年代、後の1作は80年代と、制作年次がまちまちなのは良くない。どうして時系列の順に発行できなかったのでしょうか。

それはさておき、この4作すべてに共通するのは息子の登場で、障ぐあい児であるイーヨー選手の存在が、いかにその父親である作家の人世と創作に決定的な影響をもたらしたかがよく分かるコンピレーションであるとはいえましょう。

この4作は、確かにフィクションではありますが、その創造の源流の基底部においては大江健三郎とその長男、光選手を主題とする私小説ではないでしょうか。

「空の怪物アグイー」は徐々に深化し濃密の度を加えていく親子の相関関係のいわば序曲であり、「個人的な体験」「ピンチランナー調書」「新しい人よ眼ざめよ」はそれぞれ第2、第3、第4楽章という形式を備えた「障害問題交響曲」というても過言ではないでしょう。

「個人的な体験」は、たまたま双頭の新生児が天からわが身に振りかかったというて身も世もあらずパニくり、正直に妻に打ち明けて「悲劇」と真正面から向き合うこともせず、いっそ医者に殺してもらおうと逆上したり、おのが「苦脳」とやらを慰安セックスでごまかしたり、ともかく信じられないくらい無様で見苦しい態度を示す男の物語です。

されど同じように障ぐあい、児を授かった世間の普通の親から見れば、この主人公に態度は、ほとんど馬鹿同然で、いくら文芸創作の世界とはいえ、全編阿呆らしくて読むに堪えない愚作です。

「ピンチランナー調書」で興味深いのは、健常者の父親が障害者の息子と入れ替わるなどその構想がはなはだ立体重層的で、物語世界が複雑多岐にわたること。

これによって文学作品としての価値と面白さは倍増していますが、その根幹を父と子の私小説として透視すれば、要するに、父が想像力を駆使して子の世界を理解し、一体化を図ろうとした、涙ぐましい父子鷹物語なのであります。

最後の「新しい人よ眼ざめよ」は、やたらめったらブレイクの引用が出てきて辟易させられますが、イーヨーを誘拐して東京駅で放置した「過激派」の言語道断の卑劣さには頭にきます。こういう連中のいったいどこが革命的なのでしょうか。
 
 一撃されしばらくもがいた冬の蚊はやがて動かなくなりましたあ 蝶人

コメント
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