あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

弥生書房版・松浦直巳訳「ディラン・トマス詩集」を読んで

2020-09-21 10:24:56 | Weblog

照る日曇る日第1469回


「悲しみの一瞬まえに」や「悲歌」などを一読すると、この人(1914-1953)はあえて分かりやすく「男根派」というてもいいだろう。恐らく強靭なる巨寝の持ち主だったのだろう。

が、どうせ陽根や子宮などの性的用語やその隠喩を多用するなら、わが敬愛する詩人鈴木志郎康氏の「処女プアプア」のポップな先端まで穿って欲しかったが、作品にそこまでの鋭さはない。
まあ代表作のひとつ「悲歌」が猥褻のカドでBBCから占めだされる50年代の保守的な英国では仕方なかったのだが。

ちなみに「男根派」の反対が「子宮派」で、むかし酔っぱらうと「子宮を見せる」「子宮を見ろ」と迫ったコンドウ嬢はディラン・トマス選手のむこうを張っていたのだろう。


「GoGoGo!万が一死出の旅路になる時は自己責任ですからそのおつもりで」 蝶人
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