あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

ウィリアム・バロウズ著・山形浩生訳「夢の書 わが教育」を読んで 

2019-05-14 13:06:35 | Weblog


照る日曇る日第1256回


アメリカのビート世代の怪人バロウズ選手が、生涯の終りに遺した夢と、その夢にまつわる思い出噺ずら。

ここで彼の夢の一つ二つを引用しようかと思ったのだが、阿呆らしくなって止めたのはそれが私の夢ではなくて他人の夢だからである。そしてそれがどんなに面白い夢であっても、結局他人の夢というものは、所詮は他人事である。

ネルヴァルが喝破したように、「夢は第2の人生」であるが、それは自分と対になるもう一人の自分についての情報だからであって、たとえフロイトのような学者が、もっともらしい解釈や夢判断をしようと、夢見た当の本人の人生とはなんの関係もないのである。

すべての人にとって、「目覚めているときの人生+夢見ているときの人生=真の人生」という公式が成り立つがゆえに、私たちは後者の人生についてもっと自覚的になると同時に、もっともっと大切にしなければならない。だからこそ私は6年間にわたって毎日毎晩夢日記をつけてきたのである。

よってこの本は、書いたバロウズ以外の人間にとってなんの価値も持たない、と断言できるだろう。

蛇足ながら訳者が、「当時のバロウズは一日中そこらじゅうの文を切っては並べ、折っては並べているだけという、ほとんど自閉症に近い暮らしを続けていた」という「あとがき」を書いているが、私が知っている自閉症児者はそんな暮らしはしていない。

「自閉的」という言葉からの連想と、脳の機達障害のとしての「自閉症」とはまったく無関係なので、よくも知らない「自閉症」という医学用語を、不用意に使わないでもらいたいものだ。
    
   参考→日本自閉症協会ホームページ http://www.autism.or.jp/



   そこまでだ。安倍蚤糞よ、無駄な抵抗は もうやめたまえ。蝶人
コメント
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