高橋源一郎著「ぼくらの戦争なんだぜ」を読んで
照る日曇る日 第1855回
安倍国葬以後、ますますきキナ臭くなってきた「新しい戦前」のニッポン。そんな今こそ「この前の15年戦争」を、ざっくりと振り返ろうじゃないか、というのが本書のテーマである。
いきなり登場するのが本邦と各国の新旧の国語や歴史の教科書で、ニッポンと中国、韓国、仏独の教科書との違いに悶絶しそうになる。小学生向けでは楽しそうだった教科書が、中高校ではだんだん索然とした憂鬱な「教科書」に豹変していくのは、「書き手が国家そのものだからだ」という指摘は鋭い。
第2章「大きなことばと小さなことば」では、1944年に日本文学報国会から出された「詩集大東亜」と、無名の兵士6名による1942年の「野戦詩集」が対比されている。
「詩集大東亜」からは、軍国主義に左袒し、愛国の旗を激しく振り回す高村光太郎を先頭とする189名の有名詩人の大政翼賛詩集の一部が紹介されているが、滝口修造などほんの一握りの例外を除き、旗振り役の高村や堀口大学が大言壮語した鬼畜米英詩は、あの人がこんな詩を!と目を剥くほどに酷い代物である。
けれども高名な職業詩人ではなく、中国に派遣された一兵卒たちが交々つづった詩編には、小さなことばで戦争の真実が表現されており、大きなことばで大戦争を謳い上げる大詩人と、著しい対照をなしている。
長沙A作戦の時だった。/志那兵が死んでゐたのだ。/彼は静かに手をあはせてた。/佛さまのやうな顔して。(山本和夫「佛」より引用)
第3章で大岡昇平の「野火」、第4章「ぼくら戦争なんだぜ」で向田邦子の「ごはん」と従軍作家の林芙美子、さらに古山高麗雄、後藤明生を論じた後で、高橋選手は転向作家としてもっとも誠実に戦争に対峙し、戦時下の読者に向かって語りかけた戦争作家、太宰治を再評価しているが、その当否は、どうぞ本書を手に取って直接お確かめられんことを。
半世紀連れ添いし君に捧げたり鬱金香の五十本 蝶人