蝶人物見遊山記第308回
非常に天気が悪かったのですが、思い切って東京まで出かけて文楽をみました。近松半二の「妹脊山婦女庭訓」の通しです。公演は大序、2段目、3段目の1部と、3段目、4段目の2部に分かれていて、朝の10時半から夜の9時まで10時間に垂んとする長時間(1日に2回も駅弁たべた!)でしたが、つつがなく大尾まで見届けることができて仕合わせでした。
この人形浄瑠璃(歌舞伎でも)のクライマックスは、もちろん第2部冒頭三段目の「妹山背山の段」で、ロミオとジュリエットのように相思相愛の久我之助と雛鳥は、両家と両党派の義理と人情の柵に板挟みとなって悲劇的な最期を遂げるのですが、この日の玉男、玉助、蓑助、和生の人形たちと千歳太夫、藤太夫、呂勢太夫、織太夫の声と三味線連は見事な三位一体となって猛烈にロケンロールし、果てしもなくグルーヴし、観客の血涙を絞りに絞ったのでした。
死して2つの首となった久我之助と雛鳥の変わり果てた姿を見ながらが、私たちの脳裏に浮かぶのは、第1部大序「小松原の段」で床几に腰掛けながら扇子の陰で接吻を交わしていた恋する2人の姿です。両家の親たちがどれほど不倶戴天の敵同士であり、あるいはその両家がどれくらい蘇我蝦夷子&入鹿父子の専制横暴に雌伏し続けてきたかも、前半第1部をみていないと理解できないでしょう。
国立劇場が松竹資本の人気取りアラカルト料理を拒否して、通し狂言フルコースにこだわっている真価が発揮された名舞台でしたが、それにしてもなんで大河小説がまだ終わってもいない「金殿の段」で幕を引いて、悪辣権力者安倍蚤糞、じゃなかった蘇我の入鹿が討たれて果てる第5段目志賀都の段を大尾に据え無い中途半端さに文句のひとつも言いたくなりました。

生活感も存在感も消え失せてただの局アナ日テレ有働 蝶人