蝶人物見遊山記第306回&鎌倉ちょっと不思議な物語第411回
年3回行われている鎌倉文学館主催の文学散歩に、もうすっかりお馴染みになった学芸員の山田さんの案内で参加しました。
今回は長谷駅前から稻瀬川が海に注ぐあたりを歩いて、川端康成邸傍の甘縄神明宮、吉屋信子記念館を経て文学館に至る午前中歩きのコースです。
稻瀬川周辺では、新田義貞の鎌倉攻めの時に北条軍と激戦が交わされ、多くの武将が討ち死にしましたが、そんなことより我が家の長男がお世話になった稻瀬川保育園が健在なのは何よりでした。
すぐ近くにあった日本料理の「大海老」がだいぶ前に閉店してしまったのは残念ですが。
稻瀬川にはメダカくらいの大きさの小さな魚が群れをなして泳いでいましたが、もしかするとこれはアユの稚魚で、だんだん大きく成長しながら、また昨年のように我が家の近所の滑川に大挙して遡上してくるのかも知れません。
川端邸は、以前邸内を見物させてもらったので馴染みがありますが、そのすぐそばの瀟洒な和洋折衷の建物に山口瞳が住んで、両家は親しく交流していたとは、知らなんだ。
吉屋信子の旧居は、そのまま吉屋信子記念館になっていますが、その素晴らしい数寄屋造りの住居が、名建築家の吉田五十八の設計とは、これまた知らんかったなあ。
薔薇が満開で大賑わいの鎌倉文学館では、三島由紀夫の「豊饒の海」展を来る7月7日まで絶賛開催中ずら。
この大長編の第1作「春の雪」に出てくる松枝侯爵の別荘は、この文学館(旧前田侯爵邸別邸)の佇まいをモデルにしているからですが、達筆で記された大量の生原稿と緻密にメモされた構想ノートを眺めていると、大作家の代表作が、文字通り命がけで書かれたことが分かって感動します。
因みに三島の自決は1970年11月25日でしたが、最終巻「天人五衰」の滞空時間は1975年夏までであり、それは彼の肉体の消滅の短さをば、せめて物語の長さで補おうとする末期の祈りに似たあがきだったのではないでしょうか。なんちゃって。
作家ではなく武士として死にたいと言い放つ人物が、しかし最後まで気にかけていたのは、「暁の寺」と「天人五衰」の英語訳を、アメリカのクノップ社(同じような谷崎の願いを彼の死後裏切った実績がある)が約束通りに出版してくれるかどうかだったそうですが、惜しいことに、その切なる願いを託したドナルド・キーンへの最後の手紙(書置き)の実物は、会場には展示されていませんでした。
悪質な移民がアメリカを棄損するその代表がトランプ一族 蝶人