
本巻には「匂宮部卿」から「総角」までが収録され、「椎本」からはいよいよ最後の花火の「宇治十帖」が美しくも悲しう打ち上げられていくのである。
光源氏が退場したあとでは、もはや誰も光輝あふれる登場人物はいない、と作者紫式部自身が断言しながら、それでも10連発で展開させていく物語の主人公は、もちろん薫と匂宮である。
さりながら、いくら薫が体内ヘロモンをまき散らして女房どもを悩殺しようが、負けじと匂宮が総身にペリーエリスの香水を塗りたくって対抗しようが、2人が束になってかかっても、所詮源氏の色気と紳士道にの敵ではなかった。
2人のダンディのターゲットとなる八宮の娘大君と中宮も、いちおう魅力的に描いてはあるけれど、既出の藤壺や玉鬘、朧月夜など源氏の女たちの存在感と比べると月とスッポン、邦画でいうと松竹、東宝の時代劇と東映、大映くらいの格差を感じないわけにはいかない。
それにもかかわらず、なんで紫式部が「宇治十帖」に筆を染めたかというと、本編が余りにも好評を博したので、しぶる作者をスポンサーの藤原道長が、「どうでも続篇を書け。嫌なら他の女房に書かせるぞ」というて脅迫したからだろう。
じっさい「宇治十帖」に生気がなく、文体に異変が見られるのは、紫式部が、中宮彰子の筆の立つ女房を抜擢した編集プロダクションを、適宜「助っ人」に使ったからではないだろうか。
雪が降りコロナに怯える春の朝皆川達夫の「音楽の泉」終わる 蝶人