照る日曇る日第1458回
旧約聖書の大部を占める詩編であるが、その大半はダビデの詩とされていて、その内容は山あり川ありの曲折に富んだ彼の生涯の折々の、主への祈りや信仰告白によって埋めつくされている。
当然それらの前提にはユダヤ教と万軍の主との契約や主従関係が存在しているわけなので、私のようなそれと無縁の徒が読んでも、紋切型の詩句が延々と続くだけで「ああそうですか」というしかなくて、有難くも格別の感動があるわけでもないが、なかには121篇第1節の「都に上る歌」のように、宗教的といわんより文学的としかいえないような詩句が転がっているから油断できない。
「私は山々に向かって目を上げる。
私の助けはどこから来るのか。
私の助けは主のもとから
天と地を造られた方のもとから。」
ここは文語体聖書によると
「われ山にむかひて目をあぐ
わが扶助はいづこよりきたるや
わがたすけは天地をつくりタマヘルエホバよりきたる」
となっていて、両者を比べてみれば、圧倒的なイマージュを放つ後者に軍配軍が上がる。
ちなみに、この冒頭は太宰治の「桜桃」、2行は大岡昇平の「野火」に引用されて人口に膾炙されているが、さすが文学者はあの膨大な詩編の中から、いちばんおいしいところを見事にパクるものである。
特に太宰のやり方は、読者に無限の想像を駆り立てる見事なポエジーと化している。

一強と呼ばれて得意になっていたけれど病に勝てずたちまち消える 蝶人