本日母18回忌につき故人の歌を再掲載致します。
ある晴れた日に 第600回
つたなくて うたにならねば みそひともじ
ただつづるのみ おもいのままに 愛子
七十年 生きて気づけば 形なき
蓄えとして 言葉ありけり 愛子
平成四年五月
五月晴れ さみどり匂う 竹林を
ぬうように行く JR奈良線
なだらかに 丘に梅林 拡がりて
五月晴れの 奈良線をゆく
直哉邸すぎ 娘と共に ささやきの
こみちとう 春日野を行く
突然に バンビの親子に 出会いたり
こみちをぬけし 春日参道
平成四年七月
くちなしの 一輪ひらき かぐわしき
かをりただよう 梅雨の晴れ間に
梅雨空に くちなし一輪 ひらきそめ
家いっぱいに かおりみちをり
十五、六年前の古いノートより
いずれも京都への山陰線の車中にて
色づける 田のあぜみちの まんじゅしゃげ
つらなりて咲く 炎のいろに
あかあかと 師走の陽あび 山里の
小さき柿の 枝に残れる
山あひの 木々にかかれる 藤つるの
短き花房 たわわに咲ける
谷あひに ひそと咲きたる 桐の花
そのうすむらさきを このましと見る
うちつづく 雑草おごれる 休耕田
背高き尾花 むらがりて咲く
刈り取りし 穂束つみし 縁先の
日かげに白き 霜の残れる
PKO法案
あまたの血 流されて得し 平和なれば
次の世代に つがれゆきたし
もじずりの 花がすんだら 刈るといふ
娘のやさしさに ふれたるおもひ
うっすらと 空白む頃 小雀たち
樫の木にむれ さえずりはじむる
平成四年八月
美和達帰る
子らを乗せ 坂のぼり行く 車の灯
やがて消え行き ただ我一人
兼さん(昔の「てらこ」の番頭さん)の遺骨還りたる日近づく
かづかづの 想い出ひめし 秋海棠
蕾色づく 頃となりたり
万葉植物園にて棉の実を求む
棉の花 葉につつまれて 今日咲きぬ
待ち待ちいしが ゆかしく咲きぬ
いねがたき 夜はつづけど 夜の白み
日毎におそく 秋も間近し
なかざりし くまぜみの声 しきりなり
夏の終はりを つぐる如くに
わが庭の ほたるぶくろ 今さかり
鎌倉に見し そのほたるぶくろ
花折ると 手かけし枝より 雨がえる
我が手にうつり 驚かされぬる
なすすべも なければ胸の ふさがりて
只祈るのみ 孫の不登校
平成四年十一月
もみじ葉の 命のかぎり 赤々と
秋の陽をうけ かがやきて散る
おさなき日 祖父と訪ひし 古き門
想い出と共に こわされてゆく
老祖父と 共にくぐりし 古き門
想い出と共に こわされてゆく
平成四年十二月
暮れやすき 師走の夕べ 家中(いえじゅう)の
あかりともして 心たらわん
築山の 千両の実の 色づきぬ
種子より育てし ななとせを経て
手折らんと してはまよいぬ 千両の
はじめてつけし あかき実なれば
師走月 ましろき綿に つつまれて
ようやく棉の 実はじけそむ
「棉」は綿の木、「綿」は棉に咲く花
母の里 綿くり機をば 商いぬと
聞けばなつかし 白き棉の実
平成五年一月 病院にて
陽ささねど 四尾の峰は 姿見せ
今日のひとひは 晴れとなるらし
由良川の 散歩帰りに 摘みてこし
孫の手にせる いぬふぐりの花
みんなみの 窓辺の床に 横たわり
ひねもす雲の かぎろいを見つ
七十年 過ごせし街の 拡がりを
初めて北より ひた眺めをり
今ひとたび あたえられし 我が命
無駄にはすまじと 思う比頃
平成五年二月
大雪の 降りたる朝なり 軒下に
雀のさえづり 聞きてうれしも
次々と おとないくれし 子等の顔
やがては涙の 中に浮かびぬ
くちなしの うつむき匂う そのさがを
ゆかしと思ふ ともしと思ふ
「ともし」は面白いの意。
十両、千両、万両 花つける
我庭にまた 億両植うるよ
命得て ふたたび迎ふる あらたまの
年の始めを ことほぎまつる
おさな去り こころうつろに 夜も過ぎて
くちなし匂う 朝を迎うる
炎天の 暑さ待たるる 長き梅雨
平成五年九月
―弘安さんに 九月七日
弟と 思いしきみの 訃を知りぬ
おとないくれし 日もまだあさきに
拡がれる しだの葉かげに ひそと咲く
花を見つけぬ 紫つゆくさ
拡がれる しだの葉かげに 見出しぬ
ひそやかに咲く むらさきつゆくさ
水ひきの花枯れ 虫の音もさみし
ふじばかま咲き 秋深まりぬ
ニトロ持ち ポカリスエット コーヒーあめ
袋につめて 彼岸まゐりに
久々に 野辺を歩めば 生き生きと
野菊の花が 吾(あ)を迎うるよ
うめもどき たねまきてより いくとしか
枝もたわわに 赤き実つけぬ
露地裏に 幼子の声 ひびきいて
心はずむよ おとろうる身も
戸をくれば きんもくせいの ふと匂ふ
目には見えねど 梢に咲けるか
秋たけて ほととぎす花 ひらきそめ
もみじ散りしく 庭のかたえに
弘安さん納骨の日
なき人を 惜しむように 秋時雨
村雨は 淋しきものよ 身にしみて
秋の草花 色もすがれぬ
実らねど なんてんの葉も あかろみて
―リエちゃんと山新さんへ行く
病みし身も 次第にいえて 友とゆく
秋の丹波路 楽しかりけり
山かひに まだ刈りとらぬ 田もありて
きびしき秋の みのりを思ふ
いのちみち 着物の山に つつまれし
まさ子の君は 生き生きとして
雅子さんご成婚か、不詳
カレンダー 最後のページに なりしとき
いよよますます かなしかりける
虫の音も たえだえとなり もみじばも
色あせはてて 庭にちりしく
(深き朝霧の中)十一月二十七日 眞立ち寄る
ふりかえり 手をふる車 遠ざかり
やがては深く 霧がつつみぬ
平成六年四月
散りばめる 星のごとくに 若草の
野辺に咲きたる いぬふぐりの花
この春の 最後の桜に 会いたくて
上野の坂を のぼり行くなり
春あらし 過ぎてかた木の 一せいに
きほい立つごと 芽ふきいでたり
平成六年五月
浄瑠璃寺に このましと見し 十二ひとえ
今坪庭に 花さかりなり
うす暗き 浄瑠璃寺の かたすみに
ひそと咲きたる じゅうにひとえ
あらし去り 葉桜となる 藤山を
惜しみつつ眺む 街の広場に
級会(クラスかい) 不参加ときめて こぞをちとしの
アルバムくりぬ 友の顔かほ
「をちとし」は一昨年の意
萌えいづる 小さきいのち いとほしく
同じ野草の 小鉢ふえゆく
藤山を めぐりて登る 桜道
ふかきみどりに つつまれて消ゆ
登校を こばみしふたとせ ながかりき
時も忘れぬ 今となりては
学校は とてもたのしと 生き生きと
孫は語りぬ はずむ声にて
円高の百円を切ると ニュース流る
白秋の詩をよむ 深夜便にて
「深夜便」はNHKラジオ番組
水無月祭
老ゆるとは かくなるものか みなつきの
はじける花火 床に聞くのみ
「水無月祭」は綾部の夏祭り
もゆる夏 つづけどゆうべ 吹く風に
小さき秋の 気配感じぬ
打ちつづく 炎暑に耐えて 秋海棠
背低きままに つぼみつけたり
衛星も はた関空も かかわりなし
狂える夏を 如何に過すや
草花の たね取り終えて 我が庭は
冬の気配 色濃くなりぬ
平成七年四月
いぬふぐり むれさく土手を たづね来ぬ
小さく青き 星にあいたく
春浅き丹波の旧家の片隅で子らの名呼びつつ息絶えたるか 蝶人
なにゆえに桜を見ずに母去りき丹波の春はあまりに遅し
今年また白く寂しく咲きにけり庭の端なる大島桜
ある晴れた日に 第600回
つたなくて うたにならねば みそひともじ
ただつづるのみ おもいのままに 愛子
七十年 生きて気づけば 形なき
蓄えとして 言葉ありけり 愛子
平成四年五月
五月晴れ さみどり匂う 竹林を
ぬうように行く JR奈良線
なだらかに 丘に梅林 拡がりて
五月晴れの 奈良線をゆく
直哉邸すぎ 娘と共に ささやきの
こみちとう 春日野を行く
突然に バンビの親子に 出会いたり
こみちをぬけし 春日参道
平成四年七月
くちなしの 一輪ひらき かぐわしき
かをりただよう 梅雨の晴れ間に
梅雨空に くちなし一輪 ひらきそめ
家いっぱいに かおりみちをり
十五、六年前の古いノートより
いずれも京都への山陰線の車中にて
色づける 田のあぜみちの まんじゅしゃげ
つらなりて咲く 炎のいろに
あかあかと 師走の陽あび 山里の
小さき柿の 枝に残れる
山あひの 木々にかかれる 藤つるの
短き花房 たわわに咲ける
谷あひに ひそと咲きたる 桐の花
そのうすむらさきを このましと見る
うちつづく 雑草おごれる 休耕田
背高き尾花 むらがりて咲く
刈り取りし 穂束つみし 縁先の
日かげに白き 霜の残れる
PKO法案
あまたの血 流されて得し 平和なれば
次の世代に つがれゆきたし
もじずりの 花がすんだら 刈るといふ
娘のやさしさに ふれたるおもひ
うっすらと 空白む頃 小雀たち
樫の木にむれ さえずりはじむる
平成四年八月
美和達帰る
子らを乗せ 坂のぼり行く 車の灯
やがて消え行き ただ我一人
兼さん(昔の「てらこ」の番頭さん)の遺骨還りたる日近づく
かづかづの 想い出ひめし 秋海棠
蕾色づく 頃となりたり
万葉植物園にて棉の実を求む
棉の花 葉につつまれて 今日咲きぬ
待ち待ちいしが ゆかしく咲きぬ
いねがたき 夜はつづけど 夜の白み
日毎におそく 秋も間近し
なかざりし くまぜみの声 しきりなり
夏の終はりを つぐる如くに
わが庭の ほたるぶくろ 今さかり
鎌倉に見し そのほたるぶくろ
花折ると 手かけし枝より 雨がえる
我が手にうつり 驚かされぬる
なすすべも なければ胸の ふさがりて
只祈るのみ 孫の不登校
平成四年十一月
もみじ葉の 命のかぎり 赤々と
秋の陽をうけ かがやきて散る
おさなき日 祖父と訪ひし 古き門
想い出と共に こわされてゆく
老祖父と 共にくぐりし 古き門
想い出と共に こわされてゆく
平成四年十二月
暮れやすき 師走の夕べ 家中(いえじゅう)の
あかりともして 心たらわん
築山の 千両の実の 色づきぬ
種子より育てし ななとせを経て
手折らんと してはまよいぬ 千両の
はじめてつけし あかき実なれば
師走月 ましろき綿に つつまれて
ようやく棉の 実はじけそむ
「棉」は綿の木、「綿」は棉に咲く花
母の里 綿くり機をば 商いぬと
聞けばなつかし 白き棉の実
平成五年一月 病院にて
陽ささねど 四尾の峰は 姿見せ
今日のひとひは 晴れとなるらし
由良川の 散歩帰りに 摘みてこし
孫の手にせる いぬふぐりの花
みんなみの 窓辺の床に 横たわり
ひねもす雲の かぎろいを見つ
七十年 過ごせし街の 拡がりを
初めて北より ひた眺めをり
今ひとたび あたえられし 我が命
無駄にはすまじと 思う比頃
平成五年二月
大雪の 降りたる朝なり 軒下に
雀のさえづり 聞きてうれしも
次々と おとないくれし 子等の顔
やがては涙の 中に浮かびぬ
くちなしの うつむき匂う そのさがを
ゆかしと思ふ ともしと思ふ
「ともし」は面白いの意。
十両、千両、万両 花つける
我庭にまた 億両植うるよ
命得て ふたたび迎ふる あらたまの
年の始めを ことほぎまつる
おさな去り こころうつろに 夜も過ぎて
くちなし匂う 朝を迎うる
炎天の 暑さ待たるる 長き梅雨
平成五年九月
―弘安さんに 九月七日
弟と 思いしきみの 訃を知りぬ
おとないくれし 日もまだあさきに
拡がれる しだの葉かげに ひそと咲く
花を見つけぬ 紫つゆくさ
拡がれる しだの葉かげに 見出しぬ
ひそやかに咲く むらさきつゆくさ
水ひきの花枯れ 虫の音もさみし
ふじばかま咲き 秋深まりぬ
ニトロ持ち ポカリスエット コーヒーあめ
袋につめて 彼岸まゐりに
久々に 野辺を歩めば 生き生きと
野菊の花が 吾(あ)を迎うるよ
うめもどき たねまきてより いくとしか
枝もたわわに 赤き実つけぬ
露地裏に 幼子の声 ひびきいて
心はずむよ おとろうる身も
戸をくれば きんもくせいの ふと匂ふ
目には見えねど 梢に咲けるか
秋たけて ほととぎす花 ひらきそめ
もみじ散りしく 庭のかたえに
弘安さん納骨の日
なき人を 惜しむように 秋時雨
村雨は 淋しきものよ 身にしみて
秋の草花 色もすがれぬ
実らねど なんてんの葉も あかろみて
―リエちゃんと山新さんへ行く
病みし身も 次第にいえて 友とゆく
秋の丹波路 楽しかりけり
山かひに まだ刈りとらぬ 田もありて
きびしき秋の みのりを思ふ
いのちみち 着物の山に つつまれし
まさ子の君は 生き生きとして
雅子さんご成婚か、不詳
カレンダー 最後のページに なりしとき
いよよますます かなしかりける
虫の音も たえだえとなり もみじばも
色あせはてて 庭にちりしく
(深き朝霧の中)十一月二十七日 眞立ち寄る
ふりかえり 手をふる車 遠ざかり
やがては深く 霧がつつみぬ
平成六年四月
散りばめる 星のごとくに 若草の
野辺に咲きたる いぬふぐりの花
この春の 最後の桜に 会いたくて
上野の坂を のぼり行くなり
春あらし 過ぎてかた木の 一せいに
きほい立つごと 芽ふきいでたり
平成六年五月
浄瑠璃寺に このましと見し 十二ひとえ
今坪庭に 花さかりなり
うす暗き 浄瑠璃寺の かたすみに
ひそと咲きたる じゅうにひとえ
あらし去り 葉桜となる 藤山を
惜しみつつ眺む 街の広場に
級会(クラスかい) 不参加ときめて こぞをちとしの
アルバムくりぬ 友の顔かほ
「をちとし」は一昨年の意
萌えいづる 小さきいのち いとほしく
同じ野草の 小鉢ふえゆく
藤山を めぐりて登る 桜道
ふかきみどりに つつまれて消ゆ
登校を こばみしふたとせ ながかりき
時も忘れぬ 今となりては
学校は とてもたのしと 生き生きと
孫は語りぬ はずむ声にて
円高の百円を切ると ニュース流る
白秋の詩をよむ 深夜便にて
「深夜便」はNHKラジオ番組
水無月祭
老ゆるとは かくなるものか みなつきの
はじける花火 床に聞くのみ
「水無月祭」は綾部の夏祭り
もゆる夏 つづけどゆうべ 吹く風に
小さき秋の 気配感じぬ
打ちつづく 炎暑に耐えて 秋海棠
背低きままに つぼみつけたり
衛星も はた関空も かかわりなし
狂える夏を 如何に過すや
草花の たね取り終えて 我が庭は
冬の気配 色濃くなりぬ
平成七年四月
いぬふぐり むれさく土手を たづね来ぬ
小さく青き 星にあいたく
春浅き丹波の旧家の片隅で子らの名呼びつつ息絶えたるか 蝶人
なにゆえに桜を見ずに母去りき丹波の春はあまりに遅し
今年また白く寂しく咲きにけり庭の端なる大島桜