あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

聖書協会共同訳2018年版で旧約聖書「列王記下」を読んで

2020-03-09 13:20:55 | Weblog


照る日曇る日 第1366回

この「列王記」はイスラエル、ユダ両王国を襲う苦難の記録であるが、その叙述形式がふるっている。

例えば「イスラエルの王の治世の第3年にユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった」というように、両国の王の関連を対比しながら記述していくのであるが、これが私の大好きなプルタルコスの「対比列伝」に影響を及ぼしたことは間違いないだろう。

ところが同胞?同士であるはずの両国が、突如骨肉相食む闘争をおっぱじめるので驚く。革マルと中核の内ゲバを凌ぐ大戦争であるが、これも神の意思によるものなのか?

それとも、これらの記録は歴史的な事実であって、主とか神とかは、後代の宗教家によるそれらの外部からの粉飾なのか、基督者ならざる煩悩(凡脳)の内部では、いろいろ複雑な思いが湧きおこってくる。

それはともかく、自分を裏切った両国の王と人民に対する神の怒りは相当深かったようで、この「列王記」に登場する歴代の王たちは、上巻に続いてだいたいが異国の神を信仰するような悪い奴なのだが、たまにヒゼキヤのような「主の目に適う正しいことを行う」王が登場しても、先祖代々の罪業を許してもらえず、ヒゼキヤの何代目かのユダヤの王ゼデキヤは、バビロンの王ネブカドネッアルとの戦いに敗れ、一族諸共あの「バビロン捕囚」の憂き目に遭うのである。

  わたくしに聞かせてやろうと思いつつモザールが書きし交響曲40番 蝶人
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